私が熊本の地域おこし協力隊です!

おはようございます。
ASOBERGHI DIFFUSI編集長の鈴木寿朋です。

名称未設定プロジェクト

経歴

・長崎県立東高等学校(中退)
・長崎私立長崎南山学園(転入)
・DANNEVIRK(NZ) 高校
・STRATFORD(NZ) 高校卒
・立教大学入学
・株式会社JTB(就職)新宿第三事業部(退職)
・ASOBERGHI DIFFUSI設立(起業)
・熊本県阿蘇郡高森町地域おこし協力隊(副業)
・100泊で完成する民泊運営中

高校中退は私の基本

私は日本で2つの高校を経験ました。(笑)
この時点で結構珍しいと思うのですがニュージーランドでも2つの高校に通いました。(笑)

パン屋を目指して高校中退しました。

「パン屋になる」かなりのパワーワードなんですが小学生の頃くもんで中学生の教材を全部終了し中学生では入試勉強をひたすらやっていました。当時の目標だった

頭の良い高校に入学する

を達成し長崎の頭の良い学生の一人として歩みを進めていました。そんな私ですが「焼き立て!!ジャぱん」という漫画にドハマリしてしまいました。

画像2

ど田舎の天才パン焼き少年の物語です。

知識のない高校生の私にとって勉強以外の道を極めた少年の物語に衝撃を受けたのを覚えています。

・勉強できないと「良い」大学に入れない
・勉強できないと「良い」就職先に入れない

そう教育されてきたのにこの少年は楽しそうじゃないか!そもそも「良い」ってなんなんだ?と考えるようになっていました。その日のうちにユーキャンにパン屋になるための資格教材の無料請求をして高校も午後から行くようになっていました。その頃のタイムスケジュール下に書いときます。笑

【高校中退前の一日】
6:00就寝
14:00起床
15:00登校
17:00友人とマクドナルド
22:00焼き立てジャぱん読み返し
3:00You Tubeを見る
6:00就寝

もちろんこんな生活をしていると親から心配されてカウンセリングに連れて行かれました。笑

「何か学校で嫌なことでもあったの?」とか
「一人で抱え込むのは良くないよ?」とか

必死にカウンセリングの人は私のことを心配しつつ優しい言葉をかけ続けてくれましたが二つ返事で「元気出ました!」と言って逃げていました笑

その時の悩み事は

「普通」とか「良い」とかって人によるから
私にその価値観を押し付けない空間はないのかなぁ

だったのを覚えています。
もちろんそんな場所はありませんでした。

そんな生活が2ヶ月ほど続いたある日、長崎南山のラグビー部から

ラグビーで日本一を目指さないか?

とお声掛けを頂きました。
小学校6年の頃一年間だけラグビーをやっていて九州大会で優勝したことが勧誘の要因だったようです。

日本一?バカかっけぇやん!

速攻で入学を決意しました。そこからはラグビーに没頭し、もっと強くなりたいとニュージーランドに留学して本場のラグビーを学びました。結局日本一にはなれず、花園ベスト16でラグビーを卒業することになりましたが良い思い出です。

何でもすぐに影響される人間だった高校時代でした。笑


退職が私の基本

58038_介護_退職届

ラグビーで立教大学に入学した後は速攻でラグビー部を辞めて衆議院議員の学生秘書をしながら2019年のラグビーワールドカップの裏方に携わろうと密かに野望を抱いていました。

そんなこともあり就職したのが

旅行会社のJTBでした。

結論から言うと4月入社の12月退職というスピード感溢れる就職でした。JTB新宿第三事業部というところで主に法人相手に旅行を提案したりMICE事業も少しというような部署でした。

会社は世界一ホワイトな企業ではないかと思うほどきっちりしていました。

申告していないと、早出社も残業もできないような会社です。残業代も15分毎に出るし、福利厚生もかなり充実していました。

しかし、旅行会社の未来の無さを感じてしまい速攻で退職。8ヶ月w

その後コロナが流行り始め、オリンピック中止。更にJTB赤字拡大。減給、ボーナスカットなど立て続けに悲惨なことが起きていました。判断は早いほうが良いですが、退職はしづらいんですかね。

ナイス退職!


個人事業主として会社の設立

ここからは退職からの経緯を話していきます。12月16日に退職しました。理由は12月10日にボーナスが貰えると知っていたのでそこまで粘りました(笑)そして退職して2週間くらいで荷物をまとめて

原付きで東京から熊本まで走りました。

真冬に原付きで長野県の山道突っ走ってるときは流石に「俺何やってんだろ。」って思いましたね。。。

それからは祖父の別荘(プレハブのようなボロ屋)に身を潜めていました。

それと同時にクラウドファンディングで人望をお金に変えて150万円位の貯金で

ASOBERGHI DIFFUSIを1月1日に立ち上げ代表になりました。


地域おこし協力隊になった日

2020年4月1日記念すべき転職記念日となりました。
3ヶ月かけて空き屋を使った企画を練り上げました。

7月 「100泊で完成する民泊の誕生です」

確かこの記事である程度書いてるので内容見てください。

地域おこし協力隊の成功例になる

言ってることはめちゃくちゃしょぼいんですけどね。笑
地域おこし協力隊っていうのは、都会から移住希望の方を雇う制度です。移住と共に仕事をしてもらうのですが、

本来は何かやりたいことがある希望者を
補助する仕組みだと思うんですよね。

それが現状ではお金もらえるから就職したという活気のない協力隊が非常に多いです。この現状を見たとき真の地域おこし協力隊になれるんじゃないかと感じました。

協力隊の成功例になる条件を考えました。

【協力隊の成功例の条件】
・個人事業主として生活できる売上を出すこと

どんなに町役場のお仕事を手伝おうと任期は3年です。3年後から一人で収益を出すためにできることをひたすら書きなぐりました。

たどり着いた答えが

空き屋の成功事例を使ったコンサルティングでした。

名称未設定プロジェクト


一軒の空き家に付加価値を付ける

画像5

まずは空き家を発見したので法務局に行って所有者探して手紙で賃貸借契約を結びました。そこから企画案を提出し無料で泊まっていいからきれいにするの手伝ってよ!とPR開始しました。民泊に必要そうなものを100泊のお客さんに持ってきてもらったら民泊になる説を検証しようと立ち上げました。

【町役場としてのメリット】
・企画を通して高森の認知度向上ができる
・移住定住者に魅力の発信ができる
・移住定住者の関係人口増加
・移住定住者の増加
・空き家の減少
【私のメリット】
・企画に挑戦できる
・空き家の利活用成功事例を作れる
・任期終了後の民泊事業収益を受け取れる

企画を練る際に重要視したのは上記に記載してある双方の観点を入れ込んだ企画を作ることでした。

【PRの方法】
・SNSをフル活用して常に情報発信
・メディアに興味を持たせる広告の掲示
・You Tubeにて一泊ごとの動画の配信

あっという間に半年で新聞の取材ネットブログの取材、ラジオの生出演など認知度を上げながら11泊目まで企画を進めることに成功しました。

関係人口を増やすための補助金を獲得し、体験事業に使う資材関係の購入もでき、後は宿泊希望者の獲得をどうしたらよいか考える段階まで来ました。

同時並行で私と同じ立場で仕事をする仲間を1名獲得し

2021年4月からは2名体制で企画の運営をできるまでに成長しています。

民泊業界の一個先を先取りして作り上げようとしています。

空き家の利活用案(100泊で完成する民泊案)を更にブラッシュアップして地方の空き家問題に悩んでいる自治体などに広めていきたいと考えています。

まだまだ、友人や家族ですら理解してもらえてないことなのでとりあえず継続して私の考えるアイディアを信じて行動してみます笑

ここまで読んでいただいた皆様ほんとにありがとうございます。
絶対成功させて有名になってみせます。

ASOBERGHI DIFFUSI 代表 鈴木寿朋

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