β-226 わたしだいきらい
うん、ちょっとはなしたいことがあって。
いいかな?
ゆるしをえなくても、ちょっとつたえようとしてる。
さて、
いいことはそんなにおこらない。
おこるんだけど、なんだかあとになってのこってない。
むしろ、わるいものがきわだっている。
すくなくとも、わたしはそうだよ。
みんなはどうかな?
ちょっと、いきるのにつかれはじめているじぶんもいれば、まだまだやれるんじゃないってじぶんもいる。
どうして、めんへらになっているんだろう?
むかしは、そんなきゃら、すきじゃないし、いまもそう。
でも、よわくなってしまったら、どうしてもそういうかんじょうになってしまう。
いつからなんだろう?
しゃかいのあらなみ、せそうのながれ、ふあんをあおるひとびと、そういうのにちょくめんすると、つかれてしまうのよね。
そうなってしまうと、しぜんとめんへらになったりかまってちゃんになってしまったり、そんなわたしがだいきらい。
ぽじてぃぶよりもねがてぃぶのほうがじぶんをりっせるとしんじてる。
でも、どっちのほうめんも、かたむきすぎるとすきをつかれて、だれかのすきにされてしまうの、わかっちゃいるけど、むずかしいんよね。
どうしたらいいんかな?
こんなことかんがえるわたしは、きほんてきにきらい。
わたしはふつうにきらいなものやひとなんてのは、いなくはないけど、すくないほうだとはおもっている。
じぶんでなければ、ときをへて、ばしょをはなれれば、ほかのことにおわれて、きらいというかんじょうからむかんしんにうつっていく。
でも、「じぶん」というのは、むかんしんではいられない、じががつづくかぎり。
だからいちばんきらい、でもきらいなりにやっていかなきゃなってことはすくなからずあるともおもってる。
きらいなじぶんは、このあと、どのようにせいかつしていくのだろう。
とうじしゃなのに、だいさんしゃ。
そんなめせんで、べーたはかつどうしてまいります。
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