「エンドロール」
今回noteを担当させていただきます。
経済学部経済学科4年 小森康汰です。
引退まで残り2週間となりました。
最後のnoteは私のサッカー人生について振り返ろうと思います。
拙い文章ではありますが、最後まで読んで頂けると幸いです。
本気でプロサッカー選手を目指し、続けてきた14年間のサッカー人生もあと2週間で終わりを迎えようとしている。
小学2年から始めたサッカー。お父さんがサッカーをしていた理由で始めた。最初は栃木SCの週二回のスクールに通いだした。物足りなさを感じた私は学校の友達に勧められたチームに入りたいと親に説得し、四年生の時にカテット白沢というチームに入ることになった。小学校時代はいつも相手チームにボコボコにされていた。5年生の時ぐらいから、サッカーにのめり込み、毎日公園で人を集め、夜遅くまでサッカーをしている日々が続いた。6年の時にトレセンの選考会があり、今までトレセンに無縁だった僕はまあ受からないだろうと思いながら、それでも必死にアピールした。そしたら1人の選考していたコーチがなぜか自分のことを評価しくれてその人がゴリ押ししたおかげで受かったと後々聞いた。トレセンでの活動は今までのサッカーとは別物で、ついて行くのが必死で周りにはこんなに上手い奴が沢山いるんだと気づき、その時からサッカーへの意識が変わっていき、自然と上を目指すようになった。
中学はウイングスSCに入った。入る際に両親に「もし出れなくてもやっていける?辞めないで3年間続けていける覚悟はあるのか」と聞かれ、なぜか根拠のない自信がその時にはあり、「大丈夫やっていける。このチームに入りたい」と言った。
中学では県のトレセンにも選ばれ、時には挫折することも沢山あったが、順風満帆な日々を
送ることができた。
高校を選ぶときに最初は県外の高校を考えていたが、中学時代の監督に「お前はユースの方が合う」と言われ、ユースに絞った。当時栃木SCのジュニアユースに所属していたみんながトレセンで一緒になった時にとてもレベルが高いなと感じた。そのメンバーがユースにほぼほぼ上がるという話を聞き、レベルの高いところでやりたいと思った私は栃木SCのユースを選んだ。県内のそこそこ強い高校で活躍して、選手権もそこそこいいとこまで行って楽しい青春を送ることも楽しいだろうなともちろん考えた。でも自分にはプロサッカー選手という夢があったから、青春の全てをサッカーに注ぐ覚悟もしてた。
栃木SCユースではサッカー選手としても、人としてもほんとに成長させてもらった。サッカーへの考え方も、日々の過ごし方も。
高校時代は常にサッカーのための生活をしてきた。オフの日もジムに行ったり、自主練もしてきた。プロ選手を近くで見たり、一緒にプレーできた経験は自分が上を目指す中でとてもいい経験になった。高校3年の時はコロナ禍でなかなかサッカーが出来ない日々が続いた。Jユースカップがなくなり、クラブユースが冬に延期になった。それでもチームはクラブユース全国出場し、いい結果を残せた。高校3年間は充実してたし、そして何よりも最高の仲間に出会えた。
そして亜細亜大学に進学した。
「この4年間でプロを決める。」
そう意気込んで入学した。
1年の頃は都リーグ1部で、こんなとこにいたらプロになれないと思っていたけど、あの時の都リーグはレベルが高かった。他のチームにはプロ内定も何人かいた。関東昇格を目指していたが、チームはなかなか勝てない日々が続き、いつの日か残留争いに巻き込まれていた。何試合か試合に出してもらうこともあったが、結局最後まで自分の思うような活躍はできなかった。何も成し遂げられない自分に悔しくてグラウンドで泣いた夜もあった。なにが足りないか必死に考えた。1番差を感じたのがフィジカルだった。高校まではフィジカルなんてたいして必要ないって考えていたけど、大学のトップのチームはひと回りもふた回りも体がデカかった。授業が終わった後は毎日毎日筋トレに励んだ。チームとしてはなんとか残留ができた。
2年の頃はシーズンの始まりから調子も良く、チームも勝ち続けていていい順位にいた。しかしシーズン中盤に差し掛かったぐらいに、膝の怪我をした。あまり怪我をしてこなかった自分にとってこの期間はとても辛かった。みんながサッカーしている姿をみるのも辛かったし、チームが勝った時も心の底から喜べなかった。でもチームが勝ち続けることを信じて、リハビリも筋トレも必死にやった。なんとか関東リーグ2部参入戦のプレーオフに間に合い、國學院戦で途中出場で復帰することができた。参入戦の慶應戦ではスタメンで出場し、勝利に貢献できた。目標であった関東2部に昇格することができた。奇跡みたいな大逆転で、交代してベンチにいた私は自然と涙が流れていた。「今まで努力してきたことは無駄じゃなかった。自分の夢に一歩近づいたんだ。」そう思った。
入学した当初は関東リーグなんてこの感じだと絶対厳しいし上がることは難しいかもなと覚悟してたのに、出来すぎぐらいのシーズンだった。この時の四年生の先輩は偉大な先輩ばっかで本当に尊敬していたし、色々学ぶことが多かった。
本当にありがとうございました。
大学3年になった私は関東2部で戦えることにシーズン始まる前から相当気合が入っていた。この舞台で活躍してプロサッカー選手という目標を叶える。そう思っていた。
ただ現実はあまりにも残酷だった。個人で何も結果を残せないどころか、チームは一勝もできずにシーズンが終わる前に降格が決まった。
全てが甘かった。
自分の意識も考えも、
チームの雰囲気も練習も。
こんなんで本当にプロになんかなれるのか。
そう思い始めた。
大学4年になり、チームは関東3部で戦うことになった。新しいコーチとして檜山さんがAチームの指揮をとった。
アピールしないといけないのに、なかなか自分のコンディションが上がらない。
もうすぐシーズンが始まるのに、
調子も上がらない、進路も考えなきゃいけない、自分に焦っていた。
正直サッカーのことだけ考えられなくなって、自分の中で一杯一杯になっていた。
帰省した時に両親に「就職はどうするの?プロサッカー選手は諦めたの?」と聞かれた。
その時に「諦めてない。まだ目指したい。」
この言葉がすぐに出なかった。この時からプロになりたいという自分の気持ちが少しずつ薄れていっているのを感じた。
そしてリーグ戦が開幕した。
ベンチの日々が続いた。たまにスタメンで出ることもあったが、ほとんどがベンチスタート。6月に内定が出て、さあこっから最後のシーズン頑張ろう、サッカーに集中しようと思っていたが試合にはなかなか出れなかった。
チームがなかなか結果が出てない時は
「なんで出れないんだ。なんで全然スタメン変えないんだ」悔しくてそう思う日もあった。
でもこの日だけは違った。
前期の國學院戦、チームは6対2で大敗した。
この日自分はベンチスタートで1秒も試合に出ることはなかった。「今は自分がチームの戦力になってない。試合に出れもしない奴がプロになんかなれるわけがない」。そう思った。
この日は悔しさが1ミリもなかった。
心が折れたというか喪失感に苛まれた。
「もうサッカー選手として終わったんだな」
そう思った。
熱が冷めた瞬間だった。
試合に出るために練習してるのに、試合に出るために筋トレしてるのに、試合に出るために食事も考えて摂っていたのに
それなのにいざ試合の日になれば試合に出れない。何もかもが裏切られたきがした。
この時期から本当に辛かった。
練習がある日が憂鬱になった。練習に行ってもミスを恐れて安牌にプレーして、練習が終われば自分の課題と向き合わずグラウンドからすぐに出て筋トレだけして帰る日々が続いた。
上目指して努力してる奴らを見るのも辛かった。見たくなかった。自分が情けなく感じるから。それぐらいメンタルがきつかった。
夏に帰省した時に「プロサッカー選手は諦めて就職する」と報告しようと考えていた。
でもその言葉をはっきり言えなかった。今まで小さい頃から応援してくれて支えてくれた家族を裏切るような感じがして言えなかった。
でも両親は薄々気づいてたと思う。両親は試合に出る日は毎回観にきてたから、今年はなかなか観にくることができなくて、本当に申し訳ないと思った。
それでも大好きなサッカーを大好きなまま終わりたかった。
思いっきり楽しむことに決めた。
そこから少しずつプレーも良くなり、試合に出させてもらう機会も少しだけ増えた。
(大石がユニフォームを忘れた時は流石にビビったけど。)笑
残り少ない時間を大切に過ごすことにした。
試合に出ても出なくても、チームに貢献できるよう最後まで全力を尽くす。
最初は、濃すぎたメンバーとやっていけるか不安だったけど最高の仲間と巡り会えた。
筋トレ大好き山道、クズしもつま、相棒ひでとら、パパ三宅、バイターさんとす、多動磯崎、部屋汚みずおち、短気あさの
みんな本当に楽しかったありがとう。
嫌だった寮も今じゃ住み心地が良すぎてなんなら出たくない。笑
先輩も尊敬できる人がたくさんいて、後輩もめちゃくちゃいじってくるけど仲良くて本当に恵まれた最高の4年間でした。
14年間、私の日常にはいつもサッカーがあって、沢山の出会い、感動、挫折、喜び、悲しさ、楽しさなどの多くの体験、そして人として多くのことを学び、成長させてもらいました。
私のサッカー人生を支えてくれた方々、応援してくれた方々、指導者、チームメート、本当にありがとうございました。
長くなりましたが最後に家族に。
ここまで何不自由なくサッカーを続けてこれたのは本当に家族のおかげですありがとう。
母はいつも私の心配をしてくれ、高校までは朝早く起きてお弁当を作ってくれたり、送り迎えもしてくれて最高のサポート本当にありがとう。
父は小学校から高校までいつも練習も観に来てくれて大学でもビデオを見てアドバイスをくれたり、時には厳しいことも言われたけど、今思えばその言葉がなかったらここまでサッカーを続けてこれてないと思うし、本気でプロも目指すこともなかったと思う。サッカーの楽しさを教えてくれて本当にありがとう。
姉2人へ
いつも帰ったら楽しくドライブしてくれて、あの時間がとても楽しいです帰ったらまたしよう
次は自分が運転します。
自分がサッカーを続けてきたことで2人がやりたいことができなかったり、なにか犠牲にしたことも、迷惑かけたこともたくさんあると思う。それでも何も言わずに応援してくれてありがとう。
プロサッカー選手にはなれなかったけど違う形で家族に恩返ししていきます。
長くなりましたが以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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