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5000m 13分台出すまでの取組み~③2020年の練習編

前記事では5000mで13分台を出した年と、その前年の2年間の取組みを振返りました。

ここでは、13分台を出した翌年、更なる記録更新と日本選手権出場(B標準)を目指して取組んだことをまとめます。

尚、結果的に日本選手権出場は叶わず、この年のSBは14'07に留まり、以降記録の停滞期に入ります。

【各年度の主な取組みとポイント】

<2020年>

・社会人6年目。生活環境の変化(引越し、昇格)に加え、コロナ禍による各種制約を受けて、例年と異なるアプローチを求められた1年
・他方でモチベーションは前年から高い状態を維持。春先の調子も良好で、5000mレペを14'11でこなすなど好調
・シーズン早々の日本選手権標準記録(当時のB標準13'52)突破に向け、春の記録会での記録達成を視野に練習展開
・当初、4月下旬の記録会を目標レースとするも、コロナ禍で中止となる。その後も全国的なレース中止の流れが続き、最終的に7月のホクレンディスタンス千歳に照準を合わせることとした
・この間、練習計画の練り直しと調子の維持に苦慮
・月間走行距離は約500km
・前半シーズンにおいて5000mに向けた練習を行い、以下2レースに出場
 ▼7月のホクレンディスタンス士別で14’12(ラップ:2’46-45-53-55-51)
 ▼7月のホクレンディスタンス千歳で14’07(ラップ:2’43-44-51-56-52)
→レース展開は共に同様。3000m過ぎから余力がなくなり、終盤失速する流れとなった
→以後、脹脛靱帯炎と足底筋膜炎の悪化、モチベーション低下等により1ヶ月間の休養を余儀なくされることとなる
・休養を経た後の秋冬シーズンおいて、状態確認目的で10000mの以下2レースに出場
 ▼11月の八王子ロングディスタンスで30'13(14'50-15'23)
 ▼12月の平成国際大記録会で29'31(14'51-14'40)
・夏~冬にかけて有酸素系トレーニングの一環でハーフとフルマラソンへの出場を検討するも中止となる
・総じて、
 ・コロナ禍の影響に振り回された1年
 ・目標レースに向けた状態の合わせ方(ピーキング)に苦戦。目標レースから逆算して練習計画を立て、練習を実践する方法・仕組みがコロナ禍でうまく機能しなかった
 ・前半シーズンにおいて、自身の限界を超える高い目標をシビアに追い求めた結果、肉体面&精神面とも想定以上に疲弊。休養を余儀なくされる
 ・目標と現実のギャップに悩み、大きなモチベーション低下を招く
 ・後半シーズンは、体力や気持ちの立て直しを第一とし、具体的な目標を立てずに練習を展開。記録(SB)は悪いものではなく、その後のシーズンに向けて状態を戻すことができたと思料

【2020年7月 ホクレンディスタンス士別にて】

【2020年7月 ホクレンディスタンス千歳にて】

【小括】

・目標が高まるにつれて、競技はもとより日常生活の中で気を張ることが多くなっていたように感じる。また、当時は1人で練習を行うことの限界や焦りを感じ、目に見えない負担もあった。結果的に、これらが精神面での消耗の一端となっていたものと思料
・日ごろの練習の中で「前年以上の内容・設定で練習消化」と「前年にPBを出した際の感覚の再現」を意識しすぎていた感が否めない
・前者については、日ごろから練習の必達意識が良くも悪くも強まっていたように感じる。練習内容にゆとりをもたせるか、未達時のリカバリー策や疲労対策等にも留意しながら進めるべきであったと思料
・後者については、13分台を出した時の感覚を再現するべく、前年以上の高強度練習を行う等して感覚の作り込みを図るも、うまく行かなかった。疲労の蓄積に加え、理想と現実のギャップを起因としたストレスも感じていたところ、計画ありきでなく柔軟に対応することが必要であったと思料
・こうした中、兼ねてからの腸脛靭帯炎と足底筋膜炎が悪化。肉体面と精神面の双方が消耗し、約1か月の休養を取らざるを得なくなった

続きは別記事にて。

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