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離婚して良かった事、再婚してよかった事 その2 地獄編
1歳になる前の次男を抱えながら、保育園付きの病院を選び、夜勤もし忙しい日々が続いた。
とにかく家を出るためには、お金を貯めて、独立しなければいけない。そんな思いで次男をおぶりながらケアマネージャーの資格も取った。
ケアマネージャーの資格はあまり役には立たなかったが、とりあえず転職には役に立った。
以前、誰かと話したときに、離婚するためには3,000,000万あったほうが良いと聞いたので、こっそりアルバイトもしていた。
夜勤明けでアルバイトをし、夜勤の入りまでアルバイトをし、今もそうだが、自分の時間は大体労働していた。
元夫とは話ができないと思っていたが、いちどだけ離婚したい話をした。
本当に期待を裏切らない相手である。話にならなかった。
そしてある時、私と子供と荷物が消えた。別居をした。
離婚と言うものは
協議離婚→話し合いで決まる。
調停離婚→家庭裁判所
裁判で決まる。裁判離婚
というものがある。
もちろん、話し合いの上で決めれる相手であれば、それに越した事はないと思うが、今回は2人の子供の親権を私がどうしても欲しかったし、さらには養育費もきちんと請求したかった。
その後に訪れる調停離婚の地獄的な時間とやりとりをまだ私は知らなかった。
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調停は、月に1回行われるが、これがまた体力を奪われる。家庭裁判所の調停員にこちらの言い分を話す。
お互いに顔を合わせる事は無い。それでもお互いの言い分が噛み合わないことを毎月知らされて、次回の日付けが決まるのだが、結局7回ぐらいこれを続けた。
5回目位からはもう疲れたなと言う気分の中でいたのに、どういうわけか実家の母が急に名古屋に来て、もう別居している。私と子供が住む家に泊まりに来た。
実はその時、実家の母親は元夫に会っており(北海道から蟹まで持って来て)どうにか家族としてやり直せないか話をしに行ってたらしい。
今はこの話も笑い話であるが、地獄みたいな日々である。
大体なんで蟹なんか持ってくるんだよと思う。
そういうことがあり、元夫ももう6回目で養育費や親権について了承するところが7回まで調停伸びた。
仕事をしながら、離婚の調停もしていたので、私自身も疲れて、自分が鬱になるかと思っていたが、離婚が成立した時は、やったーという感じであった。
しかし、家庭裁判所の調停員と言うものは、便利であってあまり考えてないのかなと言うところもある。うちは共働きで車が二台あったので、1台ずつ分ければいいと簡単に言ったが、どちらの車のお金も、私が一括で払っていた。そういう、えー?という話にも反論できず、もう二度とこの場所に行きたくない。早く終わらせたいと思うような気持ちにさせるのが離婚と言うものである。
私は離婚してよかったけども、できることならば、誰も離婚しないでこんなに疲れる思いをしない方が良いと思う。
結婚より困難なのが離婚で、人生最大の危機があるのは間違いない。今日も世の中が平和であることを願う。
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