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ありがとうサッカー


今回noteを担当する4年 磯崎 碧です。
よろしくお願いします。

関東リーグは、あと最終節のみとなりました。ついにここまできました。引退というゴールがまさしく近づいています。本気でサッカーをするのは大学で最後です。そんな、サッカー人生について書きます。長くなるとおもいますが、最後まで読んでください。

2010年南アフリカW杯を見て、サッカー選手になりたいと思って始めたサッカー。気づけば14年経ってました。

始めた頃は、周りよりかなり身体が大きく、キックも強かったので、ボールを当てて泣かせる。そして、謝る。そんな感じでした。

それから、どんどん周りも成長して選抜チームや、強い相手と戦っていく中で、思いました。世の中すげぇーやつたくさんいるなと。

そして、高校二年生の時に味わいました。挫折というものを。それはとてもとても屈辱的で、腹立つやつです。それまでは、ゴールを決めてれば褒められた、ヒーローになれた。それが、試合にも出れない。毎日、怒られる。芝でサッカーできない。ほんとに屈辱です。でも、どんな試合も母は見にきてくれました。公式戦と全然関係ない試合でも。試合終わりのめちゃくちゃきつい走りも最後まで見てくれました。また、親戚も励ましてくれたり、チームメイトと絶対見返してやると、心に決めました。この時から、俺は周りのためにサッカーをやろうと思いました。綺麗事のように聞こえるかも知れませんが、多分わかる人にはわかると思います。それから、高校ではある程度の結果をだすことができました。

しかし、サッカーは高校で辞めるつもりでした。コロナもあり練習参加もできない、大学に行くとお金もかかるから。そう思っていた時に、たまたま、亜細亜大学の練習に参加させてもらいました。小島監督が、来て欲しいと言ってくださいました。しかし、心は複雑でした。ほんとにサッカーをしていいのか。母に迷惑をかけるのではないか。

でも、母は言ってくれました。サッカーしてる碧がみたいと。親戚もみんな言ってくれました。

ありがとう。本当にありがとう。大学でサッカーさせてくれて。こんないい経験をさせてくれて。素晴らしいスタッフ、仲間と出会わせてくれて。

大学サッカーは、楽しいことばかりでなく、苦しいこともたくさんありました。都リーグで残留争いしたり、関東2部リーグから降格したり、全国逃したり、試合出れなかったり。でも、自分が成長したなと思ったのは、どんな時でも声出して練習したり、後輩とコミュニュケーションを取ったり、応援したり、チームのために行動することを率先してできるようになった事です。少し大人になれた気がします。少し。

この、いろいろあった大学サッカーもラスト一試合。勝てばプレーオフに行ける。みんなで勝ち取ろう。そして、一年前何もできなかった二部相手に、違う亜細亜を見せよう。

同期へ

まじで、いろんなことがあった学年だと思います。だからこそ、絆も強いし、それだけ思いがある学年です。本当に、どうしようもない学年だけど最高な学年です。みんながいたから最後までサッカーできました。最後、有終の美を飾って終わろう。

後輩へ

たくさん遊んでくれてありがとう。どんな時でも、飯行ったり、遊び行ったり楽しかったです。生意気な後輩もいるけどそれもそれでありです。個性です。最高な後輩に恵まれました。これからも、遊んでください。

スタッフ様へ

小島監督、亜細亜大学に誘ってくださりありがとうございます。さかもっさん、チューブトレーニングきつかったです。清水さん、たくさん面倒見てくださいました。檜山さん、けっこう石積み上がりました。池さんジュースありがとうございました。まだ、いっぱい感謝することはあるのですが、長くなるのでここまでにしときます。

母、弟へ
お母さん長い間サッカーさせてくれてありがとう。毎日、弁当作ってくれてありがとう。毎朝、起こしてくれてありがとう。学費出してくれてありがとう。最高な母です。これからは、俺に任せてください。はやと、ちゃんと単位取ってね。これからもかっこいい弟でいてください。ありがとう。

最後に、ここまでサッカーできてる自分は幸せ者です。四年間めちゃくちゃ早かったです。後輩たちよ、後悔しないように頑張れ!

長い文章になりましたが最後までよんでいただきありがとうございました!

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