「できない箱」に入っていた『運動』が49歳で「きっとできる箱」に入っていった話
2023年1月から、いわゆるパーソナルトレーニングに通っている。
毎回、私の自宅から車で10分ほどの坂の上にあるY先生の自宅に併設されたトレーニングルームに通う。
初回は、紹介してくれた友人も同行して、身体のチェックからスタート。
トレーニングルームに置いてあるたくさんのダンベルや、初めて見るトレーニングマシン(のちに「スミスマシン」なのだと知った)、大きさの違うバランスボールが珍しくてキョロキョロしていたわたしに、Y先生はまずはまっすぐ立つよう声をかけてくれた。
「まっすぐ立ててないね」
え??立ってますけど何か?
もも裏の筋肉がちゃんと使えてなくて、膝を曲げることで上半身とのバランスを取っている。まっすぐ立ててないんだよ。
言われてみれば、膝が少し曲がっている。おかげで上半身は少し前屈み、お尻が後ろにちょっと突き出している感じ。ほんとだ、まっすぐ立ててない。
今まで自分がどんな風に立っているか、なんて気にしたこともなかった。
このやり取りをきっかけに、1回(1〜1.5時間)で巷のトレーニングジムの月会費ほどの報酬を支払うパーソナルトレーニングに通うことを決めた。
Y先生は、国立の体育大学を卒業した(私から見たら)スポーツエリート。それでいて、朗らかで柑橘類と野球が大好き、3人のお子さんをこよなく愛し、お酒はそんなに強くない10歳ほど歳上のメンズ。話しやすくて波長もあう。個室で1時間半も一緒にいることを考えてもストレスフリーなお相手なのも幸いした。
最初のうちは週に1回、足しげく通う。トレーニングルームに常備してあるダンベルなどは使わせてもらえるはずもなく、まずは自重を使ってのトレーニングがスタート。
・背骨は動かさずに、肩甲骨だけ動かして
・仰向けに寝転がって、上半身はそのままで、右ひざを左側の床につけて
ストレッチの段階から、日本語のはずなのにY先生の言っていることがまっったく理解できず、もちろん身体も言われた通りに動かない。
それもそのはず、小学生の頃から運動は大の苦手。5年生のわたしは、当時の平均身長からマイナス3センチ、平均体重よりプラス5kg、とコロコロした体型で、側転も二重跳びも逆上がりもできたためしがない。
小さい頃から運動は苦手で、と言い訳のようにつぶやくわたしに、Y先生は根気強く、わかりやすくイメージを伝え、その筋肉が、例えば足を、腕を、肩をどのように動かしていくものなのかを伝え続けてくれた。
たぶん私にはこれが効いた。
何か新しいことを知るときや学ぶとき、「これはこういうものだから」の一辺倒だとまったく身につかない自覚がある。(おかげで、簿記3級を勉強した時に「貸方」と「借方」を覚えるのに苦労したものだ)
逆に「そもそも何のためにあるものか」「どういった目的でやることなのか」がしっくりくると、ストン、と腑に落ちる瞬間があるのだ。
Y先生のトレーニング中には、この「ストン」を何度も体験した。
すると、少しずつだがY先生から言われたように、足を、肩を、背中を動かすことができるようになっていった。できることが増えていく、できたことへのフィードバックをもらえると、がぜん面白くなってくるのが人間てもの。
ある日、通い始めてから2か月経つか経たないころだったか、プライベートで心折れる出来事が起きた。
喩えるなら、相手に喜んでもえると信じて大事にだいじに苗から育てた花を手渡したら、「そんなの自分が欲しいものじゃない」と手にも取ってもらえなかったような出来事。2年かけて育てた花をただ抱きしめて膝から崩れ落ちるしかなかった、そんな出来事だった。
自分の存在自体を全否定されたような感覚が抜けず、口にすると泣いてしまうのがわかっているので、家族にも友人にも誰にも話せない。表面上は普段通りに過ごし、仕事に行き、週に一度のトレーニングにも(自分なりに)平然な顔をして向かった。
こんにちは、今日もよろしくお願いします、といつも通りに顔を合わせた瞬間
何かありましたか
Y先生のひと言に、涙腺のダムが決壊した瞬間だった。
わたしと先生以外誰もいない、いつものトレーニングルームで、無機質なマシンや色とりどりのバランスボールに囲まれて、ひっくひっくと声をしゃくり上げながら、どれだけだいじに花を育ててきたのか、どれだけ相手に喜んでもらいたかったのかを、支離滅裂に訴えかけるわたしに、先生は細かいことは何も聞かずに、大丈夫、あなたは大丈夫だと頭を撫で続けてくれた。
そういえば、通い始める頃に
トレーニングというよりコンディショニングなんですよ。身体だけでなく心のコンディションも整えていくのが僕のやり方なんですと、
そんなY先生の言葉を思い出した。
こうやって信頼関係ががっちりと固まったころか、トレーニング中に
あなたは、運動ができないんじゃなくてやり方を知らないだけ
それと、できるようになるのに、人より少し時間がかかるだけなんだよ
エ?? ワタシ、ウンドウデキナインジャナインデスカ
(え??私、運動できないんじゃないんですか)
小学生以来、「運動」=「できない」箱に入っていたわたしの40年。できないわけではない、ということを初めて知る。
以来、私の中の「できない」箱のフタがカパッと開き、「運動」がひとりで勝手に「できるかも」の箱に入っていった。いわゆるパラダイムシフトが起きた。
そして通い始めて1年半経ったいま。49歳になった2024年夏は、これまでの人生で一度も成功したことがない「逆上がり」が「きっとできる」箱に入っている。
運動ができないと思い込んでいた失われた40年を取り戻そうとしているのか、逆上がりにこだわる理由は思い当たらないが、過去の未完了を完了させるとこで、また新しい自分に出会える気がしている。
いまや片手に8kgずつのダンベルを上げるようになり、Y先生からはしつこいほど、本当に運動ができなかった(と思い込んでいた)子なんだろうかと不思議がられているし、あの日に憧れのまなざしで眺めた「スミスマシン」でバーベルも上げ始めた。来年春に迎える50歳の誕生日までには、「人生初の逆上がりを成功させた自分」に出会えていると信じている。