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翻訳書ができるまで① 版権エージェントという仕事

先日、1冊の本ができるまでの過程を、おもに人文ジャンルの本に注目してご紹介しました。意外なまでにたくさんの人に読んでいただいて光栄です。みなさん書籍編集の裏側に関心があるようで、嬉しいかぎりです。

このなかで翻訳書についてはまた改めて書きましょうと書きました。期待の声もあったので、翻訳書のできるまでを解説しようと思ったのですが、そのためにはまず「版権エージェント」「著作権エージェント」などと呼ばれる仕事について説明する必要がありそうだと気付きました。業界では単に「エージェント」と呼ばれる業者がいまして、Agentつまり代理人なのですが、一言でいえば(主に海外との)著作権契約の仲介をしてくれる、力強い味方です。

もともと欧米の(とひっくるめて言うのも良くないのですが、おもに米国で発展した、英語でいう)Literary Agentと呼ばれる仕事をモデルとして日本で(ちょっと特殊に)発展した仕事ですので、まずは欧米(というか特に米国)におけるエージェントの仕事と出版事情を解説しようと思います。ノンフィクションも文芸もおおむね同じだと思いますが、学術書はまた事情が違いますので、今回はおもにノンフィクションと文芸について解説します。とはいえわたしもそんな詳しくはなく、調べながら書いているので、間違いやご指摘があればぜひ教えてください。

なお、Agent(エージェント)といえば「代理人」なので業務を行う個人を指し、Agency(エージェンシー)は「代理店」、つまりアージェントが所属する組織を指します。「弁護士」と「法律事務所」みたいな違いですね。日本で「エージェント」というとその両方をざっくりと指すことが多いです。Literary Agentは「出版エージェント」と訳すのが適切でしょうか。

欧米における出版とエージェント業務

日本では著者と出版社が直接出版契約を交わして、著作権管理も出版社が行うのが一般的です(なので大手出版社は人気漫画の海外展開やアニメ化・映画化などで大きな利益を得ているのですが、まあそれは余談です)。

一方欧米では、著者の代理人として出版エージェントが間に入って、出版社との交渉を行ったり、メディア対応を行ったり、著作権管理を行ったりするのが一般的です。

今年日本でも公開された映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』では、そんなエージェンシーに就職した若き作家志望の女性の姿が描かれていました。まずはアシスタントとして、J.D.サリンジャー担当のベテランエージェントのもとでファンレター対応を行い、徐々にサリンジャー本人とやりとりし、ひとりのエージェントとして成長してゆく姿が描かれています。

原作はジョアンナ・ラコフ『サリンジャーと過ごした日々』(井上里訳、柏書房。原題はMy Salinger Year)。詩人・ジャーナリストであるラコフが、ニューヨークの老舗エージェンシーでアシスタントとしてサリンジャーらと関わった経験を記した、文学への愛とレトリックに富んだメモワールです。

ここで描かれている通り、エージェントとはエージェンシーに所属し、作家を担当して仕事をします。上の映画や原作では、ラコフの上司マーガレットはサリンジャーのエージェントとして(サリンジャー以外の複数の作家も担当するわけですが)その作品の版権管理やメディア・読者対応を行うわけです。そのために作家からの信頼を経て契約して、その信頼に応える仕事をしなければなりません。

エージェントの仕事① 出版社に売り込む

エージェントには多くの仕事がありますが、まずもっとも重要な仕事は、作家(クライアント)から原稿を預かり、作品を出版社に売り込むことです。原稿を読んで、短編やエッセイならどの媒体で出すのが適切か、長編や作品集ならどの出版社で出すのが良いかを検討し、編集者に売り込みます。そしてより良い条件を出したところと契約するための仲介をし、その印税の一部(15%とか10%とか)が手数料(ロイヤルティ)としてエージェントの利益になる訳です。

その「良い条件」とは主に印税のことです。発表する媒体や出版社の知名度や実力も考慮されます。しかし、印税の考え方が日本と欧米では少し異なるので、解説しておきましょう。

日本では印税はおもに発行部数制実売部数制が取られています。たとえば印税10%で、定価2,000円の本を作ったとしましょう。発行部数制なら売れ行きにかかわらず、5,000部作ったら2,000×10%×5,000=100万円が印税として著者に振り込まれます。実売部数制なら2000×10%×売れた分が、1年ごとなど、定期的な精算で振り込まれるわけです。(あとは原稿料とか謝礼とかの場合もあるのですが、印税ではないのでまたの機会に。)

一方、欧米では一般にアドバンス制というやり方が取られています。アドバンスというのは印税の前払い金のこと。発行部数や売れ行きにかかわらず、契約時に一定額のアドバンスが支払われる訳です。たとえばアドバンスが10,000ドルで印税率10%という契約をしたとします。その時点で著者には10,000ドル(からエージェントの手数料を差し引いたぶん)が振り込まれます。その後、編集を経て、1冊20ドルで本が出版されました。本が売れに売れて5万部売れたとすると、印税が50000×20×10%=100,000ですから、アドバンスとの差額の90,000ドル(から手数料を差し引いた分)が追加で振り込まれるわけです。逆に1冊も売れなかったとしても、あるいはなんらかの事情で出版できなかったとしても、著者にはアドバンスの10,000ドルは確実に入ってくるわけです。

さて、エージェントの仕事に話を戻しましょう。エージェントは原稿を出版社に紹介し、良い条件を出してくれる出版社を探します。とても売れそうな作品があったとして、複数の出版社が出したいと言えば、基本的にはその会社同士で競わせて、よりよい条件を出した方と契約することになるわけです。印税率は基本的に一定なので、概ね高いアドバンスを提示した出版社に決まります。注目作品であればオークションによってアドバンスが7桁(ミリオン)になることもあります。出版社としては、他社に版権を取られないように高いアドバンスを提示して版権を買うことになりますから、ちょっとギャンブル的な側面もあります。売れると見込むからこそ高いアドバンスを支払う訳ですが、当然、必ずしも売れるわけではありません。参考ですが、以下では、過去に7桁のアドバンスが支払われた本が紹介されています(英語)。どれだけ読んだ本がありますか?

売り込み先には、海外出版社も含まれます。そのために国際ブックフェアに出展して海外の出版社やエージェントに作品や作家を紹介したり、カタログを作って翻訳しませんかと出版社に売り込んだり、という仕事もあります。これはまた次回に詳しく解説します。

エージェントの仕事② 著作権管理

無事に出版してくれる出版社が決まれば、出版契約を取り次ぐのもエージェントの仕事です。印税の条件のほかにも、利用の範囲や方法、契約期間などを定め、著者の利益を確保するために契約内容を確定して契約書を作成し、権利者と出版社の契約を取り持ちます。

また、映像化や翻案などの二次利用があればそのための契約を進めるのも仕事になりますし、著作権侵害があれば弁護士とともに対処にあたります。

エージェントの仕事③ 原稿を精査する

代理人というと事務仕事ばかりと思われるかも知れませんが、エージェントにも文学的な素養が求められ、編集者のような仕事をする部分もあります。

出版社に売り込むためには原稿を読み込み、見きわめなければいけません。良い作品として売り込めるレベルに磨き上げるために、原稿にアドバイスをしてリライトを要求することもあります。

また、上述の映画でも出てくるように、エージェントには日々、作家になりたい新人からの作品や企画書が送られてきます。日本では小説家になるには新人賞に応募する訳ですが、向こうでは持ち込み(submission)をすることが多いのです。読んで有望だと思えば作者に連絡を取り、契約して出版を実現するために動きます。多くの作品のなかから良い作品を見抜く目も必要になります。

エージェントの仕事④ 作家(クライアント)の面倒をみる

作家(クライアント)一人にたいしてエージェントは一人です。契約を解除して他のエージェントを探さない限り、その人の作家人生はエージェントと二人三脚で歩むことになるのです。

したがってエージェントは、作家のキャリアに深く関わることになります。作家に次回作を書くように促したり、どのようなものを書いてどのように発表するべきかをアドバイスしたり、必要なサポートがあれば手配するのも仕事です。先述の映画でも描かれている通り、サリンジャーは人と会うことを極端に嫌いましたから、メディアを寄せ付けない、ファンレターは受け取らないし返事をしないという態度を徹底していました。エージェントがサリンジャーの意向をくみ取り、彼のために抜かりない努力をしていたからこそ、彼の隠遁の作家生活が守られたわけです。

逆にメディアに露出したがる書き手であれば適切なメディアを選んでインタビューや出演の段取りを組んだりするのも仕事です。講演やイベントの登壇から、取材や海外訪問の手配など、関係者と協力して幅広く行います。

以上がおおまかなエージェントの仕事ですが、よりよい仕事をするために日ごろから作家だけでなく出版社の編集者や海外のエージェントと関係を保ったり、情報収集をしたり、新人の作家を探したり、権利侵害がないかを調べたり……などさまざまな仕事をするわけです。

なお、欧米であってもエージェントを持たずに自分で権利管理をして、出版社と直接契約をする書き手もいます。また学術書であればエージェントではなく出版社が権利を管理することも多いです。

日本におけるエージェント業務

先述の通り、日本にも似たようなエージェントという仕事があります。具体的なエージェンシーの名前を挙げれば、タトル・モリエイジェンシー日本ユニ・エージェンシーイングリッシュエージェンシーフランス著作権事務所などが有名どころです。しかし、欧米のエージェントとは若干、業務内容が違います。

もともと、欧米のようなエージェントを定着させようと出発したのですが、日本では作家が直接出版社と契約してやりとりする場合が多いですから、作家がエージェントと契約するのは稀です。日本のエージェントは、基本的には海外との著作権・翻訳出版権のやりとりをする仕事がメインです。そのためか出版エージェントではなくて、版権エージェントとか著作権エージェントと言われることが多いです。版権とは、原稿を編集・翻訳して出版する権利だと考えてもらえばよいでしょう(「版権」という権利はないのですが、一般に出版権や翻訳権のことを指します)。

海外とのやりとりというと、日本の作品を海外に紹介する版権輸出と、海外の作品を日本に紹介する版権輸入のふたつがあります。日本で売れている本を出版したいという海外の出版社からの要望に応えて、日本の出版社や権利者との契約を仲介するのが前者の版権輸出の仕事です。今回は「翻訳書ができるまで」なので、後者の版権輸入の仕事を紹介したいと思います。

海外作品を日本に紹介する

版権輸入のエージェントは海外のエージェントと日本の出版社をつなぐ仕事をしています。たとえばわたし(編集者)がカズオ・イシグロの作品の翻訳を出そうとしているとします。まず日本のエージェントに連絡を取り、カズオ・イシグロの権利を管理しているイギリスの出版エージェントに問い合わせてもらい、契約の仲介をしてもらいます。つまり翻訳出版の場合、一般的には出版社↔日本側エージェント↔現地エージェント↔原著者というルートで契約をすることになるのです(そうでない場合も結構あるのですが、それはまた次回)。

なお、エージェント(エージェンシー)同士には国を超えたつながりがあります。イシグロが契約している現地エージェントはRCW Literary Agencyですが、RCWは日本のイングリッシュ・エージェンシーと取引しているので、この場合わたしはイングリッシュ・エージェンシー経由で仲介を依頼することになるでしょう。

とはいえイシグロのような作家の作品を、わたしの所属先のような弱小出版社が出すのは夢のまた夢です。理由のひとつはイシグロのような人気作家の場合、アドバンスが高額になるので資金力がある出版社でないと版権を取得できないでしょう。もうひとつは、早川書房が長年イシグロの作品を邦訳出版している実績があるので、早川書房にオプション(優先交渉権)が与えられるだろうからです。

さて、また脱線しましたが、エージェントの仕事に話を戻しましょう。日本のエージェントが契約の仲介だけをする事務的な仕事かというと、そうではありません。つねに海外のエージェントと緊密な連絡を取って、海外の作品で売れている作品や売れそうな作品をチェックし、日本で興味を持ってくれそうな出版社・編集者に紹介します。そのために普段から編集者とも連絡を取り、どんな作品を日本で出版したがっているのかを把握しておく必要もあります。当然、海外エージェントとのやりとりや、作品の概要や原稿を読む必要がありますのでビジネスレベルの語学力(主に英語)は必須ですし、文学的な素養や良い作品を見抜く審美眼も必要になります。それぞれに得意分野や専門があって、欧米ノンフィクション担当、文学担当、エンタメ担当、などの担当領域があることが多いです。わたしはアジアの文学やジェンダーに関心があり、そのことを付き合いのあるエージェントさんも分かっているので、その分野で面白そうな本があれば紹介してくれるのです、本当にお世話になっております。

契約、そしての後も……

無事に契約に至りますと、海外エージェントと一緒に、双方の意向を踏まえて契約書を作成します。国それぞれで出版の常識が異なるので、その点をすりあわせて合意点を探って条文をチェックします。

契約書ができたら請求書を作って出版社に送り、手数料を差し引いて現地エージェントに送金します。国を超えた印税の支払いには税務関係の手続きも必要です(日本と本国の二重課税を避けるために、租税条約に基づく届出書を作るとか、居住者証明を取って貰うとか……もちろん、業務は全部エージェント一人ではなくてエージェンシーの他部署とも協働するのですが)。

契約したら一段落ですが、エージェントの仕事はこれで終わりではありません。契約通りに翻訳・出版が履行されているかを確かめなければいけません。たとえば契約には、出版前に翻訳原稿を権利者がチェックするという条項が含まれている場合があります。その場合は出版社から原稿が送られてきたら権利者に渡してチェックしてもらいます。カバーのデザインやタイトルも権利者の承認が必要な場合も多いです。日本と海外ではタイトルやブックデザインについての考え方が異なるので、日本の習慣を海外の権利者にわかりやすく説明して、納得してもらうのも仕事です。翻訳に際して質問があれば、出版社とエージェントを経由して回答を貰います。

また、刊行後は出来上がった本を出版社に送ってもらい、権利者に送付しますし、定期的に出版社からの印税報告を受け、権利者に送金するなど、末永いお仕事が続きます(これもおそらくエージェンシーの別部署がやっていますが、なにか問い合わせの必要があればエージェントが出版社や権利者に問い合わせます)。

さいごに

日本と欧米では出版慣行にどのような差があるのかはお分かりいただけたかと思います。それ以外の地域(アジアやラテンアメリカなど)ではどうかと言うと、日本と同様に著者と出版社が直接契約するスタイルが多いでしょうか。といっても欧米以外でも人気作家であれば欧米のエージェントの契約することも多いです。中国でも最近は人家が欧米のエージェントと契約する場合も増えているようですし、欧米のエージェンシーが中国はじめアジアの都市に事務所を置くケースも増えているようです。

エージェントを介する場合と介さない場合と、それぞれにメリットもデメリットもあります。エージェントが管理してくれれば、作家は余計な事務仕事や交渉ごとをしなくて済むので、執筆に集中できるという利点があります。また、交渉や契約の専門家に任せることで利益を最大化することにもつながります。編集者も余計な仕事をせず、本の編集に専念できます。

一方でエージェントは手数料を収入源にしているので、利益の低い仕事は嫌がります。お金にならないけど自分が本当に書きたい本があるとか、印税は低いけどこの出版社と仕事をしたいという著者のわがままは、エージェントはなかなか乗り気になってくれないでしょう。

一方、日本のように著者と出版社の契約になると、どうしても著者と編集者とのつながりが重要になります。信頼できる編集者と仕事をできるのは利点ですし、複数の出版社に担当編集者を持っていればそれだけ頼れる人も多くなります。しかしそれが出版を閉鎖的にしているという面もあります。新人の書き手に対して編集者がハラスメントを行うこともあるし、ベテランの書き手が君のところで書いてあげる代わりに……などといってセクハラをする場合もあります(エージェントがいればハラスメントがないかといえば、そうでもないのですが、しかし日本の出版業界のハラスメントはかなり深刻です)。利益よりも付き合い優先になってしまい、良い作品なのに正当な報酬が出ないということもあるでしょう。出版社側にとっても、付き合いのために批判的な意見を言うことができない場合もあるし、付き合いで出版しなければならないみたいなこともあります。

国が違えば出版事情もそれぞれです。ここでは大雑把に「欧米」と言ってしまいましたが、欧と米でも違うし、欧の中でもいろいろな事情があるのでしょう。わたしも海外の出版事情はあまり詳しくないのでまだまだ勉強しないといけないのですが…。

さて次回は、いよいよ日本で翻訳書ができるまでについて解説したいと思います。

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