自分の特徴とは」 川上智也
今回noteを担当されていただきます。亜細亜大学経済学部経済学科3年の川上智也です。
文章を書くのが苦手なので、まとまりのない文章になってしまうかと思いますが多くの方に読んでいただけたら嬉しいです。
まず初めに簡単ではありますが、自分のサッカー人生を紹介したいと思います。
自分は小学4年生の頃に友達に誘われて栃木ユナイテッドというチームでサッカーを始め、約20人のチームメイトとがむしゃらにボールを追いかけ、試合をして勝利を分かち合い、楽しくサッカーをしていました。
中学生では、中体連でサッカーを3年間やりました。3年間の部活動で自分は決して速い選手でもなく、体もあまり大きくなく、技術もなかったことから自分の特徴とはなんだろうと考える日々が続きましたが、なんとかなるだろうと思ってしまう性格なので何も行動せず自分の特徴が明確にならないまま3年間の部活が終わってしまいました。
中学3年間の部活動で1番記憶に残っていることは顧問の先生がほぼ毎日おっしゃっていた「日常生活こそ最大の練習の場である」という言葉を教えていただき、グラウンド以外での生活を整えることの重要性を学ぶことができました。
高校生では、白鷗大学足利高校の練習に参加をし監督からスカウトをいただきスポーツ推薦で進学しました。自信を持って特徴と言えるようになったのは高校時代からです。1年生の半年間は特徴がないままサッカーをしていました。たまたま監督と1対1で話す機会があり相談をしてみたところ坂ダッシュをした方が良いと言われ、自主練習で坂ダッシュを本気で取り組むようになりました。最初の頃は、効果があるのかと半信半疑で行っていましたが、月日が経つにつれて今までの自分より格段に身体能力やスピードが上がったことや味方や相手にスピードで勝つことが多くなりました。自分の特徴がスピードであると明確になった日から自信を持てるようになりプレーも良くなってきました。
高校時代のサッカー成績は良くてインターハイベスト8と良い結果が残せず悔しい思いをしました。
大学では亜細亜大学に入学しました。
初めて親元を離れて寮生活をし、今まで気づけなかった親のありがたみを実感することができました。
大学サッカーでは高校時代の強度の違いから、1、2年生の頃は怪我を繰り返す日々が続きました。3年生では東京都1部リーグで格上の相手と試合する中自分のスピードが通用した試合、通用しなかった試合がありました。全ての相手に通用するためにはスピードを単純に使うのではなく、もっと色々なことを考えたり、工夫することを意識して練習や試合を行い、ラスト1年活躍できるように頑張ります。
残り1年、チーム目標である関東リーグ昇格の目標を達成し、今まで以上に自分と向き合い、特徴を伸ばし、新しい特徴を見つけたいです。まとまりのない文章ですが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
これからも亜細亜大学体育会サッカー部の応援の方よろしくお願いいたします。
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