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辺境のアジア文学#1『月や、あらん』崎山多美著/文=村上政彦

 近年、アジアをテーマにした作品を執筆してきた作家の村上むらかみ政彦まさひこ氏。日本を含むアジア各地の〝辺境〟で生み出された文学作品を氏が評論する連載。第1回は沖縄文学の作家である崎山さきやま多美たみの『月や、あらん』を取り上げる。

琉球か沖縄か


 何度か沖縄へは旅をした。平和の礎には心がふるえた。ゴーヤジュースには舌がふるえた。この苦さが沖縄の歴史に重なっている気がした。

 辺境のアジア文学というタイトルでの連載が始まった。冒頭でしるしておきたいが、この辺境には「」がついている。「辺境」である。辞典には、辺境は、「中央の文化から遠く離れた地方」(新明解国語辞典)とある。

 ぼくの「辺境」の定義は、少しばかり違う。それは米国発のグローバリゼーションの波にさらされながらも、土地のアイデンティティを失っていない場のことだ。沖縄は「辺境」だ。
 かつて琉球処分によって日本に併合され、第二次世界大戦後は米国に占領され、いまは日本国の一部になっている。いちはやく米国文化の洗礼を受けたが、土地のアイデンティティは失っていない。

 沖縄に行ったとき、島唄を聴いて、踊りを観て、大袈裟な言い方をすると、衝撃を受けた。それはぼくが知っている日本文化と異なった伝統を持った文化だった。ここには米国化も日本化もしていない文化がある、と感じた。つまりは琉球の伝統文化だ。

 この根強い伝統文化のもとに書かれた小説を紹介したい。崎山多美の『月や、あらん』だ。作品世界にダイブしよう。

 10月中旬の夜、部屋のベランダに出ていた語り手の「わたし」は東の空に「灰色の丸いモノ」を見た。一瞬、月かとおもったが、その夜の月はほかにあった。月のようなものはだんだん下降して、隣家の屋根にしがみついた。何が起きたのかと見守るわたしに、それは声を出した。

――えータイ、ティぢゃせー。

『月や、あらん』(p7)

 おそらく、沖縄ウチナーグチとおもわれる言葉の意味は、何となく分かる。手を貸せ、といっているのだろう。手を貸すと、それはベランダに降り立ち、わたしを外へ連れて行く。着いたところは、編集工房<ミドゥンミッチャイ>の看板を掲げた建物。

 わたしは十年あまりつきあいのある、ミドゥンミッチャイの編集者で、イナグドウシおんなともだちでもある、高見沢了子から仕事の引き継ぎを打診されていた。それはどうやら『自叙伝』と題された中身の真っ白な本を完成させることらしい。

 戸惑っているわたしのもとへ、ほかの編集者――年増の女、ぽっちゃり、の二人も現れた。彼女たちも呼ばれたらしい。編集工房には大型のカセットプレーヤーと数本の録音テープが残されていた。

 そこには高見沢了子の仕事の覚書のようなものが録音されていた。ある日、工房に持ち込み原稿があった。『泥土の底から』と題された、「先の大戦中、この地に強制連行され戦後もこの土地で生き永らえたらしい、ある従軍慰安婦の隠蔽された人生の軌跡を、当の本人の語りで辿ったもの」だった。

 高見沢了子は原稿に手応えを感じるが、本当に本人からの聴き語りであるのか疑いを持つ。そして、語り手を探し出したところ、精神科病院に閉じ込められた言葉を失った狂女プリムンだったと分かる。彼女は死ぬまえ、二言だけ言葉を発した。

「チョおセぇーン、……チョぉーセン、ピィー、ぱかに、しーるナッ」

(p77)

ホまへー、リュウちゅうドージン、もホおーッと、キータナイッ

(p78)

 その後、編集工房には黄ばんだ和紙に墨で書かれた日本語らしい原稿の丸太が12本も運び込まれた。わたしは高見沢了子の残した仕事の引き継ぎをするべく、動き始める――

 これが本作の粗筋なのだが、崎山は文章に沖縄口を解説することもせずに散りばめてゆく。日本語と沖縄口の混成語の文体は、沖縄の歴史そのものでもある。同時に、琉球アイデンティティを失わない、という作者の決意とも取れる。

 繰り返すが、沖縄は「辺境」だ。そうであることによって、土地の魂を守っている。崎山の小説を読むことで、ぼくらは、内なる「辺境」と向き合うことを強いられる。それは、無意識のうちに単一民族神話に取り込まれている日本人の解毒の作業だろう。




村上政彦(むらかみ・まさひこ)小説家、1958年生まれ、三重県出身。業界紙記者、学習塾経営などを経て、87年に『純愛』で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。主な作品に『赤い轍』(論創社)、『結交姉妹』(鳥影社)、『台湾聖母』(コールサック社)など他多数。書評エッセーに『ぶら~り文学の旅』(鳳書院)。執筆活動の傍らで大学の非常勤講師として文芸創作のクラスを教える。日本文藝家協会会員(常務理事)。日本ペンクラブ会員。


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