「自分で選んだ道だから」 勝間田凜々
今回noteを担当します経営学部経営学科4年マネージャーの勝間田凜々(かつまたりり)です。
堅苦しい文章は嫌なので思ったことをそのまま書こうと思います。
読みにくい部分あると思いますが、ぜひ最後まで休憩を挟みながらご覧ください。
内容としては今後自分自身のことについて話すことはあまりないと思うのでここで振り返りながら私の思いも伝えられたらいいなと思います。
私の人生は大きく分けてバレーボールとサッカーで分類されます。
まず私のバレーボール部としての過去から振り返ろうと思います。
大きく分けて
・小学生時代
・中学生時代
・高校生時代
に分けます。
まず小学生時代。
バレー自体は母親の影響で物心ついた時には出会っていましたがなんとなく見るものだと思ってました。
しかし小学校4年生で本格的にバレーを始めました。
卒業するまでの3年間はとにかくバレーの楽しさを知りました。
初めて試合に出た時や初めて点を決めた時、初めて試合に勝った時や格上相手に勝利を収めた時など、多くの喜びを味わうことができ、とにかく楽しかったです。
練習の量や試合の結果に満足しているわけではなかったため、卒業してからの進路に関してはもちろん強豪校に行くという選択肢もありました。
しかし同じメンバーでもっと強くなって勝ちたいという気持ちが強く公立中学へ行くことを決めました。
これからバレーが嫌いになることがあるとも知らずに...。笑
さて次は中学生時代について振り返りたいと思います。
この時代はトレーニングの一環として走ってばかりいました。
走るのが嫌いすぎて何度もサボりました。
「いかに楽をするか」しか考えていませんでした。
ただその考えは意外に役にたっていました。
楽をするために相手がしそうなことを予想する。1回で決め切る。
そのおかげと言えるか分かりませんがタチが悪いことにチームで1番上手くエースとして試合を引っ張っていました。
なんであんなに走って頑張ってるのに試合に出られないんだろうとかなんで活躍できないんだろうなど、クズみたいな考えも生まれていました。でも頑張ってる人を見ているからこそ、こんな自分がチームを負けさせるわけにはいかないという謎の謎の責任感も生まれていました。
結果的に母校の歴史としては6,7年ぶり?のベスト16という成績を残すこともできました。
バレーボーラーとして1番記憶に残っているのはこの時代だと思います。
そしてここでも進学先という悩みがありました。
多くの学校の部活に参加するなかで何校か学費免除の特待生としての話もありました。
しかし全てお断りし、公立高校を選びました。
理由としては2つ上の憧れている先輩がそこに通っていたこと、そして1年生から試合に出られる可能性が高かくその先輩と一緒にバレーがしたいと思ったからです。
ただそこでも全てがいい思い出というわけではなく、今までの環境がいかに恵まれていたかを実感することになりました。
バレー部として最後の思い出の高校時代に入ります。
まずそこで1番最初に思ったことは、なんという軍隊部活に入ってしまったんだ、、でした。
部則がとても厳しく、朝は早く先輩は怖い、こんなでは自分の力を出すことなんかできない、そう思っていました。
ただそんな心配は顧問の先生の一言ですぐになくなりました。
部員が少なくなりすぎたのも要因だったと思います。
そして3年生がいる頃から唯一1年生で試合に出ることもできました。
2年生では20人以上いた部員が一気に9人まで減りました。
ここで中学時代にいかに恵まれていたかを実感することになりました。
いつでも試合形式でゲームができるわけではない、ポジションの関係で自分が思い通りのチームにもならない、練習できるメニューが限られている。
自分がレベルアップするための課題が多すぎるにも関わらずそれを克服する術がないなんてこともざらにありました。
ただそこでも先生の鶴の一声でどんなに活動しやすくなったことか。
「佐藤甚一先生」通称じんさん。
この先生に出会えたこと、それが高校でバレー部に入ったことで得た1番価値のあることだと思います。
たまにしか練習来ないし、「太ったか?」とか普通に言うデリカシーのない人だし、怒るととてつもなく怖い。
でもたまに来た時にもらえるアドバイスほど貴重なものはないし、おじいちゃんみたい人だから許せるし、理不尽には怒らない人。
そんな人だから心から尊敬していました。
最後の年まで納得いく結果は残せなかったし、後悔していることも多かったです。
ただ今の自分に後悔はしてないですし、
じんさんありがとう
そんな気持ちでいっぱいです。
バレーとは関係ないですが、大好きな友達とも出会えたので高校選びに後悔はありません!
バレーボールを9年間という短い間ですが続けたことで私自身の8割が形成されたと言っても過言ではありません。
この後のサッカー部マネージャーという仕事にも大いに役に立てることができました。
無駄なことなんて1つもなかった。
それを改めて実感することができましたし、それを教えてくれたバレーボールはこれからも私にとって切り離すことのできないものになるでしょう。
さてついにサッカー部についてです。
ここでは経験談よりも伝えたいことを伝えます。
この亜細亜大学体育会サッカー部にマネージャーとして沢山の人に出会えました。
まずはスタッフ陣
何回も迷惑かけて、いいマネージャーでいれたかどうかは分かりませんが、なんとか最後までやり抜くことができる時期まで来れました。時には愚痴や相談も聞いてくれる優しい方々でとても良かったです。
ありがとうございました。
大好きな先輩マネージャー。(見てくれているかは分からないけど)
一緒にご飯行く直前にこれを書いていますが、とても尊敬しています。
私にとってマネージャーの基準には先輩がいてあなたを超えなければ亜細亜のマネージャーとして認めて貰えないと勝手にずっと思ってました。
引退が迫る中その目標を超えることができたかは分からないけど、ここまで続けられたのもすべてあなたのおかげです。
本当にありがとうございます。
先輩方
入ったばかりの頃たくさん話しかけてくれた方々、リーグ優勝を経験させてくれた方々、写真を沢山撮らせてくれた方々、私がサッカー部に入るきっかけをくれた方々、昇格したばかりのリーグで残留を死守してくれた方々
全ての先輩方にも感謝しかないです。
本当にありがとうございます。
後輩達
おとなしめの代だけど優しい子たち、仲良し の代でいつも楽しそうな子たち、人懐っこくて1番いじってくる代の可愛い子たち
これからの亜細亜はみんなにかかってるからね。
強くなって関東で暴れてね。
後輩マネージャーたち
驚くほど仕事できなくて何回ブチ切れたか分からないけど頑張ってまとめ上げてね。
今年入ってくれた可愛い子たち。
君たちが入ってくれたから最後の年本当に楽しかったし、最高の思い出できました。
可愛い後輩とか言ったけど絶対調子乗るのでやっぱり可愛くないと言っときます。
今後関東に上がって仕事量も増えると思うし、大変になると思うけどみんなで分担して選手を支えてあげてくださいな。
みんなにとって憧れられる先輩になれたかは分からないけどいい思い出をありがとう♡
同期たち
1番何かを伝えるのが難しい代だけど、1番感謝してます。
仲良いのか悪いのかよく分からない代だけどあなたたちが同期で本当に良かったです。
ここまで私が続けてこられたのは勝った時の喜びを同じ瞬間に共有したいという気持ちもあったと思います。
最後の最後に関東昇格という最高の喜びを共有できて良かったです。
そしてまだまだ目標は達成できてないので残り1ヶ月全力で駆け抜けましょう!
全力でサポートします🔥
最後の家族へ
バレー部時代のサポート本当に感謝してます。サッカー部のマネージャーになってからは毎週朝早い時間にどデカい音量で目覚ましかけてちょっと起こしてごめんなさい。
でもバレーを9年間続けたこともサッカー部で活動したことも後悔はありません!
最高の学生生活でした。
これからは自立した大人になります。
でもよろしくね。
これからも亜細亜大学体育会サッカー部を応援し続けてください。
長々とありがとうございました。
勝間田凜々
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