ゆるむ
【12/13】
「なんだか、緩んだ感じがしますね」
2週間に1度のカウンセリングで、2回続けて言われた。
過去に「なんだかあなたと話していると、こうずばっと結論を言わなくてはいけないような気がしてしまう」といったカウンセラーは、少し目を細めて、いつもより少しリラックスしているように見えた。
何度かこのnoteでも書いている通り、カウンセリングは「頭の中に思い浮かんだことを片っ端から言う」だった。でもなんだかこの日は、何も思いつかなくて、黙ってぼんやりしていると、カウンセラーが口を開いた。
「部長さんを諦められるようになったこと、それから、お母さまと距離を置いたこと、何か関係しているのかな?」
そう、ここ2週間ほどまた仕事が繁忙期に入っていて、忙しい日々が続いていた。いつもだったら疲れ果ててしんどい気持ちになって嫌になっていたと思うけど、なんだか今週は元気というか、忙しすぎて逆に面白くなってきた、という話をしていたあとだった。
たぶん、たぶん自分が頑張れば仕事がなんとかなる、コントロールできる、という自信みたいなものが出てきたということと、部長が言っていることを理解しないといけないと思っていたけど、これはもう理解できなくて仕方ないんだと諦められるようになったのかもということが心の安寧をもたらしたのだと思う。部長の言っていることがわからないというストレスから解放されたのだ。だって何言っているのかわからない。
母と物理的に離れたきっかけは彼氏と別れたことだと思っている。逆に、そこから色んな事を変えたり変わったりして、体感としては「膠着状態から抜け出して、波乗りをしている」感じ。そしてわたしにとってそれがすごく心地いい。
「私を幸福にするのは、『どこにでも行ける』という感覚だと思います」と口にしながら、米津玄師のことを思い出していた。「どこにも行けない」ことを歌いがちな米津玄師。
縛られている感覚がずっとあった、ここに根を張らないととは思っていなかったけれど、置かれた場所で咲けるように気張っていたのだと思う。
どこにでも行けるという感覚は、「ここはわたしがずっといる場所ではない」というある種の孤独に支えられている。バックパッカー中にも、ゲストハウスで働いていた時にも感じていた孤独。そして自由。どこにでも行ける、なんでも自分の匙加減で決められる。なんでも選べる。彼氏と付き合っていた時に一番心に負担がかかっていたのは、「いつ会えるんだろう」という予定の見えなさだった。いつ会えるのか、裏返すと今週の土日はわたしはいつ何ができるのか。それがなくなって、すごく気持ちが軽い。
果たしてわたしはゆるんでいるのか、その理由はどれのおかげなのか、本当のところはわからない。でも今は、前向きに動き始めたのを感じている。
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