健一くんのカメラと初ヌード
健一くんはそのとき必死だった。笑っちゃうくらいに。わたしに土下座までした。健一くんとわたしは幼稚園からの友達で、同じ小学校で同級生だった。
五年生の夏休み、健一くんは学習雑誌の付録についてきた「カメラ」を持ってわたしの家に現れた。それは写真の原理を学ぶための簡易なもので、プラスチックの本体に小さなレンズがついた「カメラ」と、撮影のための印画紙、現像するための薬品がセットになっているものだ。
健一くんは撮影した写真も持って来た。公園の木を撮ったもので、大きさは免許証の顔写真の倍くらいの小さなものだ。
白黒でぼんやりした画像だったが、健一くんは自分のカメラで自分で撮ったのだと自慢した。現像も自分でやるのだと。
健一くんは、これでプライベートな撮影ができると考えたらしい。わたしを撮らせてくれというのだ。それも裸で。
大人の目に触れることなく写真が得られるということに、健一くんは鼻息荒く盛り上がってしまっている。
わたしは拒否した。当然だ。小五の女の子だってそんな写真を撮らせていいわけがないことくらいわかる。
健一くんは頭を床にこすり付けるようにして、「たのむ!」と言った。彼の言い分は
「幼稚園の頃は一緒に風呂にも入って遊んだ仲ではないか」
「できた写真は1枚プレゼントする」
「小学校を卒業するまで何でも言うことを聞く」
「このことは誰にも言わない。秘密にする」
だった。わたしは「何でも言うことを聞く」に魅力を感じた。いざという時にはこれは強力だ。わたしは健一くんを焦らしに焦らした上で、引き受けることにした。ただ、「パンツは脱がないよ」と念を押した。
翌日わたしの部屋で撮影をした。
母が妹を連れて買い物に行く予定があった。わたしたちは留守番だ。健一くんの「カメラ」は屋外の明るいところでも十秒以上の露光時間が必要なもので、室内ではもっと長い時間が必要だった。露光時間は健一くんが適当に決めた三分間にした。三分動かずにいるために、横になって寝るポーズにした。
押入れの襖の前に白いシーツを敷き、構図を決めるために服を着たままそこに寝た。健一くんはカメラについている小さなのぞき穴からわたしの方を見て、カメラの位置を調整した。カメラはわたしの部屋に図鑑を積み上げた即席の台の上に置いてある。健一くんはわたしの勉強机から電気スタンドを持ってきて、わたしに向けてスイッチを入れた。
「よし!準備できた。お願いします!」
健一くんは深々とわたしに頭を下げた。わたしは起き上がり、健一くんのほうは見ないようにして、着ていたワンピースを脱いだ。胸が丸出しになるのはやっぱり恥ずかしい。見ているのは健一くんだけなのにドキドキする。パンツ一枚の姿で、同じ位置に寝た。健一くんが照れ臭そうにこちらを見て、カメラのレンズ部分についているフタを外した。
「動かないでね、ここを見て」
健一くんは、レンズの部分を指差し、これも学習雑誌の付録についてきたという砂時計をカメラの横に置いた。これで一分間を計れるという。そして、砂時計と私を交互に見ている。
「恥ずかしいよ。やっぱり」
「黙って。口が動いちゃう」
「ごめん」
砂時計が2回返されて、長い長い三分間が過ぎた。撮影が終わった。健一くんはレンズにフタをし、わたしは服を着た。
「現像しよう」
暗室など無いから、押入れの布団を出して中に入り、そこで現像することにした。暑かった。
セットについている小さい皿に薬液を満たして、カメラから外した印画紙を浸す。ぼんやりと像が浮き上がってきたときは感動した。
薄暗い押入れの中でそれを別の薬品に浸し、最後は水で洗うと、白黒が反転した写真ができた。それをさらに別の印画紙に密着させて太陽光にあて、また押入れで現像し、やっと白黒写真ができあがった。プリントを二枚作った。
乾燥させて完成した小さなプリントを二人で見た。横たわる裸のわたしが不安げにこちらを見ている写真だ。肌は白く写っているが、ぼんやりした像で、実感がない。顔もブレている。
「ありがとう」
健一くんは本当に喜んでいるようだった。
「俺の宝物にする」
「約束忘れないでね」
「わかってる。何でも言うこと聞くから。本当にありがとう」
健一くんが泣きそうな勢いで喜んでいるのが可笑しかった。押入れと電気スタンド、図鑑を元にもどし、即席の写真スタジオは解体された。
わたしも一枚、同じ写真をもらった。裸の写真。
最近になってその写真が出てきた。忘れていたわたしの初ヌード。何十年も経っているので退色が激しいが、確かにわたしの裸像だ。懐かしさというより、なんだかくすぐったい。健一くんはまだ宝物として持っていてくれているだろうか。中学の途中で遠くに引っ越してしまい、しばらくは文通が続いたが、その後疎遠になっている。そういえば「なんでもいうことを聞く」の約束もそのままで終わったのかもしれない。
遠く甘酸っぱい記憶を蘇らせてくれた色あせた小さな写真。健一くんはなぜわたしの裸を撮りたかったのだろう。その「なぜ」をわたしは尋ねなかったような気がする。