芸術というタイムマシン - 『瞳をとじて』
31年。
ビクトル・エリセは長編を作るのにこの時間をかけた。今の自分には途方もない時間に思える。単純にその間どうやって暮らしていたのかも気になる。しかし、歳を重ねるごとに1年が加速度的に早くなっていることに気づく。彼にとってあっという間だったのだろうか。そう思いながら鑑賞した。
結論から言うとこの時間は必要だったように思う。物語が持つ静謐な余白と記憶について。贅沢な169分だった。歳を取るというのは、それだけ戻れない時間(=ノスタルジア)が増えるということになる。実人生の時間としては。
しかしそれを記録することで、何度も「再生」することが出来る。それが写真であり、音楽であり、映画であり、芸術である。そんなことを教えてくれた映画だった。ゲームクリエイターの小島秀夫は、
とコメントしている。老獪さは感じなかったが、歳を重ねることはノスタルジアやセンチメントが増えることと同義であると思った。『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンは、もう戻れない時間に戻る瞬間を記録している。ビクトル・エリセもまた、そんなラストシーンを用意していた。つまり映画はタイムマシンであることを示唆している。
瞳をとじた彼の人生は幸せだったのか。そしてそれを見ている私は、記録されている映画は、幸せだったのだろうか。その答えは見る人に委ねられている。
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