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「為すべきことを為せ」 屋宜優太

今回のnote担当させていただく3年屋宜優太(我孫子高校)です。

2022年になり、自分の大学サッカーのおわりへ刻々と近づくのを感じる。最後の1年はとても濃く、充実した1年になるだろう。


このnoteを書くにつれて一番強く思ったのは、「たくさんの人に支えられている」ということだ。親のおかげで小さい頃からサッカーができている。



サッカーを本格的にはじめたのは小学1年生の頃、父と兄の影響で気づいたらはじめていた。最初の頃はただただボールを追いかけては蹴り出し、追いかける。その繰り返しだった。小学生の頃は楽しくサッカーができていればそれでいいと思っていた。小さい頃からはじめていたためか、その技術だけで試合に出れていたのでそれで満足していた。


中学生では、まわりの選手たちは身体能力やサイズが大きくなり、サイズの小さい自分はそれまでの技術だけでは通用しないと感じていた。守備のあまりしなかったためか試合に出る数は小学生の頃より激減した。そんな感じで中学生でのサッカーは終わったためか記憶に残っているものは少ない。高校受験では塾に通わせてもらい、自称進学校?の我孫子高校に入学した。


高校生では、1年生の頃に監督に干されたためか3年生になるまでBチームでプレーをしていた。3年生になってから、今までプレーしていたボランチ、トップ下からフォワード、サイドハーフへコンバートされ、困惑していたが試合に出れるならそれでいいと考えていたため、そのポジションでも自分のできるプレーをしようとしていた。しかし、チームとしては新人戦、インターハイ、選手権でも望むような結果は得られず、3部リーグから4部リーグに降格させてしまった。まわりの選手たちは大学ではサッカーをやらず、本格的に大学サッカーをやるのは自分だけで少し物寂しいと感じていた。


大学には指定校推薦で亜細亜大学に入学した。はじめは他の選手たちのサッカーに対する姿勢やサッカーIQの違いに驚き、今までの自分に足りないものがすぐにわかった。さらに、親元を離れて寮生活という新しい環境に加え高校よりはるかに高い練習強度に耐えきれず、怪我をしては治し、また怪我をする繰り返しだった。それから、現状を変えるためには何が必要と考え自分を客観視するようになった。2年生になり、変わっていく自分を感じでどんどんサッカーが楽しくなっていった。大学サッカーのスピード感にも慣れ、守備強度も上がり、自分の思うようなプレーが少しずつだができるようになった。去年、3年生では新たに東京都1部リーグで格上相手の試合が多い中、たくさんの試合に出させてもらった。今までに感じたことのないプレー速度で驚くことばかりだった。得点や、アシストで貢献することはできなかったが、自分なりにハードワークで貢献し、間違いなく今までで一番サッカーを楽しんでいた気がする。



今まで、サッカーにかけてきた時間は無駄ではなかったことはとうに理解している。しかしこれまで明確な結果を得ることはできなかった。最後の一年、難しく、苦しい一年になるだろう。しかし関東リーグ昇格という明確な結果を得るには必要になる。これまで支えてきてくれた親、応援してくれている地元の友達、様々な人に感謝し、最後に笑って終われるように自分のできることを最大限にやっていく。



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