10年後の現在地
東日本大震災から10年。
もう10年。まだ10年。まぁ人それぞれですね。
震災との向き合い方については一昨年にもう自分の中で総括したつもりで、今改めて震災について何かって感じではないので、それはこちらに。
毎年の事だけど、この時期には震災関連のテレビ番組やこういうブログ記事が一気に増える。特に今年は「10年」っていう何となく区切りのいい年(「区切りがいい」ってなんだよとは思うが)なので、例年以上に増えると思う。
ただ自分は割とこの空気は肯定派で、これまで震災には全然関係なく生活していた多くの人の目に触れることで、この時期だけは震災のことを思い出して風化防止に繋がって欲しいなと思っている。なので自分も書く。
あ、自分が生まれた陸前高田市も今実家がある気仙沼市も、この時期は一年で一番全国放送に映る日です。是非見ていってくださいな。
10年間で変わった安定の定義
10年間で変わったことなんてたくさんあるけど、個人的に大きく意識が変わったと感じるのは「安定」の定義かなぁと。
いわゆる「安定した職業に就く」とか「安定した会社を選ぶ」みたいなのは、今の時代からすると何となく古い考えのように思える。
でも、10年前の当時働いていた会社は一般的に名の知れた会社の子会社であり、その親会社はまぁそうそう潰れることはないだろうっていう感じの、それこそ「安定した」会社だった。田舎育ちでかつ父が公務員だったせいかうちの両親も安定志向なので、こういうので割と安心感あったっぽい。(逆に言うと、今の仕事はあんまり理解されていない気がする)
そんな中で、たった1日で自分の生きている世界が大きく変わってしまうことがあるっていう現実を目の当たりにし、一気に「安定」の定義が揺らいだ。
「今働いている会社がいつ無くなっても、生きていけるのか?」
安定してると思われるような会社であってもいつ無くなるかわからなくて、例えばそこを放り出されても「生きることを継続できる」方が安定してると言えるのでは?みたいな事を思った。
以降ずっとこれが頭の片隅に置かれることになって、この10年間の自分の行動指針や何らか決断時の判断基準になったように思う。で、当時の自分はもしここを放り出されたら生きていけるのか?と自問自答した結果、飛び出すことにした。
その後いくつかの会社を渡り歩き、同部署で隣に座っていた人が翌月でリストラされたり、所属しているチームが丸ごと解散したりして、「やっぱそういうことあるんだな〜」っていうのを身を持って実感することになった。
でも、もともと頭の片隅に置いておいた事なので、その後もなんとか生きているし、今は「まぁなんとかなるだろ」っていう気持ちがあるので、10年かけてそうやって生きるスキルを身につけることが出来たと言ってもいいんだろうこれは。
で、このコロナ渦。
仙台でもいろんな飲食店が潰れたりしてるし、今まで安定していたような業界までもが一気に赤字転落してるのを見た。うちの近所のスポーツジムもこのご時世でヨガコースを辞めたらしくて、ヨガインストラクターの皆さんが急に仕事なくなってしまったらしい。(いつも行く美容師さんが言ってた)
蛇足だけど、10年前に勤めていたいわゆる「安定した」会社と思われたところも、親会社は業界的にこのコロナの影響をモロに受けてるっぽいし、子会社も外資が入って経営が変わるような感じのニュースを見た。
そもそも真の「安定」なんてどこにもないのかもしれない。
安定を求めるために、不安定そうな選択肢を選ぶ。
自由を求めるために、不自由を許容する。
なんかそんな、一見矛盾してるように見えるけど、でも意思があるならそういう判断をして人間は生きていかないといけないんですねたぶん。
まとめ
いやまぁ、勢いに任せて思いの丈をつらつらと書き連ねただけなので、まともな章立ても出来ず、なんかまとめられる感じじゃないんだけど、この10年でそんな思いを抱えながら行動した結果、今の自分が居るここが私の現在地(アナザースカイ的な)。
次の10年もどうぞよろしくお願いします。