成人から令和元年までの話
今回は前回の続きからです
自殺未遂。鬱病と診断。
先輩事件があったあと自殺未遂をして心療内科に受診し、鬱病と診断された。
希死念慮が強くて目を離せばまた自殺を繰り返すだろうと言われた。
通勤時間が長いのと祖母に「他の年寄りの面倒は見て私の面倒は見ない不孝者!」と罵られ始めていたので職場の近くのアパートに引っ越して2、3ヶ月で勤務期間も4ヶ月ぐらいだった気がする。
実家で休むように先生に言われ母と母の彼氏と弟がいる家に行くことになった。
鬱病で仕事を休むように言われたことを、職場に電話した。師長に回してもらい話すと
「気の持ちようじゃない?ぼっさちゃんは若いんだからここで休まれちゃ困るよ、明日出てきてね」
師長は声が大きかったので母にまで聞こえた。この時の母はどんな気持ちか分からなかったが電話を代わるように言われ母に電話を渡した。
すると
「娘は鬱病と診断されました。そちらで働いている○○という職員に暴言を吐かれたり代わりに出勤させられたりして。あなたは師長ですよね?職員の教育がなっていない結果自殺者を出すところだったんですよ?生きていればいい、と思ったんですか?介護施設の職員がそんなことでは困ります。訴えますよ?」
すごく怒ってました。自分のことでこんな怒ることあるんだな、と初めて思いました。怒ってる母が怖かったのか師長は慌てて1週間休んでいいとOKをくれました。
[鬱病で1週間は短すぎると思うが]
この1週間、母は気持ち悪いくらい優しかった。
「食べたいものある?一緒に食べに行こっか」
「欲しいものある?」「大丈夫?気持ち落ち込んでない?」「寝たかったら寝てもいいからね」
一緒に病院帰りにお昼に食べたとんかつ定食を覚えてる。
辛くて泣いて死にたいと呟いたら背中を摩ってくれたことを覚えてる。
1週間だったけど、虐待されていても母が大好きだと認識した時だった。
お兄さん達が反抗してごめんなさい、自分はお母さん大好きだよ。
考えてみたらお父さんが死んでシングルマザーで二人の子供を育てたんだもんね、もう逆らわないし助け合って生きていこうねお母さん。
そう思った。
令和元年
自分の自殺未遂事件に関係した先輩の事は法人の上層部にまで話が行きクビになって施設を去っていった。
最後何か差し入れを持ってやってきたらしいが、自分が出勤していた日だったこともありフロアには来ず事務所に預けて帰って行ったらしい。
その差し入れにフロアの職員は一切手をつけなかった。
師長も連絡をお願いし続けていたこと、連勤に気づかなったことなどを謝ってきた。
本当なら訴えるとか出来たのかもしれないけど、面倒が増えるのが嫌だったのでしなかった。
仕事を沢山して先輩の事や師長の言ったことを忘れるようにした。
介護福祉士の資格もとってあれよあれよという間に施設で働き出して7年の古株になってた。
若さゆえに夜勤も月10回とかして、バリバリ稼いでた。最初こそ少なかった給料だったけど20万越えた時は嬉しかった。
猫の飼える物件に引越ししてクリームタビーのオスのスコティッシュフォールドを飼い始めて鬱病だったとは思えないほど毎日楽しく生きていた。
好きなゲームに課金もしたり同人活動してサークル参加もした。やりたいことをやりまくっていた。
いつものようにゲームをゲームで知り合った子と通話しながらやっていた時の事だ。
夜の7時ぐらい。母から電話が来た。
母から連絡が来るのは初めてだった。[いつもは自分からしてた]
内容はこうだった。
「弟が仕事に行っていない。何か知らない?」
だった。
弟に関して本当に何も知らず、「知らない」とだけ返した。詳しく聞くと1週間無断欠勤している。との事だった。
この時弟は、実家である一軒家に1人で住んでいた。祖母は認知症が進み、施設に入っていた。
自分も一人暮らしを離れた街でしていたし、母も母の彼氏の家で住んでいるので弟の最近の様子を知る人はいなかった。
「釣り好きだから釣りに行ってるんじゃない?」
と返して電話を切った。
通話してる子はすごく心配していた。
次の日職場に弟が行方不明であることを話して探しに行くことを伝えた。
だが、休みはくれなかった。警察や探偵に任せれば大丈夫と言われた。実家は遠い所だったから仕事帰りに行くと行っても秋だったので暗くなるのも早く、素人では何も出来ないと言われた。
悔しさと不安があったが、その通りと思った所もあった。それでも仕事帰りに実家の方まで行き探した。言われた通り暗くて何も見えなかった。
弟は行方不明者として警察、探偵によって捜索が始まった。
おかえり。
弟の車は駐車場にあり、遠くへは行っていないのではと市内を中心に探すことになっていた。だが、自転車がなかった為釣りが趣味な弟だったので川や釣りができる沼なども探した。ソロキャンプとかする子だったので。
寒くてたまらない12月の初め。弟の高校生の時の同級生が探すのを手伝うとTwitterでDMが来て家を訪れたあの日。
弟は見つかった。
県を流れる大きな川で。
ウォーキング中の人が見つけてくれた。
川に浮いている所を。遺体となった状態で。
母から聞いた時嘘だと思った。それは弟じゃないと。
弟はどこかでソロキャンプしてるんだ。と。
警察が遺体が持っていた遺品を確認したら弟の名前の免許証がでてきた。
財布をしまう所も弟と同じ場所だった。
弟か確認を、と言われるはずだが死後2ヶ月位でとても見せられる状態ではなく、自分がみた最後の弟は祖母のために祖母の施設へ洋服を届けてマックのビックマックを片手で頬張るまだ25歳の可愛い弟だった。
そしてその月末、施設に入っていた祖母も亡くなった。
母は弟がおばあちゃんっ子だったから連れていったのかなと言っていた。
自分は家族を一気に二人亡くしたのだ。
辛くなってきたんでまた次に書きます