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インタビュー「二胡奏者・指導者として理想の音色を極める」桐子(二胡奏者)

 中華風の可憐な衣装に身を包んで、中国伝統音楽から、日本のアニメやボカロの楽曲までを二胡で自由自在に奏でる桐子きりこさん。子どもの頃から数多くの国内外のコンクールで優秀な成績を収め、大学生の時には中国の音楽教育の最高峰である中央音楽学院でも1年間の薫陶を受けた実力派の二胡奏者だ。
 最近では、独自のスタイルで二胡の演奏を続ける桐子さんのことが中国の論文にも掲載されたほど。そんな桐子さんに二胡との出合いから現在に至るまでの軌跡を聞いた。


前例のない英才教育

―― 東京で生まれ育った桐子さんは、6歳から二胡を始められたそうですね。二胡とはどのように出合ったのでしょうか。

桐子 最初のきっかけは、父が海外旅行をした際に、街角で偶然、二胡の演奏を聞いたことです。そこで二胡の優しい音色が父の心に強く残ったようでした。

 旅行先から帰国してしばらくたったある日、両親は昔からの大ファンである坂本龍一さんのコンサートに私を連れていってくれました。その時、映画『ラストエンペラー』のテーマ曲が演奏され、そのなかで二胡も用いられていたんです。

 そうした出来事が重なって、家族のなかで最初に父が、実家の近くにある二胡教室に通い始めました。その約半年後には母も別の教室で二胡を習い始めました。我が家に空前の〝二胡ブーム〟が訪れました。

 新しい趣味を見つけて、毎日のように家で楽しそうに二胡を演奏する両親の姿が子どもながらにとても印象的で、「私も弾いてみたいな」と漠然と思うようになりました。そこで母が通っていた賈鵬芳ジャー パンファン先生の教室で私もレッスンを受けることになりました。

 当時、私は6歳の小学1年生で、賈先生は小さい私がレッスンに来たことを大変喜んでくださいました。その頃、日本人で幼少期から二胡を学んでいる子はほとんどいなくて、前例のないことだったからです。先生は母に「ぜひ娘さんを育てさせてください。今からしっかりと練習を重ねれば、桐子さんは将来プロの二胡奏者になれるかもしれません」と言って、私を生徒として受け入れてくださいました。

 楽しそうだなと思って始めた二胡でしたが、実際に教室に通い始めた私を待っていたのは、厳しい練習漬けの日々でした。自宅では母から1日最低1時間の練習を課されました。放課後、友達が家に遊びに来ても、私は別室で1時間の練習をするんです。練習が終わって、時計を見るとすでに夕方5時。「もう家に帰らないといけない」と言った友達の背中を見送るだけの日もありました。内心では私もほかの子たちのように好きに遊びたいと思っていて、二胡は嫌々で練習していました。

 月に1度の賈先生のレッスンも厳しかったです。先生は私を子ども扱いすることなく、真剣に向き合ってくださいました。私がうまく弾けなかった時には、先生は二胡の音だけを介して指導されることもありました。私も必死になって先生の音を真似するのですが、なかなかうまくできなくて、泣きながらレッスンを受けたことも少なくありませんでした。それだけ先生は本気になって教えてくださいました。

 私が賈先生のもとで学んだのは小学生の頃だけなのですが、それでも、いまだに演奏会などで私の音を聴いてくださった方から、「賈先生の音色に近いものを感じる」と声をかけられることがあります。

現在、桐子さんが使用する「蘇州二胡」。北京二胡、上海二胡とは楽器の先端のカーブの角度がやや異なる。紫檀で作られており、「よく響くやわらかい音色が印象的」(桐子さん)とのこと。1980年代の制作。


国際コンクールでの挫折と転機

―― 小学生の頃から壮絶な努力を重ねてこられたんですね。桐子さんが人前で演奏するようになったのは、いつ頃からなのでしょうか。

桐子 賈先生のご指導と毎日の練習の成果もあって、演奏力はめきめきと上達していきました。人によっては合格まで数年を要する中級の検定曲も、私は1年ほどでクリアできました。「桐子ちゃん、すごいね!」と周りの大人から褒めていただけるようになって、嬉しかったですね。

 人前で演奏するようになったきっかけはコンクールでした。小学校高学年になった頃、賈先生から「中国で行われる国際コンクールに挑戦してみないか」と提案されたんです。

 この時、私はNHKのBSのドキュメンタリー番組の密着取材を受けていました。本当は飛行機に乗るのが怖くて参加したくなかったのですが、目立ちたがりだった性格が勝って、カメラの前で「絶対に優勝します!」と答えて、国際コンクールへの参加を決めたんです。

 初めて参加した国際コンクールで、私が目にしたのは、圧倒的な演奏力を誇る同世代の中国人の二胡奏者たちでした。演奏にミスがないのは当然のこととして、特に曲に合わせた情感の表現が本当に豊かで、とても同じ小学生とは思えませんでした。どの面を切り取っても、私と彼らとは雲泥の差。私は決勝には進めず、準決勝で敗退して帰国の途につきました。

「絶対に音は外していないし、譜面通りに弾けたのに、なぜ」――帰りの飛行機で、その疑問が何度も頭の中を駆け巡りました。もうこれ以上、二胡は上手くなれないのかもしれない。それくらい深い絶望の淵に叩き落されました。

 それでも、私は二胡を諦めることはできませんでした。私のなかにある〝負けず嫌い〟の思いに火がついたんです。誰かと比べてということではなく、ほかでもない自分自身に負けたくない、と。

 それからは二胡と向き合う姿勢を大きく変えました。これまで嫌々やっていた家での練習も、それ以降はきっちりと目標を定め、自発的に取り組みました。練習時間も3時間、4時間と自然と伸びていきました。

 この時、私自身のなかで大きく変わった考えがあります。それは譜面通りに演奏することが、必ずしも正解とは限らないということ。中国で出会った彼らのように、さらにその一歩先にある〝表現〟ができるようになるまで、練習を積み重ねました。

 こうした努力の成果も実って、翌年の国際コンクールで、私は北京地区で優勝を果たすことができました。そこから本当の意味で二胡の演奏を楽しいと感じるようになりましたね。


おおらかさと繊細さが育む文化

―― 中学、高校を通じて国内外のコンクールで優秀な成績を収められた桐子さんは、その後、早稲田大学に進学をされました。

桐子 実は国際コンクールで北京に行くたびに、中央音楽学院の馬向華マ シャンフア先生の個人レッスンを受けていました。馬先生は青年演奏家でありながら、中国の音楽教育で最高権威である中央音楽学院で教授を務められていました。

 私が高校生の時、その馬先生が、「あなたは将来、中央音楽学院で学んだほうがいい」と言ってくださったことがあったんです。尊敬する先生からそう言っていただき、私のなかで中央音楽学院への憧れが募りました。

 とはいえ、私は日本ですでに進学先が決まっていたので、ひとまずは日本で大学に通うことにしました。

 私の進学した早稲田大学は日中交流に積極的で、関連イベントが多く催されていました。私もイベントの一環で、中国人の民族楽器の奏者さんと大隈講堂で共演することになりました。

 出番が終わって、ほっとしていたところに、中国人の奏者さんが真剣な表情を浮かべて近づいてきました。そして、厳しい口調で、「あなたは中央音楽学院を知っているか? もしあなたが中国でも認められるプロの演奏家を目指しているのであれば、今すぐにでも中央音楽学院に行くべきだ」と私に言ったんです。

 それを聞いた私はもう居ても立っても居られなくなって、その日のうちに急いで早稲田大学の退学届を準備しました。そして、私の通う学科の先生に進路の相談をしたのです。

 先生は驚いた様子でしたが、「私たちもサポートしますので、退学ではなく、休学を考えてはどうですか」とアドバイスをしてくださいました。

 その後、早稲田大学を休学して、当時お世話になっていた先生方に推薦状を書いていただき、北京にある中央音楽学院に国費留学生として1年間留学できることになりました。

―― 中央音楽学院での留学を通して、どういった変化がありましたか?

桐子 中国で長期間暮らすのはそれが初めてでした。高校は国際科に通っていて、そこで中国語を学んだり、中国人の友達ができたりもしたのですが、それでも現地での暮らしはさまざまな発見に満ち溢れていました。

 二胡からは少し話がそれますが、私は辛い物が大好きなんです。それで放課後、大学の近くにある西単せいたんという繁華街にある火鍋屋さんによく通っていました。その帰り道に、西単の地下街にあるショッピングストリートに寄るのが好きだったんです。

 そこで私と同い年くらいの女の子の店主さんと知り合いました。その子が、本当の家族のように私を大切にしてくれて、私の誕生日には2人では食べきれないくらいの大きなホールケーキを用意してくれたんです。なんて愛情深くて、情熱的で、心の距離が近い人なんだろうと感動しました。

 もちろん一概には言えませんが、その子をはじめ、中国人の友人と付き合うなかで、中国人のおおらかさに私は惹かれました。というのも、私自身は少し神経質なところがあるからです。

 中国人の持つおおらかさと、中国文化の繊細さってどこか矛盾するように見えませんか? でも、私としては、そこに中国の魅力が詰まっているように思うんです。

 二胡の演奏にも言えることなのですが、大事なのは〝切り替え〟なんですね。演奏に臨む際の気持ちの切り替え、曲調ごとの感情の切り替え。太極図の陰と陽のマークのように、「動」と「静」のちょうど良いバランスを取ることで、人の心に響く音色が奏でられるんです。そうして見ると、おおらかさと繊細さも相反するものではなく、お互いの良さを補うものだと思うんです。私自身、性格がずいぶんおおらかになったことで、二胡の音色にも良い変化が生まれました。

二胡の楽器本体にはなめしたニシキヘビの皮が張られる。音色の微調整のために張られる中央のフェルトがうさぎの形をしているのは桐子さんの遊び心から。

―― 実際に中国で暮らすなかで見えてくる文化の厚みがあるんですね。中央音楽学院では馬向華先生に師事されたそうですね。馬先生のもとで1年間学ばれた日々はいかがでしたか?

桐子 馬先生からは単に演奏技術だけでなく、メンタル面も含めて、大切なことを本当に多く教わりました。

 馬先生のレッスンには一つ大きな特徴があります。それは、先生は絶対に二胡を持ってこられないということ。しかも、先生はレッスン中はだいたいほかのことをされながら指導されるんです。ある時は、私が演奏している最中に、誰かと電話しながら「あと10分でレッスンが終わるから待ってて」なんて話されたりもしていましたね。

 先生が何を意図されているのか。何度かレッスンを受けるなかで私なりに分かってきました。

 先生には音を聴くだけで、その人の心身の状態が鮮明に見えているんです。ほかの作業をしているようでも、音はちゃんと聴かれている。そして、先生のアドバイスはいつも驚くほど的確でした。音色から、私が気にかけていることをすべて察して、必要な言葉をかけてくださいました。常人には信じられないような境地に馬先生は達していたのです。

 留学が始まった当初、私は速弾きをすると、親指がつってしまったり、指や手首に腱鞘炎のような痛みが生じていたりしていて、「自分の弾き方はどこか間違っているのではないか」との不安を抱えていました。

 馬先生は、私が自分の演奏に自信がないことをすぐに見抜かれました。「桐子、あなたはきちんと自信を持たなくてはいけない。誰かと自分を比較して惑わされる必要はどこにもない。あなたが信じる先生の言うことを信じなさい」と言って私を安心させてくださいました。

 1年という短い期間でしたが、馬先生から教わったことは、帰国後にも私にたくさんの気づきを与えてくれました。

操作ミスから始まったコスプレ演奏

―― 帰国後、日本の大学に戻られてからは、どのように過ごされていたのですか?

桐子 早稲田大学に在学中からお仕事として二胡の演奏をしていました。留学から帰ってからは、ニコニコ動画やbilibili(中国の動画投稿サイト)に投稿したアニメやボカロの楽曲を二胡で演奏した動画がバズるようになって、そこからさらに新しいお仕事をいただけるようになりました。

 当初、アニメやゲームのキャラのコスプレをして演奏していたんです。きっかけは私の操作ミスから始まって……。

 私は小さいころからアニメやゲームが大好きだったんです。私の父がゲームのプログラマーをしていて、その影響を受けていたんですね。

 大学生の頃には、「ラブライブ!」というアニメにはまっていました。その「ラブライブ!」が主催する音ゲーの大会があって、応募してみたら、それに出られることになったんです。

 作品での私の推しは矢澤にこちゃんというキャラクターです。作中では、にこちゃんが変装をするシーンがあって、私もその大会に「変装をするにこちゃんのコスプレ」をして参加しました。

 そのコスプレの姿を撮影して、自分の趣味専用の当時のTwitterアカウントに投稿したら、間違えてお仕事用のアカウントで発信してしまっていたんです。あとでそれに気づいて「やばい!」と思って投稿を削除しようとすると、意外にもそれを面白がってくれる人が多くいました。

 そのなかに「二胡とにこちゃんが掛かっているんですね」なんてコメントもあって、私は「あ、なるほど、お上手」と思って(笑)。それまで私のなかでは二胡と「ラブライブ!」は全くつながっていなかったので。

 それで、にこちゃんのコスプレをして、「ラブライブ!」の楽曲を二胡で演奏したら面白いんじゃないかと思って投稿してみたら、驚いたことに1本目の動画で物凄くバズったんです。一瞬、馬先生の顔が浮かんで、「まずい、怒られるかも」って思ったくらいでした。

―― たしかに、二胡の伝統的なイメージとはかけ離れていますね。

桐子 アニメキャラのコスプレをして演奏することで、二胡のイメージが悪くなるのではとの思いが私のなかでありましたし、実際にそれを指摘する声も聞こえてはきました。

 一方で、昔から応援してくれていた方々のなかには、その動画を見て面白がってくださって、「いけいけ桐子さん!」と強く後押ししてくれる人たちもいました。

 そうした声のなかで揺れていた私に、ある尊敬する先輩がこんな言葉をかけてくれました。「自分が本当に表現したいことは、二番手に置いておくといいんだよ」と。

 私にとって一番大切なものは二胡です。その二胡の魅力を若い人たちをはじめ、多くの方々に知ってもらえるなら、こうした表現方法も良いのではないか――その先輩の言葉を聞いて、私はそう思うようになりました。実際にいまでは日本でも中国でも、コスプレで演奏する方や、中国古典曲以外の曲を自由に演奏して動画投稿する方が増えました。

 動画の投稿数が増えるにつれて、反響も広がっていき、そこから数年間は、毎年のように中華圏でアニメ関係のイベントに演奏で呼ばれるようになりました。どこに行っても日本語で話しかけてくださる現地のファンの方々がいて、アニメというポップカルチャーの持つ力をまざまざと実感しましたね。


指導者として二胡と向き合う

―― いまも国内外で活躍されている桐子さんですが、演奏活動のほかに、ご自身で二胡教室も開かれています。指導する立場になって初めて気が付いたことなどはありますか。

桐子 最初の生徒さんを教室に受け入れたのが大学生の頃だったので、もう10年近くになります。

 自分を一番変えてくれるのが、人に教えることだと日々実感しています。私の教室に通うことを決められた方は、きっと私の音色をいいなと思ってレッスンを受けにきてくださっていると思うんです。私としては、生徒さんたちは、理想の音色を共有する仲間だと思っています。先生と生徒という関係性だけになってしまうと、かつての私のように受け身での練習になってしまいかねません。

 どうすれば理想の音色に近づけるのかを一緒に考えて、それを見つけるプロセスに寄り添う。一方的に教えるのではなく、対話するような気持ちで私は指導に臨んでいます。生徒さんたちがステップアップするとき、必ずと言っていいほど、そこには彼ら自身の内面の成熟があります。それが私の自信と成長にもつながっています。

 二胡を演奏する上で、理想の状態を「人琴合一じんきんごういつ」と呼びます。人と楽器が一体化して共鳴する状態を言います。そのためには、体に余計な力みがないことはもちろん、マインドも安定させて、内功(インナーパワー)を引き出して音にのせることが大切です。心身ともに素直に自分らしくあることが人琴合一の鍵になります。

日本人の二胡作家が手がける福音弓ふくいんきゅう麗風れいふう。写真は桐子さんの体に合わせて完全オーダーメイドで制作したもの。余分な動作をすべてカットし、理想の音色を響かせる。「この弓が私の演奏の8割を支えてくれている」と桐子さんも大満足の逸品。

―― 最後に今後の目標についてお聞かせください。

桐子 今後は、二胡をただ知ってもらうだけではなく、日本で二胡に興味を持ってくれた人が、より深く二胡を学べる場をつくっていきたいと考えています。

 私の好きな四字熟語が「不易流行」です。新しいものを積極的に取り入れていくことの大切さを説いた言葉です。初めてコスプレで演奏動画を投稿したとき、「伝統楽器なのに、コスプレなんかしたらダメだよ」という言葉に動じた自分がいました。けれども、そこから10年近くが経って、結果として多くの人に二胡を知ってもらうことができました。

「自分が本当に表現したいものは、二番手に取っておくといい」という言葉をさきほど紹介しましたが、いまようやく自分が本当に多くの人にお伝えしたい二胡の魅力を発信するときがきたと思っています。

 私自身、どんな演奏会でも必ず伝統楽曲を1曲は演奏するようにしています。また、アニメ楽曲などのアレンジする際にも、伝統奏法を用いるように心がけています。これまでのさまざまな取り組みが相乗効果をもたらして、良い流れが生まれてきていると感じています。

 演奏活動と二胡教室を両立するなかで、自分の音が変化しているのも感じています。これからどんどん年齢を重ねていくなかで、たしかに身体的には衰えていくかもしれません。でも、私が一番大切にしているのは、二胡の音色の響きです。それは新しい経験を積み重ねることで、どんどん進化していきます。将来、自分がどんな音色を奏でられるのか、とても楽しみでもあります。

 そのためにも、常に新しい勉強を怠らず、また生徒さんたちとともに成長していきたいと思っています。一生涯、二胡の発展に貢献し続けていきたいですね。


【プロフィール】
東京都出身。早稲田大学教育学部複合文化学科卒業。中央音楽学院民楽系二胡専攻研修課程修了。二胡奏者として国内外で活動しながら、二胡教室「杏仁二胡学院」を主宰する。演奏活動以外にも、特技の中国語を生かして、NHK WORLD JAPANの番組でMCを務めるなど、メディアにも多数出演。

公式HP:https://www.kiriniko.com/
X(旧Twitter):https://twitter.com/Ki_Ri_Ks2
Instagram:https://www.instagram.com/kiriks2


取材・文)南部健人なんぶけんと
撮影)Yoko Mizushima


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