下手くそだっていいじゃない。
=本日のおひとりごと=
わたしは絵が本当に下手だ。
でも、思い描く絵が描けるようにはなりたい。
たぶん、絵として立体化させるのが苦手みたい。
文章でなら『膨らみ』が多少は表現できるのに
画像になると途端に苦手になる。
今朝、友人のFacebookでシェアされた動画。
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=uirDEeSjdCQ
お金は大切だ。
現代は紙幣での物々交換が主流だからである。
そもそも、古の物々交換を便利にするために紙幣が誕生したであろうに、
悲しいかな、その紙幣に支配されている。
それが悪と言うわけではないが、
もしお金のない世界があるとしたら、
わたしは何がしたいんだろう?
ふと心の足を停めて考える。
最近また、お金の仕組みについて考えている。
それはまたの機会にして、話を戻そう。
何がしたいの?と聞かれて
『これだ!』と明確なビジョンを示すのは
案外難しいと思う。
そこまでイメージできていれば、ほとんどのことは
実現させられているはずだから。
まだまだ曖昧で輪郭がボヤけているから
悩みも尽きないのかもしれない。
いや、正確にいえば、そこまで深く掘り下げ切れてないんだと思う。
つまりは自分に甘い。
それでも漠然と浮かぶことを列挙してみる。
ことばを紡ぐこと。
絵を書くこと。
妄想すること。
適当にメロディを作ること。
おしゃべりすること、聞くこと。
自然と人と戯れること。
自由に生きること。
旅するように暮らすこと。
今はサラリーマンをやめる、なんて言えないし
やめることが解決とも思えないのだけど
辞めなくても表現は至るところで可能で
それを今までは「自分の胸の中」にだけ
そっと閉まっておいた。
私の心の叫びにも似た"パッション"の塊は
自分でいうのも何だが、不思議なことに時々読み返すと、その時の自分にむしろ励まされている時さえある。
ある日「実は小説書いてるんです」と言ったら
『世の中に出しましょう。作品は人の目に触れて、初めて一人歩きするのですから』というようなことを、ある出版社の方に言って頂いたことがある。
誰かに承認してもらいたい、という気持ちが
ないといったら嘘になる。
存在価値の肯定を求めている私が必ずいる。
その一方で、
誰かに承認されないのではないか、という恐れも
あるといったらそれも然り。
今わたしは『誰かに認められること』よりも
『自分で思っている小さな恐れを壊す』ことを
ちょっとずつやってみたいな、と思っている。
だから、の実験的note。
上手じゃなくてもいいじゃない。
下手でもいいじゃない。
独自の味になるまで続ければ、
それはその人の作品へと見事に昇華するはずだ。
どの作品も、どの方々のnoteもとても素敵だ。
同じように、きっとわたしのnoteも、歪な原石。
規格さえも決まっていないキャンバスに
思いのままに絵を描く
時には放っておいて
時には重ねて塗りたくって
時には切り刻んで張り合わせて
自己中心的なんだけど
それでいて、どことなく調和のあるような
最終的に『纏まったな』と思ったところで
全部燃やして、またゼロから始めたい
永遠にループしていくんだろう
普遍的ってそういうことの中にある
共通項なのかもしれない
ちいさなことからはじめてみよう。
やめたくなったらやめればいい。
またやりたくなったらやればいい。
自分の表現くらい、自由にさせてよ。
(樹木希林ー死ぬときくらい好きにさせてよーに寄せて)
あ、でもね。
誰かを傷付けるのは悲しいから。
言葉は時に刃になるから。
武器は使い方を間違えないように気をつける。
それだけは忘れないようにと、自分に釘を刺す。
成人を迎えた皆さん、おめでとうございます。
晴れやかな天気の休日はお布団が干したい。
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