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aries_sunrise
理解し合えない愉しさ
どんなに深い話ができる相手とも
注意深く、立ち入らないよう気をつけている一つの線がある。
それは。
自分の意見を述べるときに
相手にもその意見を理解してもらいたいと期待しないこと。
そして
同意できない相手の意見に対して
自分の感情を乗せて反対しないこと。
つまり、意見を述べるのと
同意を求めることを同一視しない、ということ。
当たり前のようでいて
やってしまいがち。
特に相手を想いやる心が強い女性は
相手と「同意」することが
相手と仲良くなるための方法であると
無意識に考えているように思う。
過去の私がそうであったように。
どうしてわかってくれないの。
どうしてそんなことを言うの。
意見が食い違ったときは、
悲しい気持ちを通り越して
怒りさえ芽生えてくる。
そんなときは。
「私の意見はこれだよ。
あなたの意見はそれなんだね。」
と一旦、自分を司会者のように
中立の立場に立たせて
お互いの意見を並べてみる。
そして、お互いに
お互いの考え方の違いについて
深掘りしてみる。
どうしてこういう視点を持っているのか。
どうしてこういう発言をしているのか。
生い立ちや今までの人間関係、
見てきたもの聴いてきたもの
全てが絡まり合って
ひとりひとりの思考パターンを作り上げている。
だからこそ
違って当たり前。
お互いの違いを知り、
その違いを二人で探り合うことこそが
仲良くなるための会話だったりもする。
意見の違いを言い合えるほどの相手と出会えることは
運命といっても過言でないほど
有難いこと。
意見の違いを
口論も喧嘩でもなく、
議論にして愉しむ。
そしてお互いを深く理解し合う。