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究極の自由を手に入れる

私は去年、沢山のものを失いました。

弟、健康、左のおっぱい、家具や雑貨、部屋の広さ、仕事、収入、人間関係。その他いろいろ。

挙げたらきりがないかもしれません。

失い過ぎたせいか、精神がどんどん病んでしまい、抑うつ状態へと突入してしまいました。

苦しくて、苦しくて、どうにもならなくて、死んだ方がましかもと思ったけど、死んだ後の方が更に苦しくなるということを知り、八方塞がりの状態でした。

今年に入って、さらに苦しさは重くなり、胸の所にある重くて押しつぶされそうなものをどうにか取り除くことができないかと思い始めました。

あまりにも辛すぎて、私が信頼できる数少ない友人の一人に会って話を聴いてもらうことにしました。

その友人も過去にパニック障害を患っていた経験があり、様々なことで治療をして、今はすっかり回復しています。

そんな友人から、「死にたい。」って健康な人は思わないよ。と言われた時、目から鱗が落ちました。

そうなんだ・・・。

みんなは死にたいって思わないんだ。

物ごごろついたころから、自分じゃなくなりたいとか、この人生を卒業させて欲しいとか、終わりにして欲しいとか思っていて、交通事故に遭わないかなとか、誰かに殺されないかなとか、いつも死ねないかなと考えていた私にとって、死にたいは、当たり前にある感覚だったのです。

もはや「死にたい。」と思わない状態がわからないというのが現状です。

健康な人は死にたいって思わない。

つまり、死にたいって思う人は不健康であるということです。

そう、私は精神も病気なのだとその時、知りました。

そして、この胸の重苦しいものは、私が病気であることの症状なのだと思ったのです。

合う病院が見つかるまで、色んな病院に行ったらいいよ。

そんな助言を受けて、ネットで調べて何軒か精神科へ行きました。

そして、ようやく私に合う精神科の先生が見つかり、私は今、神経症であることを知りました。

そして、神経症の原因は自分の観念や解釈、価値観、認知によるものであることを知りました。

それはパーソナリティー障害として私が私を困らせていたのです。

パーソナリティー障害が神経症を引き起こして、神経症が抑うつ状態を作り出しているのです。

原因がわかって、ようやく私はずっと向こうにある出口であろう光を見つけることができました。

そこから、自分と向き合うことが始まりました。

そうして、向き合ううちに、私は自分を生きていなかったことに気が付きました。

自分を生きてこなかったので、自分の幸せとか、楽しいこととか、嬉しいこと、そして好きなこと、望むことが全然わからないという現実に直面してしまいました。

私の望みは何?

私の好きは何?

毎日毎日問い続けました。

そして、様々な本を読んで、YouTubeを観て、自分と対話して、ようやく一つの好きを見つけました。

それが自由です。

どうやら私は自由が好きだったようです。

これはきっと生まれた時からの本質なのだと思います。

自由が好きということがわかった私は、決めました。

究極の自由を手に入れてみようと。

そして、自由とは何か、自由になるにはどうすればいいのか、考えました。

考えた結果・・・

自由とは限りなく身軽であること。

身軽であるには、限りなく所有を無くすこと。

ということに行きつきました。

そして私は今、限りなく所有を無くす作業をしています。

手始めに、今使っていないものは全て処分しました。

家具も、食器も、植物も、家にあるもの9割くらいの物を処分しました。

それでも意外と物がまだまだあることに驚いています。

次に、家無しになろうとしています。

家無しになる為には、どこに滞在しても収入がある状態を作る必要があります。在宅ワークできる仕事で、資格もスキルもさほどいらず、最低限の収入が確保できる仕事はないかと調べていたら、フリーランスのライターの仕事に行きつきました。

そして、私はすぐにライターの世界に飛び込みました。

今はもちろんお金にならないのが現状です。

でも、どんな世界も最初はみんな初心者です。

半年後から一年後に最低限の月収を稼げるようになろうと、今できることを努力しています。

究極の自由の先には何が待っているのだろうか・・・。

そんなことを感じながら、身体のだるさと、たまに襲ってくる抑うつ状態に翻弄されながらも、何とか自分を信じて進んでいる状態です。

究極の自由。

家無し放浪生活。

来年に実現できるように今を生きていきます。


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