自分の存在意義を失ったとき 2

前回の続き

SESの客先で、自分を支えるプライドが壊れた時、頭の中で何かが切れるような感覚を感じた。この後の数ヶ月は坂を転げ落ちるようだった。この当時の自分の力ではどうにもならず休職へ。

緊張の糸が限界を超えると本当に切れてしまうのだという話をよく聞くが、あれは本当だったのだと初めて体感した。
一度切れてしまうと、本当に立ち直るきっかけが得られるまでは回復する事はなかった。
結局4年くらいかかっただろうか。立ち直るきっかけも本当に最近の話だ。

かつてほぼ自分一人で業務システムのインフラを組み上げた、自信に溢れた自分は木っ端微塵に砕けていた。話が分からない、役立たず、否定しかなかった。今にして思えば、ロクなプライドじゃないので遅かれ早かれどこかで同じ事は起きただろうと思う。
この当時は自分を認めなかった周囲への憎悪だけだった。幸いにして何も事は起こさなかったが、結婚していなかったら何をしていたか分からない。それだけが楔だった。

復職してからも、回復したのは見た目だけだから、すぐに破綻した。もう少し休んでいればよかったのかも知れないが、多額の支出が続いていた状況であり、あまり長期休む訳にはいかなかった。失敗するかもしれないと思いながらも、やるしかなかった。

また、会社の本音が知れたのも大きかった。表向きはコンプラだ何だと言うが、人が追い詰められた時の対応は非常に冷たいものだった。異動希望を出しても、産業医経由で連絡しても何のアクションも無かった。人事と書いてヒトゴトと読むとはよく言ったものだ。

タテマエがどうあれ基本的に働けなくなった者に興味はないのだ。会社としては異動は認めず同じ職場に復帰が方針らしいが、それは再発させるだけだろう、穿った見方をすれば自主退職が狙いなのだろうが、たぶんそこまで考えていない。整理解雇をしないらしい会社なので、不正や不祥事でもない限り世間体の悪いクビにはしない。

何より、官僚的な組織では動かさない責任よりも動かしてトラブルになる責任を嫌がる。動かさなければ本人の問題で処理できるからだ。会社としては休職させた、配慮もした(が本人がダメだった)で世間的な言い訳はつく。所詮は戦力外の面倒な他人に過ぎない。法的瑕疵がなければそれでいいということだろう。
ちなみに人事は自分たちをとても温情的だと言っていた。ブラックジョークならよくできている。

結局、不祥事なく新卒から定年まで勤めあげる、退職金と老後の安定の保証を対価にどんな無理にも応える(自主的な違法・脱法の強要すらいとわない)。
彼ら会社人間にとってはそれだけが正義だが、それは思想的な意味で人間だろうか?

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