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「4年間の振り返り」 岡本一晟

この度のnoteを担当させて頂きます 経済学部経済学科 4年 岡本一晟(鹿島学園高等学校出身) と申します。


今回のnoteでは、大学4年間の出来事をピックアップして書いていこうと思います。


[亜大日の出寮に入寮&亜細亜大学入学編]


高校時代は家から通える高校を選択したので、寮に入って共同生活するのは初めての出来事でした。亜大の寮は同級生と2人部屋が基本です。私は、星 洋考(ほし ようこう)君と同室になりました。星君はしっかりしている様に見えて、寝坊しかけたり、整理整頓ができなかったり、意外とだらしない一面があります。しかし、彼は床を汚しません。綺麗好きな私に気遣って、私物すべてを彼のベットの上にありました。枕元にはドライヤー、櫛、パンツなど、その他もろもろ、とてつもない劣悪な環境で睡眠をとっていました。自分自身犠牲となり、自分のテリトリーしか汚さない優しい星君でした。彼と貴重な2年間、共同生活できてよかったです。ありがとう。


大学の授業は難しいことばかりで、慣れるまでとても大変でした。そんな大変な学校にも唯一落ち着いて休める時間がありました。それは昼飯休憩です。私はお金を節約したかったため、寮から朝ごはんのおかずと白米と味噌汁を持っていき、昼ごはんを0円で済ますことができました。しかし、の上田輝君は学校にキムチと納豆を持っていき、次の講義をやる場所で納豆キムチご飯を完成させ、人目を気にせずむしゃむしゃと食べていました。隣に座っていた私と川上くんは被害を受けました。唯一心休まる時間がくっせー臭いとともに流れていきました。


実際の写真がこちら。



3泊4日の走り合宿や練習後にミニゲームをし、次の日の練習でブチギレられたり、他にも沢山ありましたが、すべてが初めての大学1年はとても良い1年になりました。


[コロナウイルス侵略、岡本堕落の生活編]


今でも問題となっているコロナウイルスが広まり、約3ヶ月間学校も部活動もない生活が始まりました。暇過ぎた私はNintendo Switchと当時話題となった、どうぶつの森を買いました。ゲームが楽し過ぎたあまり、朝4時までゲームをして、昼過ぎに起きるという最低な生活を送っていました。(発売2週間ほどで虫と魚の図鑑をコンプリートしました)。また、みんなで、ウイイレ対決をし、負けた人が好きな選手売却の罰ゲーム付きの戦いをしました。見事に2回とも屋宜君が負け、戦力である2人を売却させられてしまいました。そんな屋宜君は非常階段の下で泣きながらウイイレの特訓をしていました。なんだかんだで楽しい自粛期間となりました。


ここでついにサッカーのお話です。夏前に部活動が再開し、立ち上がりは良くなかったものの、尻上がりに調子を上げていき、後期の公式戦に出場することができました。必死になって掴み取ったチャンスだったので、ピッチに立つことができたあの瞬間は忘れません。毎回ボコボコにやられた関東リーグのチームに4年間で唯一勝てたり、頼りになる先輩達と生き生きとサッカーをしていたこの年が1番楽しかった年となりました。


[筋トレ本気で初める&亜細亜名物鰻登り編]


ここまで、ある程度筋トレはやってきましたが、ただやっているだけで今思えば無駄な時間だったと思いました。3年生の春から松井君や飯田君と必死に追い込み、体がデカくなり、変化に嬉しかった私は筋トレにハマってしまいました。筋トレは現在まで継続していて、入学式に着ていたスーツが着れなくなるほど、体が大きくなりました。何事にもすぐに飽きてしまう私がここまで継続できたのは珍しく、サッカーとマリオカートと筋トレこの3つだけです。


時は流れ、夏になりました。私は前期の試合に出場の機会はなかったです。後期の前にチームのレベルアップのため、御殿場へ合宿に行きました。合宿中に紅白戦をやる機会があり、私は3本目に出場しました。いわゆるCチームというやつです。試合が始まり、相手チームのロングフィードを私は珍しく大きな声でヘディングでクリアし、ピッチからボールが出ました。そしたら、私のやる気が伝わったのか、トップチームの選手と交代しました。特別ここまでのプレーの調子が良いわけではなく、ヘディング一本でCチームからAチームにステップアップする謎現象に私は驚きました。これが亜細亜名物「鰻登り」です。ここから、後期の開幕からしばらくAチームでプレーすることができました。しかし、リーグ戦では力を発揮できず私の力の無さを痛感し、悔しい1年となりました。


[Amazonカード3000円GET &引退編]


サッカー部は学校のイベントに参加せず、亜細亜祭や体育祭などをすることはありませんでしたが、4年の夏前に最初で最後の体育祭に参加することになりました。急遽、サッカー部からリレーを2チーム出場することになり、出る気がなかった私ですが、後輩から誘われたので出場することになりました。私は第2走者でほぼ直線でトップスピードをだせるコースで走ることになりました。私達の出番がきて、バトンを受け取った私は全力で走りましたがバトンを渡す前にフライングでやり直しになりました。本日2回目となるスプリント。約70メートルで左腿裏に嫌な違和感が襲いましたが、最後まで走りバトンを渡すことができました。当日に作ったチームが見事2位のタイムで賞品を手に入れることができました。後ほど、ハムストリングの肉離れと結果がでました。私の左足は犠牲となりましたが、後輩達とAmazonカード3000円をGETすることができ良かったです。まさか体育祭で怪我するとは思わず、アップの大切さを改めて理解しました。


1ヶ月半練習を休み、肉離れを治しました。体育祭のリレーで私は足がはえーと再確認した私は、復帰してボールをもったらほぼ縦にスピードで勝負する脳筋プレースタイルになってしまいました。前まで迷いがあったドリブルでしたが、私のスピードとアジリティを活かしてシンプルで吹っ切れたドリブルで以前より突破率が上がりました。4年になって試合に出ることはできていませんが、ほぼ縦に仕掛ければ突破できるので現在ではサッカーが楽しいです。


ここまでのふざけたnoteを読んでいただきありがとうございます!最後は真面目に書こうと思います。


この引退noteを4年間振り返りながら書いて初めてもうすぐ引退なんだと実感が湧いてきました。もっとみんなとサッカーしたいし、寮でみんなとワイワイゲームしたいです。でも4年という決められた時間があり、別れは付きものです。


後輩達、生意気な奴らが多かったけど一緒にサッカーしたり、寮生活できて本当に楽しかった!来年関東リーグで亜細亜旋風を巻き起こせ!


ここまでサッカーに熱くなれたのは、監督やスタッフのお陰です。たまに不貞腐れたり、怪我が多く、捻くれている私を4年間指導してくれてありがとうございました。


同期のみんな、4年間お世話になりました。途中でやめてしまった人含め、一緒に亜細亜大学に入学した私達の仲間です。もっとサッカーしたかったし、寮で共に生活したかったです。コンビニでペヤング食って坊主になったり、門限過ぎに立川で監督に遭遇したり、アホな奴らが多かったけど毎日毎日楽しくて4年間あっという間でした。試合に出ている、出ていない関係なく、全員が足掻いて、泥臭くサッカーをする姿があり、それが私の支えとなり、腐らず最後までサッカーを続けることができました。本当にありがとう。


最後に両親。学生サッカーの16年間応援してくれてありがとう。私の学生サッカーはここで幕を閉じます。最後に試合している姿を見せれなかったのが、唯一の後悔かな。本当にごめんね。来年地元で社会人サッカーやるから見に来てね。あと、初任給で美味しい物を食べに行こう。約束です。


亜細亜大学に入学して、体育会サッカー部に入部することが出来て、心の底から良かったです。


長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。泥臭く、熱い気持ちを持って闘う、亜細亜大学体育会サッカー部の応援引き続きよろしくお願い致します。



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