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「どんな時も笑顔を忘れるな」 入沢悠斗

今回noteを担当させていただきます。経済学部経済学科1年の入沢悠斗(ザスパクサツ群馬U-18)です。ポジションはDFです。私のこれまでのサッカー人生についてお話ししたいと思います。私は文章を作るのが得意ではないので拙い文章になってしまいますが、最後まで読んでいただけると光栄です。



私がサッカーと出会ったのは幼稚園年中の時でした。地元のプロクラブであるザスパクサツ群馬(当時はザスパ草津)のスクールコーチが地域のスポーツ活動の普及として運動を教えに来ていました。当時はサッカーというよりは、運動をメインとしてその一環としてボール蹴りをしていた印象があります。


小学校に入学して間もなく、幼稚園に来ていたいつも笑顔が絶えず、大好きだった吉田コーチに誘われてザスパのスクールに入りました。これがサッカーを始めるきっかけになりました。動くことが好きでとにかくサッカーを楽しんでいた思い出があります。小学校4年生の時にセレクションに合格し、ザスパのジュニアに入ることができました。最初はFPとして頑張っていこうと思っていましたが、チーム状況から身長が大きかった自分がGKを任せられることが多くなりました。そんなとき、ある小さな大会の大会MVPをGKとしてもらい、GKになることを決心しました。幸いなことにキーパーコーチがいたため、本格的に練習をすることができ、6年生の時には県選抜に選ばれるほどに成長することができました。


中学校でも、ザスパのジュニアユースに入りました。しかし、大きな挫折をしました。1年生の5月、大好きだった吉田コーチが亡くなってしまいました。その事を聞いた日はお風呂場でも、自分の部屋でもずっと泣いていて、1週間は何事にもやる気が起きませんでした。また、その時はサッカーでも上手くいっておらずサッカーを辞めようかなと本気で考えていました。しかし、吉田コーチに言われた「どんな時も笑顔を忘れるな」という言葉を思い出しました。笑顔でいると様々なことを楽しめ、この挫折を乗り越えるとこができました。結局、試合に出る機会は多くありませんでしたが、この言葉があったからこそサッカーを続けられていると思います。


高校でも、ザスパのユースに入りました。GKでしたが、手が荒れてしまってキーパーグローブをはめることができませんでした。また、受験勉強をして体が鈍っていたため、手が治るまでFPの練習に混ざっていました。ここでも、怪我人が多いというチーム状況から試合に何度か出させてもらう機会がありました。結局、GKには戻らずFPとして続けることにした。しかし、体力も技術もありませんでした。そんな時、コロナの影響で自粛生活が始まりました。自主練のため、近くの住んでいたチームメイトとほぼ毎日走り込みをしました。何回も心が折れそうになりましたが、なんとか付いていき乗り越えることができました。そのかいあってか、2年生の秋ごろから試合に出させてもらう機会が増えてきました。結局、ザスパにいた9年間で目標であった全国大会には行けませんでしたが、様々な方面からサポートしてくれたザスパには感謝しかありません。


現在は亜細亜大学でサッカーを続けています。将来はサッカー選手としてザスパに恩返しすることが出来れば最高ですが、そんな簡単なことではありません。サッカー選手になれなかったとしても、どんな形であれザスパに恩返しをしたいと思っています。これからどんな辛いことや苦しいことがあっても、笑顔を忘れることなく取り組んでいきたいと思っています。


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