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アパートの窓・謎のお姉さんの裸

 久しぶりに帰省したヒトシは、家の近所を歩いてみることにした。これまでは帰省しても家族と食事しながら「そろそろ結婚しないのか」と責められ、古い友人たちと会って酔っ払い、東京に戻るということの繰り返しだったから、一人でゆったり散歩するなどということはなかったのだ。
 実家のある町にはあまり大きな変化はなかった。少し離れた国道沿いに大きな商業施設ができていたが、そこは昔の生活圏ではなかった。

 見覚えのある角を曲がって、細い道に入った。記憶よりも狭い道だった。
 ここに来てみたかった。ヒトシの脳裏にある光景とその後の出来事が懐かしく、甘酸っぱく、鮮明に蘇った。
 建て替わって三階建てのアパートになっているこの場所には、かつて二階建ての白い壁のアパートがあった。

 小学五年生だったヒトシは、買ってもらったばかりの変速機付きの自転車を毎日近所で乗り回すのが楽しみで、この道もその周回コースの一部だった。
 夏休みのある日、ここを通りかかったヒトシは道に面したアパートのほうを見た。一階の真ん中の部屋の窓が開いていて、レースのカーテンが風に膨らみ、揺れているのがヒトシの視線をひきつけたのだ。
 室内が見えた。若い女の人が寝ていた。白い太ももから先が眩しかった。片膝を立てている。
 ヒトシは自転車をとめてゆっくりと戻った。もしかして裸なのか?胸がドキドキした。カーテンは戻っていて、室内はよく見えなくなっている。どうやら裸ではないようだった。ヒトシは胸をどきどきさせたまま自転車を発進させた。
 町内を一周して、ドキドキしながら同じ場所に戻ると、窓は閉じられていた。ヒトシは自転車をとめて窓を観察した。室内に人影は無いようだった。
 もう一周して、アパートの前で減速してみたが、窓の様子に変化はなかった。ヒトシはモヤモヤを抱えたまま帰宅した。

 その後何日かの間、ヒトシは窓を気にしながら周回を重ねた。またあの光景、お姉さんが裸かもしれない姿で寝ているところを見られるかもしれないと思ったのだ。毎日何周もした。そんなある日、同じように通りかかると、アパートの窓が開いていて、ショートパンツにTシャツ姿の女性が立ってこちらを見ていた。ヒトシは思わず自転車を止めてしまった。女性と目が合った。微笑みながら手を振って、こちらに来いと合図している。
「裏にドアがあるから来て。2号室」
 優しそうな声だった。ヒトシは自転車を押して裏に回った。自転車を止め、ドキドキしながら2号室のドアをノックした。

 すぐにドアが開いて、お姉さんが現れた。年齢はよくわからないが、二十歳くらいかなとヒトシは思った。髪を後ろでひとつにまとめていた。
「どうぞ、上がって」
「は、はい」
 言われるままに靴を脱いで部屋に入った。被っていた野球帽も取った。
「どうぞ、遠慮しないでそこに座ってね」
 小さなローテーブルを示された。部屋は片付いていて、隅のほうに段ボール箱がいくつか積んである。扇風機が首を振っていた。
「はい。どうぞ」
 お姉さんがグラスに入ったカルピスをテーブルに置いた。ピンク色のストローがついていた。強烈な色だったのでよく覚えている。
「ありがとうございます」
 ヒトシが緊張して答えるとお姉さんは微笑んでくれた。
「飲んでね」
 そういってお姉さんは自分のグラスからストローでカルピスを飲んだ。その口元もエッチな感じがした。
「小学生よね?」
「はい」
「いつも見てたでしょ?」
「え?」
「このお部屋」
「あ、あの……」
 怒られると思った。お姉さんは「見てた」と言ってくれたけど実際には「覗いていた」というほうが正確だ。
「ごめんなさい。僕……」
「いいの、いいの。ほら、お姉さんこんな格好だから、男の子には刺激強すぎるわよね。ごめんね。暑いからね。下着で寝てたこともあるから、それ見られちゃったかなって」
「ごめんなさい」
「だから、いいのよ。怒ってないから。あなたくらいの歳になると興味あるわよね。女の人のからだ」
 ヒトシはドキドキが止まらなくなっている。お姉さんはTシャツの下に下着をつけている感じがない。
「ごめんなさいね。ドキドキさせちゃったね。あ、お名前はなんていうの?わたしはアキコ、明るい子って書くの」
「ヒトシです。人偏に二と書くヒトシ」
「ヒトシくんね。でね、せっかくお友達になれたんだけど、わたし、この町を出るの。もうすぐ引っ越すの」
「え」
「残念なんだけどね。だからヒトシくんと一度お話ししてみたかったの。ごめんね急に呼び止めたりして。いい子みたいで安心した」
「いいえ、そんな」
 ヒトシには後ろめたさがあって、素直には喜べなかった。
「ねえ、ヒトシくん」
「はい」
「わたしの裸、見たい?」
「えっ?」
「いいのよ。見たくないならそれでもいいの。ヒトシくんの気持ち次第」
「え、っと。あの」
「可愛いわ。もじもじしているところ」
「いえ、あの」
「ごめんなさい。答えにくいわよね。いいわ。ちょっと待ってね」
 明子さんは立ち上がり、カーテンを閉じると、Tシャツとショートパンツを脱いだ。ヒトシの前に、ショーツ一枚の裸が現れた。輝くような白い肌が眩しかった。
「どう?」
「あの、きれいです。すごく、どきどきします」
「ありがとう。もっと近くに来ていいのよ。パンツは脱げないけど。よく見て」
 ヒトシは立ち上がって、明子さんの前に立った。もやもやと想像していた裸の本物が目の前にあった。乳房が汗ばんでいるのが見えた。
「おっぱい、触ってみる?」
「え?」
 答えを聞かずに明子さんはヒトシの手をとって、自分の胸に導いた。柔らかな感触に、ヒトシは腹の奥の方がきゅんと痛んだ。明子さんはヒトシを抱きしめた。
「ごめんなさい。悪いお姉さんよね、わたし」
 明子さんはヒトシから離れ、服をつけ、カーテンを開けた。
「怖かった?」
「いいえ。大丈夫です。あの、ありがとうございました」
 ヒトシの本心だった。
「可愛いのね」
「いえ、そんな」
「知り合ったばかりで残念だけど、たぶんこれでお別れになると思うの。わたしにはいい思い出になった。ヒトシくんにもそう思ってもらえると嬉しいけど、悪いお姉さんよね。ごめんなさい」
「いいえ、ここに呼んでもらえて嬉しかったです」
「ありがとね」
 明子さんはヒトシの頭を撫でてくれた。
「さようなら。元気でね」
「明子さんも、お元気で」
 ヒトシはアパートを出て、表の道に出た。明子さんが手を振ってくれた。ヒトシは夢のような出来事を処理できずにふらふらだった。転ばないように自転車を押し歩いて帰宅した。

 ヒトシは立ち止まったまま、無いはずの二階建てアパートを見ていた。あの時の、謎のモヤモヤする気持ちや、胸の膨らみの感触に感動した気持ちは二度と戻ってこないだろうなと思った。小五の自分を羨ましく思った。
 明子さんはなぜ自分を抱きしめたのだろう、とふと思った。今思えば、なんだか切実な感じがしていた。ただ、いまそれを知ることはできないし、これからも謎のままだろう。
 ヒトシは、アパートを覗く不審者にならないように、そっとその場を離れ、歩き出す。実家に戻って、ストローでカルピスを飲もうと思った。

 
 

 

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