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ひとりひとりの やさしさ

koto-asobi    絵本専門士です。

立春をすぎると 気がせわしくなる。

春をまつキモチと、

年度の締まりを迎える 

そのわずかな時間に 

気分がサワサワするのです。


そんな時期に この絵本を。

「ひとりひとりのやさしさ」

文: ジャクリーン.ウッドソン

絵:E.B.ルイス

訳:さくま ゆみこ

発行:BL出版株式会社

なんしゅうかんものあいだ あたしたちは まいにち マヤのうわさばなしをしていた。きているふくや はいてるくつや、へんなおべんとうのことを わらいあった。 マヤがあそぼうとさそっても あたしたちは いつもことわった。あたしたちは げらげらわらった。クラスでは やさしさについてはなしあった。

マヤは 群に 加われなかった。

ひとりひとりにも 関わる隙がなかった。

繰り返し発信しても 不通になる時はどうするべきなんだろうか。

群ていると 個に戻れない見えない鎖があったり、

自ら声を消してしまうこともある。

いつもの流れに いつものペースで 

何も変わってないかの様に 鈍感に流されていると、、

突然 向き合うべき対象が消えてしまった時に

埋められない溝に自分自身が落とし込まれる。

そして慢性的な鈍痛に悩まされる。

後悔の痛み。。

あの時 声をかければよかった。

おはよう!の一声でもかけていたら 次の一声に変わっていったのかも。。

この絵本 いじめについて 偏見に関して にも読み取れるが

なにより 関わりについて 考えるきっかけを与えてくれる。

やさしさについて 話し合う際に

アルバート先生が洗い桶を持ってきて 

そこに水を入れ、

小さな石を水に落とした。

落ちた小石から さざなみが広がった。

やさしさも これとおなじですよ。

ちいさなやさしさが さざなみの様にひろがっていくのです。

そして、「どんな ちいさなことでも いいのよ」と伝えた。

マヤに とどけなかったやさしさが 心の中に 溢れ出した。

マヤに やさしさをとどけたくても とどけるチャンスも少しづつ遠ざかって 

今はもう つかめない。


      *この絵本を読んで 巡らせたキモチ*


やさしさについて 考えようとすると

なぜか思考がとまる。

どんな時も それを考えると 言葉に置き換える心持ちにはならない。

何度もそんなキモチを繰り返して

やさしさは 考えてすることではないことだからかも。という思いが

言葉となった。

「どんなちいさなことでもいいのよ」と先生が声をかけた。

やさしさは 小さい 大きいではなく

受けた者が 嬉しい。と感じたり、微笑んだり、ふっと和らいだり

まるで ほんのり明るい陽射しが差し込んでくるような。。。

そんな風景や 日常のひとときを思い浮かべる。

ささやかなこと。。。

そうゆうことが心を揺らし 兆し始める。

ささやかであること。。

やさしさは ささやかなこと

そんな気がした。








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