β-416 みつのあじ
他人の不幸は蜜の味。
という常套句があるように、不幸な話やスキャンダラスなものには、関心が高まってしまう傾向にある、身辺に影響がないうえに、自身の状況が芳しくないと感じ、そういう時に限って隣の芝生が青く見えたり、嫌なやつばかりが良い思いをしたり、はたまた世相ではこんな風潮なのにどうしてこの方々は・・・と考えてしまうと、知らず知らずのうちに、いや、望んで不幸なことを率先して思い描くようになってしまうのは、良くないとは知っていても、無意識にやってしまう傾向にあるようだ、どうやら。
それで、自身にとって忌み嫌っている方々が、さまざまなスキャンダルや内部告発などによって、週刊誌に掲載されたり、SNSで拡散されたりすると、思わず笑みがこぼれてしまう、という層が少なくはないのかな、と各所でのコメントを見るとそう思わざるを得ない。
そういうときの彼らの脳っていうのは、「やったぜ」「ざまあみろ」って思いで溢れているに違いない、蜜の味を隅々まで完膚なきまでに舐めていくことで、身辺での悪い流れや対応、関係性などと言った泥だらけの要素を幾分か洗い流す清涼剤になっているんだろうな、一時でも現実での不甲斐なさ、理不尽さを忘れられる材料として、こうした転げ落ちていくに違いないスクープに飛び込んでしまうのだろうな・・・なんて考察してしまう、非常に浅いけれど、そんな認識。
ただ、世において、ゴシップ大好きな層がどの程度いるのだろうか。
ワイドショーや週刊誌をよく見る方の界隈だと、そうした割合というのは8~9割程度と感じるのかもしれない、体感としては。
でも、実際はもっと低いだろうし、所詮は他のことだから気にも留めないし、そんな時間があるなら仕事をしていたり、大切な方々と一緒に過ごしたり、好きな趣味に没頭していたいだろうし、うれしい出来事を探して、それを見つけたら喜びたい(ここでの喜びなんてのは、スキャンダルによって不幸に陥ってしまう方々や団体のことではなく、金メダルを取った、優勝した、結婚したというもの。まあ、結婚系は妬みも無きにしも非ず)なんていう方々のほうが多いんじゃないかな、一概に2グループに分けて比べられないんだけどさ。
私自身は、あんまり他人が地獄に落ちる様相を示すものは、あんまり好きではない、思わず見かけてしまうことはあっても、なかなかほくそ笑むというような性格の悪さにまでは至らない、昔に比べて丸くなってしまったのは事実かな、昔の情緒不安定な時期は、蜜の味にすがっていたこともあったけれど、それで自身の状況が改善されるわけではなかったからね。
でも、呆れることや、諦めの境地に至ることはあります。
けど、正直言って、あんまりどっちのサイドにも傾きたくないね、是々非々。
偏っちゃいけない、基本的にはね。
傾くと、見えなくなるんですよ、ほんとに。
それだけは、ぜったいにやりたくない。
しかし、どっちにも寄らない行為がどれだけ難しいか。
適切な判断と下したものが、ほんとに適切か。
惑って過ごしながらも、落ち着いて対処していきたいあした・の・β<ベータ>でありました。
こういう事情で、呟いたり、記事を挙げたりする場合には、案外時間がかかることが多い。
影響力が少なくとも、炎上するときは無差別だからね。
細心の注意はこれからも払いつつ、これからも。