β-184 いけません、だけれども。
ときどき、「このまま生き続けてもどうしようもないな」なんて、思い浮かぶことがよくわかる。
ただ、やはり意気地なしなので、自ら絶つ選択を行えない。
突発的なことがあれば、また別になるのかもしれないけれど、そうしたところで、少なくともまだ自分にとっては、それをすることによって、良い報いが訪れるとは思えない、残していることもまだけっこうあるし、一つ平らげたら、次のそばが盛られるわんこそばのように、まだまだ"生"に対する執着が存在しているようだ。
でも、逝こうと思ったら、その路線も考えないといけないのかなとは考えている部分もあって、その手段も熟知している部分はあるし、時折見返してしまうこともある。
まあ、なかなか実行に至るほどのこともない。
周辺状況もそこまで好調というわけではないけれど、不調と言うわけでもなく、ある程度自身の裁量で采配できるような環境にはある、そんな状況下で疾病と事故がない限り、生涯を終えてしまうと却って宜しくはない顛末になることに違いもない、それもまた事実である。
このような観点から、今しばらく、現世に留まっているあした・の・β<ベータ>です。
されど、世の中にはさまざまなハラスメントや板挟みなどの人間関係に基づくトラブルに辟易して、でもその回避を知らない、あるいは考えてられないほど追い詰められてる方々がいて、そのなかには、飛び込んだり、落ち込んでみたり、用具を用いて傷つけたりして、実際に行動に移して、フィナーレを決める者もいて、そういう内容はとってもセンセーショナルなことなので、報道においては、報じないような対策と、「生きづらびっと」や「いのちの電話」で相談するように呼び掛けられてはいるけれど…。
ここからは、私の持論。
果たして、これから実行に移そうとする方が、そうした場所に相談するかと思えば、それこそ疑問符をつけざるを得ない。
そういう余裕もないだろうし、あって相談したとしてもね…わかってもらえないんじゃないかな、とか、却って嫌なことを言われてしまったという概念になってしまいがちな気もしてならない。
もちろん、そうした場所に相談することで、気持ちも和らぐこともあるけれどね、そうじゃないとコールセンターなどは意味を為しえないので。
だけどね、現実としては、いまの持論が本質なのだろうとは思う。
ことしは特殊な世相になってしまったので、エンターテイメントや観光業、医療従事者など、すべての業種において、なにかしらの対応や対策を講じないといけなかったり、末端部分を筆頭にその皺寄せがやって来たりしているというのは、ある程度察してはいる。
それに合わせて、この長い騒動を通じて、人様の思わぬ一面や知りたくなかった面を知ったり、不要不急のハラスメントを受けたり、減給・失業に対する不安や計画・路線変更をしなければなかったり、感染してしまった、濃厚接触者に認定されたことで、思いも言われぬ誹謗中傷を被ることになってしまった…など、かなりの人間の本質、獣みたいな性質というものを否応なく感じることが多かったなあと感じた部分もきっとあったのかと考えてみたり。
そうしたことを思い浮かべてると、期せずして生死に関わるセンセーショナルな事案が、出てきやすい傾向にあるのかもしれない、心理的事象に根拠はなく、妄言止まりではあるのは承知の上で。
この先、やっていけるかという不安、方針転換しても空中分解するかもしれないという懸念、いまの関係を絶ちたいけど、どうにも難しい、など、他にも負の側面を中心にさまざまな複雑な要件が重なってしまうからこそ、自ら最期を迎えるべく選択をしてしまうのだろうか…と考えるようになった。
そんな単純なものでもないか、そうじゃないと説明しづらい領域なので。
有名人の報道が際立つと年間の数がたとえ減少や横ばいだとしても、さも例年に比べ多くなっているというようなバイアスを欠けられてしまいがち、それに報道ではその内容を詳細に伝えないとしても、現在はインターネットが充分に発達しているので、検索してしまえば、その方法を容易に検索できて、実行しやすい時代になってしまっているので、報道すること自体を伏せていかないと、どうにもならない気もするが、当然、著名人だとそういうわけにもいかず、難しい領域にあることには違いない。
「なぜ、なんで」という思いは当然浮かぶとしても必要以上の詮索は、傷口に塩を塗る行為なので、それはやめてもらいたい。
とはいえ、その線引きが難しいのは承知の上に、万人が理解される線の引き方なんてのはない。
むしろ、非難されるやり方のほうが多く集まってしまうってのは、どのやり口に対してもあることだとは思う。
こう書いてしまって、考え込むと、ますます生きづらいなって錯覚してしまう気持ちがしてならない。
まとまってもないし、やはり、「死」の話題に関しては、生きてる方々だれもが理解し得ない部分があり、憶測の域を出ることはない。
ただ、ここ最近の世情を、まとまりがない中でも整理しておきたかったし、そのうえで、生きるならどう生き抜くか、ということなどを考えていきたかったのかもしれない。
もともとは、太字に書いたように「よくいのちの電話や生きづらびっとって報じられるよね、確かに後追いがいるかもしれないし、その報道で一大決心しちゃったり、苦しんでたりしている方も見てるのかもしれないけど、果たして、もう決めてしまってるひとが通話したりメッセージを送ったりしてるの、いや、してないことが多いでしょ?」という疑問から膨らまして書いてみました、というだけで、ここまで。
とはいえ、まじめな話、自分の命もそんなに長くはないと思う。
自ら仕留めることはないと思う、ただ、災害に巻き込まれたり、諸々の事件で流れ弾に遭ったり、交通事故に遭ったり、突然、大動脈や心臓が張り裂けたりという事案も無いわけではない。
なんだかんだ長く生きたとしてもそれは結果論、一寸先は闇、奈落という気持ちはどんなに好調でも不調でも不変の考えではある。
そんなことも相まって、ここでこういった世相に絡めたセンセーショナルな(もちろん、これでも隠してはいる、直接的表現のほうが思いつきやすいし、わかりやすいけれど、ただそれではえげつない)話題を提示してみて、少しでも多くの方に賛否あれど提示していかないといけないのかなって。
それこそ不要不急、ただ、どこかで破裂するときは来る。
未然に防ぐべく、ちょっとここで吐き出して。
そして、きょうを締めくくらんとす。
それでは、また。
いいなと思ったら応援しよう!
![あした・の・β<ベータ>](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/24225042/profile_a9d921ca24fd5a9b38029add7c43f4f3.png?width=600&crop=1:1,smart)