放課後の生徒会室でおセンチになる
外が急に暗くなった。恐ろしげな暗い色の雲が低く広がって、空全体を覆っているのが窓から見える。
放課後の生徒会室にいるのは生徒会長の青山理沙と、副会長の田中大輔の二人だけだ。青山は、来週の生徒総会で提示する資料をパワーポイントのスライドにまとめているところだった。一学期の期末試験が終わるとすぐに総会で、生徒会執行部役員にとっては過酷なスケジュールだった。前年度の会計報告が主な議題だが、文化部と運動部の活動費を巡る対立もあり、執行部としても頭が痛い。生徒の自主性を尊重する校風が、生徒会役員の負担を増やしている面もあった。
「これは来ますね」
立ち上がった田中が外を見ながら言った。
「雨?」
「そう。なんかゴロゴロ聞こえるから雷も」
青山も席を立って田中に並び、外を見る。
「私たちも早く切り上げるべきだったわね」
書記の二人と会計は先に帰宅していた。田中は青山のサポートをするために残っていた。青山は三年生、田中は二年生だ。
田中が役員選挙に出て副会長を目指したのは、副会長になれば青山の近くにいることができるから、というだけの理由だった。これは誰にも話したことがない秘密だ。田中にとって、当時生徒会副会長だった青山理沙は憧れの人だった。一学年違うことが残念でならなかった。知的で活動的で、美しく輝いていた。その青山は次の会長候補で、おそらく対立候補も出ないだろうという噂だった。
田中は動いた。昨年秋の役員選挙で副会長に立候補したのである。周囲からは何でお前が、という反応しかなかった。候補者の中でも浮いてた。生徒会の役員たちはいつもなんだか難しい話をしている連中という印象だったから、それまでの田中からは考えられない行動だったのだ。
しかし、社交的な性格を武器に選挙活動を行い、田中は当選した。副会長として加わってみると、生徒会執行部は社会問題や政治に関する話題を真面目に話し合うようなグループだった。田中は青山たちの話題についていくために、それまでスポーツの結果くらいしか見ていなかったニュース番組も見るようになったし、ニュースサイトのスポーツ以外の記事も真剣に読むようになっていた。
激しい雨が降り始め、雷鳴も大きくなっていた。
「PCの電源、落とした方がいいかもしれません。雷でやられちゃうと大変だから」
田中は言った。
「念のために」
「そうね。ちょっと休みましょうか」
青山は席に戻って、パワーポイントの書類を保存してからパソコンの電源を落とし、電源ケーブルを抜いた。田中は、電気ポットに水を入れてスイッチを入れた。卒業した生徒会の先輩が置いていったポットだ。湯が沸いたらインスタントコーヒーを二人分つくる。
青山は窓際に戻って外を見ている。
「真っ暗になっちゃった」
「ほんとですね。すごい雲だ」
言いながら田中は窓際に立つ青山の後ろ姿を見ている。ポニーテールにまとめた綺麗な髪、肩の丸いライン、制服のスカートに包まれた腰まわり、すべてが完璧だ。
二人分の湯はすぐに沸き、マグカップに入れたコーヒーを持った田中も窓際に来た。カップをひとつ、青山に手渡す。
「ブラックですけど」
「ありがとう」
「熱いから気をつけてください」
「田中くん、いつもありがとね。いろいろ助けてくれて」
「いえ、青山さんを全力でサポートするのが俺のミッションですから。俺が決めたミッション」
「ありがと」
青山にとって、田中は可愛い弟のような存在だった。自身が副会長だった昨年の執行部にはいなかったタイプの、考えるよりもまず行動するような、ちょっと不安になるけれど憎めない後輩だ。田中の行動力と献身的なサポートのおかげでどれほど助かっているか。本当に頼りになるのはこういう男性なのかもしれない、と青山は感じている。恋愛とは違う何か別の感情なのではないかと自分では思っているが自信がない。信頼できる大切な人物であることは自覚している。
空が光るのと雷鳴との時間差が小さくなって、音も激しくなった。近くに落雷があったのか、重い振動を感じる。
「すごいですね」
「なんだかドラマチックね」
「ドラマチックですか?」
「こんなに急に変わる天気って、不思議。私は文系だけど、こういう自然の神秘みたいなの好きなの。理系だったらもっと違った見かたができるのかも、って思ったり」
「そうなんですね。俺はただ、すげー音だなって思うくらいで。感受性鈍いのかな」
「そんなことないと思う」
「ドラマチックな、すげー音」
「そうね」
青山は小さく笑って、姿勢を変えずに外を見ている。
「見ていると、なんだか、おセンチになっちゃう」
「え?オセンチ?」
「おセンチって言わないか。うちだけかしら。母がよく使うの」
「なんか、間抜けな感じがします。オセンチ」
「センチメンタルな気分になるとき、おセンチになるって。母がね」
「センチメンタル、ですか」
「そう。田中くんだったらどう表現する?」
「難しいです。そういう気分になる経験が足りないというか。俺、この通り雑な性格だから」
「雷って、好き?」
視線は外に向けたまま、青山が問いかける。
「雷ですか?特別考えたことないけど」
「雨は?」
「雷よりは好きかな」
「そう。私は雨が好きなの。こういう雨も」
なんだか今日の青山さん、おセンチなんだ、と田中は思った。普段見せない青山の一面を見たような、得した気分だ。
「田中くんは何が好き?」
「え?」
「何が好きなのかなって、ちょっと思っただけ。あんまりこういう話、したことないよね」
「そうですね。俺は、」
「何?」
「青山さんが好き」
何言ってるんだ俺、と田中は焦った。何か取り返しのつかないことを言ってしまったのかもしれない。この天気のせいで俺もおセンチになっちゃったのか。
「え?」
「青山さんが好きです」
「まぁ」
青山の顔を見ることができない。田中は雷雨の外を見たまま、姿勢を変えることができなかった。
「雷がそんなことを言わせるのかしら」
「雷じゃなくて、俺が、です」
「そう、ありがとう」
青山が田中に向けて姿勢を変えた気配がした。田中は思い切って青山に向き合った。
「あの……」
「なに?」
「変なこと言ってすみません。俺、どうかしてた。青山さんを先輩として尊敬してるという意味です」
「変なことじゃないわ。嬉しい」
すぐ近くの落雷で、轟音が続く。青山はマグカップを置き、田中の腕をとった。田中は心も体も固まる。緊張する。
「もう一度、言って」
「え?」
「田中くんの好きなもの」
「あの、え?」
「言って」
「はい。俺は、青山さんが好きです」
「嬉しい」
「それって、あの、どういう」
「田中くんの気持ちが嬉しいっていうこと。変ね、今日の私。おセンチで」
青山は男の子から直接こんなふうに「好き」と言われることが、入学して以来いままで無かった。ガードが固いと思われているのか、女子としての魅力がないのか。ストレートに好きと言ってくれる田中の態度が新鮮だった。
校内放送で今日の閉門時間を遅らせるという連絡が入った。放送室からではなく、職員室のマイクからだ。この雨の中生徒を追い出すことはできないという判断だろう。
「片付けましょうか。今日はもう無理ね」
田中の腕をとったままで、青山が言った。
「そうですね」
「田中くん」
「はい?」
「目をつぶってくれる?」
「え?」
「目を閉じて」
田中は目を閉じた。すぐに唇に感触が。ほんの一秒か二秒。えっ!?
青山は田中から離れて、書類を片付けはじめている。
「あの……」
「忘れてね。今日の事。誰にも言わないで」
「はい」
「田中くん」
「はい」
「ありがとね。これからもよろしく」
雷雨はおさまる気配がない。
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