「財産」
今回noteを担当させて頂きます。
国際関係学部・国際関係学科4年浅野綾太です。よろしくお願い致します。
まず初めに日頃より、私たち亜細亜大学サッカー部を応援してくださりありがとうございます。多くの方の応援があり、今のサッカー部があります。これからも何卒応援のほどよろしくお願い致します。
今回引退noteということで、私にバトンが回ってきましたが、正直なところ引退の実感が未だ湧かず、不思議な感覚です。
少し長くなるかも知れませんが、少々お付き合いください。
まず初めに私自身の夢であり、目指し続けた【プロサッカー選手】になるという事は叶いませんでした。
兄の影響を受け5歳からサッカーを始め、最初は自分に期待していなかったし、されてもいなかったと思います。しかし、プロになりたいと初めて親や友達に公言した中学3年生。ここから今に至る7年間、不安や期待に押し潰されそうな時もありましたが、決して自分がプロになれないと考えたことはありませんでした。自分を信じ、ただ進む。
この繰り返しでした。
そんな私も大学4年生となり、将来のことを考えるタイミングで、現状今のままでは国内でプロになる可能性が低いと考え、父には海外に挑戦したいと相談していました。しかし、母を安心させる為に始めた就活で内定が決まり、そのタイミングで私も将来に対して少し安心してしまいました。内定と同時にサッカーに対しての熱量が薄まり出したような気がします。それから、サッカーを続けるか、辞めるか自分でも分からない時期が続き、どこかプロを諦める理由を探していたような気がします。
諦めることで、今まで支え、応援してくれてた人達のことを裏切ることになるのではないか。
この時期が1番辛かったです。
プロを諦める理由を探してしまった自分に目指す資格はないと言い聞かせ、サッカーを今年で辞める決断をしました。プロになれなかった事はお爺ちゃんになっても悔しいと思います。しかし1番悔しい事は、両親や応援してくれた人にプロになった姿を見せられたかった事です。
これまで多くの方に支えられて今の私があります。特に両親には、どれだけ感謝しても足りないです。私を知る人は、私がどれほど両親に支えられているかご存知だと思います。
少し両親との思い出を振り返ろうと思います。
まず最初にいつもグラウンドで大きなカメラを持って必ず試合に駆けつけてくれる父親です。私のことが大好きな父親ですが、最初は私のサッカーに全く興味がありませんでした。父親は、私に進学校へ行ってほしく、小学生2年生の頃から家庭教師や塾に通わせてもらっていました。
そんな中【サッカー選手】になる為に富山第一高校へ行きたいと言った時には、物凄く反対されました。説得をして半年経った頃、中学最後の試合を父親が見に来てくれました。この試合では、私の覚悟を見せる為にいつも以上に気合が入っていましたが、試合結果は「負け」でした。さらに私自身も特に何もできず、帰りの車で涙が止まりませんでした。しかし、私が泣いている中、私以上に泣いていたのは父親でした。父親は泣きながら、富山第一高校へ行くことを承諾してくれました。「お前が本気でやるなら俺も本気で応援する」と言い、私のサッカーに対する熱量と同じくらいの応援をしてくれました。私の為に大きなカメラを買ったり、富山第一高校の父母会の会長になったり、どんな遠い遠征先にも欠かすことなく応援しに来てくれたりと、私にとって確実に「日本1」のサポートでした。私は亜細亜で1番熱い男と自負していますが、この性格は父親譲りかもしれません。
最高のサポートをしてくれている父親ですが、私の母親も父親に引けを取らない母親です。中学の時、父親を半年もの間説得することができた最大の理由は母親がいたからです。どんな時も私の味方で話を聞いてくれました。私が高校へ入学すると同時に、母親はすごく料理に力を入れてくれました。私が常に最高のパフォーマンスをする為に色々調べたり、話を聞きに行ったりと、目に見えない努力をしてくれました。高校の時部活帰りの楽しみが母親のご飯で、現在寮で生活して年に2度帰省するその時も、楽しみは変わらず、母親のご飯です。常に私が頑張る原動力を与えてくれて、私が点を取った時に誰よりもニコニコな笑顔で写真に写っている母親の顔は、私がサッカーで落ち込んだりした時に見て元気を出す秘密兵器でした。大学に入り、あまり母親にいいところを見せられなかった事が、この4年間の後悔です。
私は両親が大好きです。
これまで多くの辛い事がありました。しかし常に私の味方で支え応援してくれました。
何事にも全力で常に100%以上で答えてくれる両親が居ることは、私の人生の最大の幸運だと思います。
まだなにも親孝行なんて出来ていませんが、本当に感謝しています。
ありがとうございます。
次に同期に対して書こうと思います。
この4年間、サッカーでも寮でもずっと一緒にいて数えきれない笑顔をもらいました。
毎週のように飲みに行き、時には誰かの失恋会や試合に負けサッカーを忘れようと飲みに行くけど、結局熱くなってサッカーの話になる熱い奴らなんです。
本当の意味で血、汗、涙を共に流した同期が私は大好きで、第2の家族だと思っています。
すぐ日本酒アルハラをしてくるれんのすけも、潰れて後輩に介護されるあおいも、馬鹿みたいに毒舌なひでとらも、オネエ疑惑な小森も、全員からいじられ愛されてるサントスも、みんな大好きです。辞めちゃったけど松尾とあっきーとヨネにも同じ思いがあります。
あと少しでこんな生活が終わると思うとすごく悲しいですが、たくさんみんなで集まりましょう。
サッカーに対して何一つ思い通りにならない4年間でしたが、同期のみんながいてくれたから乗り越える事ができました。本当にありがとうございました。
最後にサッカーに対して書きたいと思います。
サッカーは私に沢山の素晴らしい景色を見せてくれました。
思い出すだけで胸が熱くなるような事も、眠れない夜に思い出してしまう嫌な記憶も、歩きながら考えるかっこいい自分の姿も、私にとって喜怒哀楽全てがサッカーでした。
試合前自分を奮い立たせる為に聞くプレイリストも、謎にこだわっていたルーティーンも、試合前の緊張とは少し違うドキドキも、もうこれからは無くなると思うだけで悲しいですが、新しい自分を見つけ、新しい目標に挑戦します。
これまで私は自分がプロになる為にサッカーを取り組んできました。引退まであと2試合は応援してくれた家族、仲間、恩師の為に戦います。
この17年間で経験した、辛さも嬉しさも全て私の【財産】です。サッカーを通じて出会えた全ての人に感謝します。
本当にありがとうございました。
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