「理想と現実」
こんにちは。
今回noteを担当させていただきます、国際関係学部4年のサントス龍治です。
気づけばもう22歳。引退まであと1週間、伸びても2週間だ。入学したての頃に「瞬きをすればもう4年」と言ってくれたあの先輩の言葉は本当だった。
前置きになりますが、もう最後なので、思いっきり本音を書きます。スタッフや保護者の方々に見られると思うと不安だし、22歳にしてはかなりリスペクトに欠けた文章になるが、少しでも自分の心境と4年間の歩みを知ってもらいたい。
そう思って、このnoteに私の想い(長文)を綴ります。
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さて、皆さんは何を目的として普段の練習に取り組んでいますか。
なんのために自主練や筋トレをしていますか。
たいして変わらないのに夏の帰省近くに追い込む風物詩の様な人もいれば、大学サッカーの強度についていくために真面目にコツコツ取り組む人もいたりしますよね。
理由は人それぞれだと思うし、量も質も大事ですが自分のためになればなんだっていいと思います。
極端な話、自主練なんてしなくてもサッカーがうまければ試合に出れるし、この世で1番ボールが収まるなど、何かひとつ武器を磨けば試合に使われることだってあります。
これって、例というか、例のあの人のことを言ってしまいましたね。角煮作ってあげるから許してね。
ふざけるのはここまでにして、本題に入ります。
……………
大学サッカーをやる上で、私にとって理想の自分とは、「可能な限り試合に出て、何不自由なく悔いのない4年間にしたい。」
試合に出ることはサッカーをやっていれば誰もが最初に持つ目標であると思うが、勝ち負けや優劣がつく競技である以上、現実はそんなに甘くはなく、結局私は4年になってもトップチームで試合に出ることは叶わなかった。
考えが甘すぎた、理想と現実のギャップを埋める努力をしてこなかった。多少の努力はしたと思う、でもそれらは全部自己満足に過ぎない。
私は電車の時間ぎりぎりまで自主練をすることはあまりないし、朝の5時半にトレセンに行って筋トレもしない。練習前後にアジリティのトレーニングなどもあまりしない。自分の課題に向き合って努力したと思えるのは4年の前期のみだったと思う。
4年間サッカーを続けてみてどうだったかと言われれば、後悔や恥が先に来るし、ほんとに悔やんでも悔やみ切れない。
長くなるが、ここから過去の話に遡っていこう。
1年生の頃の私はジョグが精一杯の怪我から始まった。でも何をとち狂ったのか怪我人にならずに普通にサッカーをしていた。同期からしたらかなりインパクトの強い第1印象であったことだろう。今思えばかなりの黒歴史である。
そんなことはお構いなしに、先輩からも文句と罵声の嵐だった。お前はできるよと気休めでも励ましてくれる人もいれば、何のためにサッカーやってんだよ、練習から出てけよという心ない人もいる。これが大学サッカーの洗礼かと思い、すぐやめると思われてたらしいが、唯一の通いから、あえて寮に入るという逃げられない環境に身を置いた。
2年の時は地獄だった。本当にサッカーが嫌いになりそうで、現実逃避をしたくて週末はよくお酒を飲んでいた。練習試合に出る時間が減り、雑務、雑用の時間が増えていった。怪我人期間も長かったことからストレスは余計に増す一方で、監督からは正直プレーヤーとしてよりマネージャーとして見られてた可能性が高いかもしれない。
そうやっていじられるのにも腹たったし、監督室に行くのも嫌だし、筋トレ中に運営やら登録なら色んなことで呼ばれてよくやる気を失った。こんなことをするためにサッカー続けてるんじゃねーよって悔しくて、よくないのはわかってるのに強くもないのにお酒を飲み、オフの日はボールを蹴っていた。
何をするにも実力が伴ってないと都合よく使われ、やりたくもないことをやらされる。この現実が辛かった。完全にベクトルが外を向いていた。プレーしても結果は残せず、自信などつくはずもなく、後ろ向きのプレーばかりで、周りから色々言われた。
悔しいと思う気持ちはもちろんある、頑張っていなかったわけではないし、やる気もあった。でもこの時期にどれだけ反骨心を持ってやれるかで、もう少し違った未来になってたと思う。
そして3年生になり、最初はもうやめるつもりでいた。この頃は新入生が多かったことからカテゴリーができて、私は下の方だった。やる気も完全になくなっていて1年生の顔と名前なんて覚えるつもりもなかった。
今だから言えるけど、春休みに2日くらい部活を休んだ。サッカー部には数人にしか言ってなかったけどもうやめるつもりだった。親に少し相談をして、友達にも相談した。友達にはやめて俺らと遊んだりしようと言われてそれもありだなと思っていたとこに親から続けたほうがいいとちょっと片言の日本語で言われた。
少し泣きそうになってしまった。高い学費や部費を払っている親にそう言われてやめるのはどうなんだと、長い時間考え込んだ。今まで嫌だったことはいくらでもあるし、ここで逃げ出して逃げ癖がついて堂々と胸張れるのかと、サッカーやってて仲良くなった人たちや同期、後輩とも疎遠になるのも嫌だったし、たった2年やり切るしかないと気持ちを新たに練習に復帰した。
初めてIリーグに参加して、最初はスタメンで出さしてもらって、普段応援してる人たちが見に来てくれて、審判もやってくれた。途中怪我も相まって全然出れなくなって今2年の盛り上げ隊長と九州から来たえりんぎみたいなやつとかと苦しい時期を過ごした。審判派遣には行きたくなかったが、かなり充実した1年だったと思う。
そしてラストシーズンの4年目になった。
1年生が30人も入ってくるとのことで、今度は3カテゴリーを作るんだと、僕は年明け少し経って1番下だと予告された。この時期に言ってくるこの大学って人の心ないんだなって思いながらも、練習に取り組んだがどんどん調子を落として、監督からと元気ないなとよく言われるようになった。
それでも諦めたくなくて、筋トレも自主練もこれまで以上にやった。御殿場遠征では珍しくVゴールを決めた、調子も良くなってきて声も出せるようになってきた。
そうしてカテゴリー発表で一気に現実に引き戻された。監督に呼ばれて監督室に入り、心境を聞かれた。スタッフの雰囲気は和んでおり、自意識過剰だが煽られているのかと思いかなりふてくされてしまった。それが逆鱗に触れ、めっちゃ怒られた。
簡潔に言うと、私の最後の1年間を1、2年生を育てるために尽くせという話だった。
実力が足りなかった、それが大前提だ。悔しいし納得いくわけがない。
部室で涙した。たまたま居合わせた同期に慰められ、辞めるという言葉もよぎったけど強く止められた。ありがとう、ヤン。
それが企業の最終面接の2日前で、気付けばバイトを飛んでいた。本当に人間として終わっていた。
4月なりたてで、私の就活は終わりを迎え、サッカーに専念した。アップから罵倒を浴びせた。先輩たちもこんな気持ちだったのだろう。後輩たちに八つ当たりする痛い先輩みたいな感じだった。でももうやるしかないし、言い続けるしかなかった。みんなにはこんな自分みたいになって欲しくなかったから。
でも幸運なことにIリーグには多く出場できた。強豪の多いブロックに入れて、毎試合がとても楽しかった。負けたら悔しいし、勝てば嬉しいし全身全霊で臨む公式戦の空気感、練習より高い強度で90分通して戦える環境を与えてくれた清水コーチには、今ではとても感謝している。
公式戦と言う意味では同期より多く出たかもしれない。カテゴリーは違えど、自分なりに今シーズンを楽しんだつもりだ。昇格は叶わなかったが全力で戦える試合を用意してくれたスタッフ、後輩たち、ほぼ毎試合見に来てくれた同期、寮生には特に感謝している。
最終節という集大成で何も魅せられなくて、結果も残せなくて不甲斐なくて、思いっきり泣いた。
合宿も含め、他人より多く試合に出た。そういう意味でのきつさ、疲労感を1年の頃からずっと求めていた。悪い気はしなかった。
終わってみればとても楽しいシーズンだった。
本当に長くなってしまいましたが、最後に感謝を述べて終わります。
……………
同期へ、数人が辞めて、色んな問題を起こして、走って、乗り越えて苦楽を共にしたと思います。4年でカテゴリー違ってサッカーで関わる時間減って悲しかったけど寮で気軽に話しかけてくれて、試合の度に応援に来てくれる皆んなが大好きでした。引退ライフ楽しもう。みんなでお酒を呑みに行こう。
3年生、生意気だったけど個性的でサッカー上手くて、寮で昼飯作って食べたり、ケーキ持ってきてくれたり、部屋に来てよく話をしたり聞いてくれたり、深く語ったりお酒を飲んだり、いこいの家行ったりした。思い出多い学年で誰ひとり忘れません。ありがとう。誰かJでプロになったらDAZN契約して観ます。
2年生、居心地の良い学年だったと思う。プライベートでも仲良くさせてもらった人も多いし良い大学生活を送れました。ありがとう。あと、赤スウェットの野郎と経済学部の数人は学校に行け。長時間自主練をする人が多い印象があって、いつも刺激受けてました。今は燻っててもこの学年の多くの人がいつか報われることを祈ってます。腐らずがんばれ。
1年生、人数も多くてレベルの高い学年だと思います。特に隣の部屋の人とはわりと多くの時間を過ごした気がします。特にGK2人を応援してるし、顔面の圧がすごいやつも、寮でよく盛り上げるやつも、問題児もいたけどみんなかわいい後輩です。同カテゴリーでプレーしてた人達がいつかメンバー表に名前が載ることを心待ちにしてます。まだまだ続く大学生活を思いっきり楽しんで欲しいです。
舐められてるのか、好かれてるのかよくわからないけど気軽に話してくれるみんなが大好きで、寮生活も充実させてもらいました。
とても濃い4年間の大学生活、小学校から続けてきたサッカーはリーグ戦の結果次第で来週か再来週に終わります。できれば最後勝っていくとこまで行って欲しいです。
入部を快く承諾してくれて、優しくて時には叱ってくれたスタッフ、ここまで文句ひとつ言わずに続けさせてくれた両親、応援してくれた人たち。結果で応えることはできなかったけど、引退までやり切れることに心から感謝しています。
入部当初に思い描いた理想には辿り着かなかったけど、これからこの悔しさと過程をバネに社会人になって思いっきり働いてお金を稼ぎます。ここまで不自由なく育ててくれた両親に今度は恩返しをします。
繰り返し言うけどみんな、本当にありがとう。
亜細亜大学サッカー部をいつまでも応援しています。
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