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カップリングの妙? キャノンボール・アダレイwithビル・エヴァンス

 ビル・エヴァンスの名盤としても、キャノンボール・アダレイの名盤としても率先して名前が挙がりにくいアルバムではあるが、何とも心愉しく愛聴できる絶品の一枚だ。叙情的で内向的なビル・エヴァンスのピアノが、大らかで愉悦的なキャノンボール・アダレイのアルトサックスにほだされ、音楽がもたらす自由と快楽を純粋に享受しているように響く。

 強すぎる自己葛藤も頑迷なまでの自己もここでは鳴りを潜めている。あたかも仕事帰りのピアノマンが旧友とばったり出会って、行きつけのバーで一杯――気が向いて備え付きの楽器でセッションしているみたいに。リラックスした響きと、気心の通ったインター・プレイ。

 それを可能にしているのは、(意外と言っていいのかわからないけれど)キャノンボール・アダレイの柔軟性の高さだ。相手の世界観に沿ったコード進行というか、俺が俺がというような押しつけがましさがない。彼は音楽で自己主張や自己表現を叶えようとするミュージシャンではなく、あくまで音楽という風景が作り上げるイマジネーションを愛おしむミュージシャンだったのではないだろうか。彼の音色は地平を翔破するがごとく真っ直ぐで、大きく、朗らかでありながら、相手の意図や構想を邪魔しない。相手の提示する枠組みの中で目一杯楽しんだら、絵筆を相手に渡して続きを促すようにサポートに回る。彼の音楽の中に、歪んだエゴイズムは見当たらない。

 僕は常々ジャズに起こるこうしためぐり合わせをカップリングのように捉えてしまうのだけれど、まるで正反対な二人が織りなすこの音楽的境地は、妄想を耕すために必要な栄養素をたっぷり含んでいる上質な土壌である。二人はマイルス・デイヴィスの『kind of blue』においても共演しており、何かと縁が深い。いったい二人でどんな話をして、どんな共感を交わしてレコーディングすることになったのか、酌み交わしたお酒はなんだったのか、お互いのことをどう思っていたのか……妄想の材料はいくらでもある。

 一曲目『Waltz for Debby』はやはり名曲だ。楽曲の美しさと、キャノンボール・アダレイの柔軟性がよく映える。一応、キャノンボール・アダレイ名義のアルバムということになっているけれど、一曲目にこれを持ってこられるとやはりビル・エヴァンスのカラーの方が強い。1961年。ビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンとの伝説的トリオが生んだ「Waltz for Debby」が生まれるわずか3ヶ月前のことである。それだけに、これほど楽しい気分にさせてくれるビル・エヴァンスの「Waltz for Debby」が聴けるのは貴重だ。深く沈みがちな自我が、別種の才能を持った共演相手によって救われ、開けた地平というキャンパスに筆を走らせる彼の姿を見ることができる。彼の絵に差し込む太陽の光は、その相手がいなければ描かれることはなかった。新しい発想と、ユニークな転換。ジャズ・セッションの面白さがここにはある。


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