見出し画像

見えない日常 #2 木戸孝子(写真家)

 家族の親密な関係性を収めたシリーズ「Skinship」が、このところ欧米の数々の写真コンテストで高い評価を受けている写真家の木戸孝子氏。同作のテーマに至るきっかけとなったのは、彼女がニューヨークでの生活で思いがけず遭遇した〝逮捕〟だったーー。

前回〈Chapter 1〉はこちら


Chapter 2

「You are in a pickle」私の話を聞いた囚人が言った。

「どういう意味?」と聞くと、「You are in trouble だよ」と教えてくれた。こんな状況なのに「また新しい英語を覚えた!」とどこかで思っている自分がいた。そうか、ピクルスのビンの中に閉じ込められて、身動きできない状態なのか。確かにそんな感じだ。

 私たちのベイルの金額は、それぞれ5万ドルだった。ベイル(Bail)とは保釈金のことで、ベイルアウト(Bailout)というのが、保釈金を払って拘置所から出ること。こんな状況にならなかったら学ぶ機会のなかった英単語。日本人の友達に電話ができた時、私は思わず、「身代金を払えば出してくれるって」と説明していた。

 5万ドルは、当時のレート(1ドル=約120円)で計算して600万円。そんな貯金はなかった。ちょうど、ワーキングビザの更新のために3千ドル払ったばかりだった。「3年後には、今度はアーティストビザの申請のために8千ドルほどかかる」という話もすでに弁護士のロジャーから聞いていた。しかもそれは、申請しても取れるかどうかわからない、取得の難しいビザだった。一生懸命に働いて、少しずつ貯金しても、ビザの更新のたびにお金はなくなっていく。これではまるで、アメリカにいるために働いているようだ――。外国人の不利を感じ始めていた頃だった。

「なんとかしてベイルアウトして拘置所の外で戦った方が有利だよ」と、私に何かと親切にしてくれる囚人が説明してくれた。「ここじゃあ十分に弁護士とも話ができないし、ベイルアウトしないと、検事たちは交渉と判決を延ばし延ばしにして、最終的にここにいた期間をそのまま刑期にするみたいな酷い〝帳尻合わせ〟をするからね。だから外に出て戦わないと、ここにいる期間が長くなるんだよ」

 彼女はドラッグの売買で逮捕されて判決が出るのを待っていた。「早くアップステイトに行きたいよ」とよく言っていた。アップステイトというのは、ニューヨーク郊外にある刑務所。1年以上の判決が出た囚人は、この刑務所に移される。「アップステイトの方がずいぶん環境がいい」と何人かの囚人から聞いた。

TV in a Glass, 2003

 警官は「取り調べが終わったら返す」と言っていた携帯電話を返してくれなかった。取り調べの後にどこかに連れて行かれる車の中で、私は「携帯電話を返してよ」と食い下がった。警官は、のらりくらりとしか返事をしない。「電話番号覚えてないから誰にも電話できないし、私が逮捕されてここにいる事を誰にも伝えられない。返してよ。嘘ついたってわけ?」と私が言うと、警官は「じゃあ、2つだけ番号を調べてやるから、2人の名前だけ教えろよ」と言った。この会話の間、彼はずっと私に銃を向けていた。私は、日本人の友達と、会社のボスの名前を伝えた。

 連れて行かれた場所でやっと、ニューヨークに住む日本人の友達のみさとちゃんに電話をすることができた。彼女はタイミング良く電話を取ってくれた。もしこの時、みさとちゃんが電話に出ていなかったら、と思うとゾッとする。

 警官は私に「友達に英語で話せ」と命令してきた。逮捕されたことを私の弁護士に、仕事に行けないことを会社のボスに、それぞれ伝えてほしいと頼んだ。こんな時になっても、仕事を休むことを伝えないといけない、と思っていた。つくづく私も真面目な日本人。とにかく、これで弁護士を含め3人に、自分の状況を伝えられることになった。

 指紋を取られて、そこからまたどこかの留置所に連れて行かれた。散々待たされた後に、一人ずつ呼ばれて、小さな法廷のような所に出て行くようだ。夕方に逮捕されて、もう何時なのかもわからなくなっていた。

Triborough Bridge, 2003

 外では、みさとちゃんが、すぐに私の弁護士・ロジャーに連絡を取ってくれ、ロジャーが知り合いの刑事弁護士・ハワードをものすごいスピードで手配してくれていた。弁護士費用が払えるかどうかまだ確証もないうちにだ。後からわかったことだが、この最初の法廷に刑事弁護士が来ていなかったら、私たちははるかにひどい事態に陥っていた。

 ハワードは、最初の法廷で、私たちが知らないうちに、ベイルを20万ドルから5万ドルに下げてくれていた。法廷では自分がしゃべる機会なんてないし、連れて行かれた時にはすでに裁判が始まっていたし、弁護士がいなければ何もすることができない。とにかく、ベイルは2400万円から600万円になった。外国人は海外逃亡の恐れがあるので、割高なのだそうだ。

 そう言えば、法廷に出る前に、ハワードが私に年収を聞きに来たので、税金を引かれる前の額で「5万ドルくらいかなぁ」と伝えた。手取り額で伝えていたら、もっと安くなったのか!?  と思ったけどもう遅い。こうしてベイルの金額が決まった後で、私たちはライカーズアイランドに連れて行かれた。

 ボーイフレンドは、ハワードから「こういうケースは、恋人同士といえどもお互いを責めて争うことが多いから、君も弁護士を雇ってくれ」と言われたらしい。いかにも個人主義のアメリカ的発想だ。

 みさとちゃんは、私の日本の家族にもすぐに電話してくれた。状況を話し、「拘置所から孝子を出すために600万円が必要」と説明すると、完全に詐欺だと勘違いしたお父さんは「上手に話しますねえ」と言ったそうだ。みさとちゃんが「泣きそうになったよ」と後で話してくれた。

 刑事弁護士を雇うのには1万ドルかかった。私の家族は、何とかお金をかき集め払ってくれた。ボーイフレンドの家族にはお金がなかった。でも、彼のボスが1万ドルを立て替えて、弁護士を雇ってくれたのだ。

The Ordinary Unseen #36, 2006

 女性囚人の中には、それほど凶悪な人がいるとは思えなかった。でも、ここはニューヨーク。男性囚人の方は、ギャングや殺人犯もいっぱいいるんじゃないだろうか。彼は大丈夫だろうか――。何度もそんなことが頭をぎった。

 子どもがどうなったかも心配でたまらなかった。まだニューヨークに来て2ヵ月。英語はほとんどわからない。逮捕された時に「この子は英語がわからないんだから、誰かが一緒にいてあげないと!」と訴えたが、警官は全く信じてないようだった。

 警官は、子どもが英語を理解しないからという理由で、英語とスペイン語を話すフォスターファミリー(お金をもらって里親のような役割をする家族)に彼を預けたのだそうだ。スペイン語も当然わからないのだから、まったく筋が通ってない。仕事のいい加減さは、私の想像をはるかに超えていた。

 10才の子どもがニューヨークでひとり、訳もわからずに知らない人と生活させられて、どんなに心細かっただろう。私たちと急に引き離され、彼の実母が日本から迎えに来て家庭裁判所に出て、やっと日本に連れて帰るまで、3ヵ月ほどかかったのだ。私たちには、「子どもに近寄ってはいけない。近寄ったら刑務所行きだ」という命令が出ていたので、どんなに心配でも何もできなかった。彼は「自分が何か悪い事をして捨てられたと思ったよ」と後になって話してくれた。


〈Chapter 3〉に続く
10月10日(火)公開


木戸孝子(きど・たかこ)
1970年、高知県生まれ。 創価大学経済学部卒業後、プロラボ勤務を経てフリーランスフォトグラファーとして独立。 2002年渡米。2003年、ニューヨークのInternational Center of Photography卒業。 その後、ニューヨークで、白黒銀塩写真のプリンター、リタッチャー、高知新聞への連載などを行いながら、自身の作品制作、発表を行う。2008年、日本に帰国。 現在、高知県に在住し、国内外で作品を発表し続ける。 写真集に東日本大震災の被災地を撮影した『The Unseen』(2021年)。

〈近年の展覧会〉
「LensCulture受賞者展」(Photo London・Somerset House/イギリス・ロンドン)
「Parenthood(公募展)」(PhotoPlace Gallery/アメリカ・バーモント)
「EXPOSURE 2023 INTERNATIONAL OPEN CALL展(公募展)」(EXPOSURE Photography Festival・Contemporary Calgary/カナダ・カルガリー)
「ZUHAUSE NO.6(VONOVIA Award受賞者展))」(Sprengel Museum Hannover/ドイツ・ハノーファー)
「The Unseen(個展)」(多賀城市立図書館/宮城県・MARUTE ギャラリー・香川県)
「The Exhibition Lab Exhibition 2021(グループ展)」(Foley Gallery/アメリカ・ニューヨーク)

〈近年の受賞歴〉
「2023 Arnold Newman Prize」ファイナリスト
「2023 Daylight Photo Awards」優勝
「Parenthood(PhotoPlace Gallery)」ディレクター賞(James Barker)
「LensCulture Summer Open 2022」優勝
「VONOVIA Award fur Fotografie 2022」3位
「Women Photograph Project Grant」グラント受賞
「IMA next」テーマ「Touch」 1位(審査員Lina Scheynius)
「Lucie Foundation Scholarship Program 2021」エマージングアーティスト・佳作
「Photolucida Critical Mass 2021」トップ50 Photographers

いいなと思ったら応援しよう!