コーヒーを淹れるときの「粉の土手」に関する新事実【ハンドドリップ奮闘記】
朝はいつもコンビニのコーヒーだったのを、最近はハンドドリップで淹れている。おいしいコーヒー豆を知人に紹介されたので。
自分で淹れたコーヒーはとてもおいしい。取り寄せているコーヒー豆がそもそもおいしいのだけど、自分で淹れるとさらに輪をかけておいしい。
ただ、正直に言うとハンドドリップ自体はうまくいっていなかった。お湯を注ぐのが下手なのだ。
おいしいコーヒーの淹れ方というのは、もうだいたい決まっているらしい。お湯は95℃前後。まずは少量を、フィルター内のコーヒーの粉にまんべんなく注ぎ、ちょっとだけ放置する。
放置する? 冗談だろ? と最初は思った。なんだ「おもしろハンドドリップ」のサイトを開いていたのか、どうせつぎはコーヒーへの好意をほのめかすとか、しばらく距離を置いて不安にさせるとか、自分から好きと伝えてはいけないとか書いているのだろう、と思った。
しかしほかのサイトを見ても、やはり「放置する」とある。そうやって、コーヒーの粉を蒸らす(焦らすではなく、蒸らす)のだそうだ。20〜30秒くらいが目安らしい。
考えてみると、この細かさはすごい。「20〜30秒くらい蒸らすとコーヒーがおいしくなる」というのを、最初に発見した人がいるのだろうか。その人は、コーヒーの粉にいろいろな方法でお湯を注いでみたり、あえて注がないでみたり、おいしいコーヒーと結ばれるために、さまざまな駆け引きを試みたのかもしれない。なんだか本当に恋愛みたいだ。
そういう先人たちのコーヒー愛にリスペクトを捧げるためにも、やはり正式な淹れ方でコーヒーを淹れたい。あと純粋に、とにかくおいしいコーヒーを飲みたい。コーヒーが好きという気持ちだけは、先人たちにも負けないつもりだ。
と、脱線しているあいだに蒸らしが終わったから、いよいよ本格的にコーヒーを抽出する。ヘソみたいにくぼんでいる粉の中心から、ゆっくり螺旋を描くように、数回にわけてお湯を注ぐ。
このとき、フィルターに沿って外縁にできている粉の壁・通称「土手」には、決してお湯をかけてはいけない。
土手に少しでもお湯があたると、コーヒーが爆発したり、子々孫々まで祟られたりする。さらに最悪のケースでは、土手に集まっている雑味が抽出され、コーヒーがまずくなる(!)。
それを、ずいぶん前に調べて知っていたから、土手の内側にだけお湯を注ぐよう尽力する。
でもこれがうまくいかない。「螺旋を描くように」を意識すると、どうしてもお湯が当たって、土手が崩れてしまう。あっ、やっちゃった! 目つきの悪い、極小のコンペイトウみたいな雑味たちが、ドリッパーの小さな穴を通過してコーヒーのなかにぢわっと広がっていく⋯⋯。
だめだめ! もっと螺旋を小さく! お湯を少しずつ! そう思うのだけど、もともと手先が不器用だからうまくいかない。ハンドドリップ用ではないふつうのケトルだから、お湯の線が太くなってしまうのも原因だろう。
やむなく「螺旋」を諦める。コーヒーの粉の中心めがけて、チョロッ、チョロッと慎重にお湯をためる。すると1回分の量が少なくなり、淹れきるまでにめっぽう時間がかかる。お湯も冷めてしまう。これでいいのかな? と不安になる。
数日苦戦して、もっといいやり方があるのではないかと今朝ようやくネットで調べてみた(最初からそうすればよかったのに)。「ハンドドリップ」で検索して、上位表示された2、3のサイトに目を通す。どのサイトにも、おしゃれな写真といっしょにハンドドリップのくわしい手順が紹介されている。
ほうほう、コーヒーがぬるくならないようにドリッパーやコップはあらかじめ温めておいたほうがいいのか。知らなかったなあ、今日からやってみよう! うんうん、コーヒーの粉を放置するんだよね。これは知ってる。かけひきかけひき。へえ、お湯を注ぐ回数は3〜4回くらいがいいんだ。となると、やっぱりいまのやり方じゃだめだな。7、8回くらい注いでるもん。わっ、このサイト、1回ずつのお湯のグラム数まで指定してるよ。すごいなあ。さすがに、ここまでストイックにはできないなあ⋯⋯。
⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯おかしい。
土手のことがどこにも書いていない!
どのサイトにも、お湯の注ぎ方に関しては、螺旋を描くように(「の」の字を描くように、と表現しているサイトもあった)というアドバイスがあるばかり。まるで触れてはいけないタブーででもあるかのように、土手が黙殺されている。
なにこれ、陰謀? コンプライアンス?
お湯どころか、文章でさえ土手に触れてはいけないってことになったのだろうか? 書いた文章が電波に乗って、コーヒーの粉に作用する? 爆発⋯⋯、祟り⋯⋯、雑味⋯⋯?
それとも、まさか⋯⋯と考えかけてゾッとする。
ひょっとして「コーヒーの粉の土手」という概念自体、そもそもこの世界には存在しないのではないか? わたしの記憶ちがいだった? というか妄想? こわいこわい、自分がこわい。なんだよ極小のコンペイトウみたいな雑味って、それ細菌じゃないか⋯⋯。
混乱状態のまま、すがるような気持ちで「ハンドドリップ 土手」と検索する。
すぐにこのサイトが表示された(わたしの妄想ではなかったとわかってひと安心)。
ほかの上位表示のサイトもふくめて、ざっと読んでみると⋯⋯。
ふむふむ。どうやら「土手にお湯をかけてはいけない」というのはちょっと前の風潮で、昨今は内から外までまんべんなくお湯を注ぐというやり方が主流になっているらしい(なーんだ、そうだったのか!)。
理由は、粉全体から抽出したほうが味のバランスがよくなるからとか、そもそも土手に雑味なんか集まってないんじゃないかとか、いろいろあるみたい(え? じゃあどうして土手を崩さない淹れ方が主流だったの? 当てずっぽう?)。ちょっと調べただけでは正確なことはよくわからないが、まあ、おいしいコーヒーが飲めるならなんでもいい。
それにしても、なんか肩の力が抜けたなあ。
苦手意識があっただけに、「土手を崩さない」が絶対ではないとわかってホッとしたのだ。粉にまんべんなく注ぐだけなら、手先の不器用なわたしにも簡単だ。
そのおかげか、今朝淹れたコーヒーはいつにもましておいしい気がする。この「気がする」というのが、わたしの場合なにより大事である(調べてよかったです)。