今更ではあるが、"親ガチャ"という言葉について、ふと思った。 親ガチャ、ということで、それは子供目線の話である。しかしながら子供というものは、ガチャを引ける立場にはない。 子供は親から出てくるものであり、ガチャポンのカプセルそのものである。ガチャの中身がガチャの本体を選べることは決してない。 ガチャの中身は既にその本体から出てくることは決定されており、後は出てくるか出て来ないかの選択肢しかない。 だから親ガチャなんてものはないし、当たりも外れも存在しない。ひ
今年の夏は割とホラーにハマっていた。ひょんなことからYouTubeで心霊ロケとか怪談とかを見るようになり、その流れでホラー映画も幾つか見た。 ホラー映画はもちろん怖いのだが、それ以上に私は怒りを覚えることが多かった。久しぶりにそういうのを観た感想が、怖い、よりも、ムカつく、とかの比率の方が高く、自分ってそんなだったっけ?と思った。 私は成長したのだろうか。たしか昔はもっと新鮮に怖がっていたような、いないような、そんな気がする。 ただホラー映画には大体ムカつく奴が登
老害という言葉、おかしいのではないかとふと思った。 害をなす老人ということだから、害虫や害獣のように、害老、もしくは害老人といわなければいけないのではないか。 老害だと、災害や水害のように捉えられ、老いによる害、ということになり、個人を示す言葉ではなくなるのではないかと思う。 つまり老害とは、老眼や物忘れに悩まされる中高年が、「最近老害が酷くてね」というように使うべきであった。 今老害という言葉を、個人や特定の人物を攻撃する為に使ってる人々は、直ちに害老、もし
十何年振りとかにバトル・ロワイアルを見て、めちゃくちゃハマった。小説、映画、漫画、全部見た。学生時代、それこそ15歳近くの読書視聴体験が思い起こされた。 結局こういうのが1番好きなのかもしれない。私が純文学に傾倒したきっかけも村上龍だった。暴力。エロ。グロテスク。なんだかんだで人間が1番感じ入るのはそれだよ。 やはり原作が1番いいと思われる。映画は時間の兼ね合いがあるし、漫画は超人めいた部分が目立つ。じっくりと話が進み、それぞれのキャラクターも分かる。 666ペ
久しぶりにハリー・ポッターとアズカバンの囚人を見た。当初は久しぶりの予定ではなかった。というのも私は勝手に初見だと思い込んでいたのである。そしたら違った。風船おばさんとかディメンターとか人狼とかデジャヴデジャヴ。エクスペクトパトローナムで沢山のディメンターを蹴散らすとことか、ラスト箒で飛んで止まるハリーとか特にデジャヴだった。すっごい既視感なのだよ。 それなのに話の内容はまるで忘却。シリウスとかルーピンとかペティグリューの顛末は素直に驚いた。よくこんな衝撃な話を忘れられた
夜が長くて憂鬱になっている。もういいんだ、もういいんだ。僕にできることなんて何もないんだ。へへへ。時計を見たら偶然にも4:44だった。不吉。不吉。幽霊が出たらいい。でもきっと出ない。てかいない。幽霊が存在して霊能者が本物だったとしたら、もっとすんごいビジネスして億万長者になっている。ポルターガイストとかコスパ良すぎるもん。何もないのにパワー。幽霊と契約していっぱい仕事させる。霊力発電とかやっちゃう。がっぽがっぽやで。ビルゲイツくらい金持ちになれそう。本当に幽霊いたら、聞き分け
立て続けに犯人を当てられなかった。こんなことは初めてのことだった。コナンが本気を出してきた、というより今までのパターンを裏切ってきた。最後の上映殺人事件、結婚前夜の密室事件。これらの事件の犯人はノーヒント過ぎた。ノーヒントというか、あるべき筈の彼らの怪しいシーンがまるでなかった。犯人を完全にモブに仕立て上げ、他の人物に怪しさを漂わせるミスリードにハマってしまった。そんなことする? やられた。やられたよ。浮いたシーン探偵の私には手も足も出なかった。事件のトリックを理解し、物証
シーズン4にしてとうとう灰原さんが登場した。クールではあるがなんだかんだ優しい彼女に私は首ったけ。シェリー、優しく俺をしかってくれ、そして俺を抱きしめておくれ。黒の組織にいた時の灰原さんのコードネームはシェリー。尾崎のあの歌は紛れもなく彼女のことを歌っていた。分かるよ尾崎くん、私も同じ気持ちだ。 なんせ彼女は声がいい。cv林原めぐみ。綾波レイと同じ声、わーいわい。エヴァといえばやはり綾波レイだった。アスカも別に嫌いではないが、やはり綾波レイだった。それにアスカのキャラクタ
運命のルーレット廻して。コナンのOPのこの曲を久しぶりに聞いた。とてもエモーショナルで懐懐ソングだった訳だが、私はこの曲をZARDが歌っていると知らなかった。声は明らかにZARDであるのに、私はそれを認識できていなかった。思えば当時の私はガキもガキだったので、ZARDの存在自体を知らなかったのかもしれない。後年、私はZARDの名曲の数々を知ることになる。にも関わらず、私の中で負けないでやマイフレンドの歌い手と運命のルーレット廻しての歌い手が合致することはなかった。不思議なこ
意識がない間にまるで分からなかった事件を自分が解決していたなんて聞いたら普通びびる。自分はおかしくなったのか。夢遊病? 多重人格? 気を病んでしまいとりあえず病院に通う。あと事件のよきタイミングで訪れる抗うことのできぬ睡魔。その原因は一体何か。やはり解明の為に病院に通う。毛利小五郎はそのようなことを気にもとめず、なんか勝手に事件解決してるし有名になれるから別どうでもいいやと思っているのだろうか。なんてタフネスさ。と思いきや83話で濡れ衣を着させられた時、自分は意識がなくなっ
私の犯人的中率は8割を超えた。まさか自分が名探偵だったとは思いもしなかった。この世の全ての謎は私の為にあるようなものだった。とか言って。やはり物語を作る立場からすると、観ていて自然と違和感に気付く。今のシーンいる?とか、この人そんな取り上げなくてもよくない?とか。大体そうゆう浮いた場面は間違いなく事件と何らかの関わりがある。無駄なシーンなんて存在しないし、全く触れられなかったモブキャラが犯人になることもない。そうゆうメタ推理によって私は名探偵に上り詰めることができたのだ。ト
最近の私は専ら懐古主義であり、コナンくんを初めから見る活動に勤しんでいる。その中で私は時に違和を感じ、時にそうだったのかという真実を長い年月を経て発見した。その中でも本日は少年探偵団について書きたいと思う。 まず驚いたのが彼らの年齢、学年。私はてっきり彼らのことを小学校三、四年くらいだと思っていた。しかし彼らは小学校一年生である。そうだったのか。なぜ私は長年そのような間違ったイメージを抱いてしまっていたのか。この事件の謎を解く鍵は他でもない少年探偵団の彼ら自体にあった。
久方ぶりに幽遊白書のアニメを見た。OPの微笑みの爆弾なちぃと思ったのだが、比較的有名な曲であるし、テレビや何かしらで聞く機会がたまにあった。本当になちかったのはEDのホームワークが終わらないであったり、さよならbyebyeだったり、アンバランスなkissをしてだったり、太陽がまた輝くときだったり、デイドリームジェネレーションだったりした。これらのなちさは凄まじく、そのメロディーが私の鼓膜を震わしたのは以前聞いた時からどれだけの年月を隔てているのだろうか。10年、いや、20年
ハンターハンターは旧アニメのヨークシン編のあの雰囲気が素晴らしすぎると思う。なんといってもOPの太陽は夜も輝く。あの雰囲気が、あの感じが、怠惰が、エモーショナルが、闇が、寂しさが、それくらい圧倒的にハンターハンターのヨークシン編を形づくってしまったと思う。実際はどうかなんて知らない。私がそう思ったということだ。なんだろうな。いざ遡って時系列を追ってみるとふむふむ、大したことないなと思ってしまう。思ってしまっている。でも実際にはバチクソにかまされている。そういうものなのだろう
フレーってフレーって何度も言わせるなんていう才能 LiSAのだってアタシのヒーロー。のサビがいいね。もっぱらヒロアカからなのだけれど、ヒロアカのedではこれが一番好きかも。opは専らピースサインだね。ヒロアカのopedがいい曲ばかりなのは置いといて、アタシのヒーロー。のサビを口ずさむのは、私も誰かを応援したくなっている、そんな心境なのかもしれない。てかお前が頑張れやーい。ははは、テラワロス。推しを探そうかな。そうなるとやっぱり沙悟浄になってしまうよね。ウッチャン! ウッ
ニドランの♂と♀で分かれるのは人間みたいだ。