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苗字という「流れ」
苗字という「流れ」──家から個人へ
「私たちは、自分の苗字にどんな意味を込めて生きているだろうか?」
◇近代に始まった苗字
選択的夫婦別姓を巡る議論が続いている。
賛成・反対、それぞれに理屈がある。しかし、ふと立ち止まって考えてみると、そもそも「苗字」とはどれほど揺るぎないものなのだろうか。
江戸時代末期から明治維新にかけて、日本は大きな転換点を迎えた。
それまで苗字は、武士や一部の特権階級が名乗るものだった。しかし、1875年の「苗字必称義務令」によって、全国民が苗字を持つことが義務付けられた。僅か150年前のことである。この時庶民は、役所に出向き、突然「苗字を決めろ」と言われた。多くは、その場で思いついたものを名乗り、時には役人に与えられた。地域の有力者の姓を借りた人もいた。つまり、苗字とは、意外にも即興的に「作られたもの」だったという事実がある。
もちろん、長い歴史の中で家名を守り続けた家系も存在する。分家や竈門、同じ集落で同じ姓を名乗り続けた家もあるだろう。しかし、苗字の多くは、明治という激動の時代の中で生まれた、ある種の「社会的な記号」に過ぎなかった。
◇家か個人か
ここに、「家」と「個人」のせめぎ合いがある。
これまでの日本社会は、「家」という単位で動いてきた。戸籍制度や家制度がその象徴だ。しかし、現代は明らかに「個人」を基軸にした社会へと変わりつつある。仕事、住まい、ライフスタイル、家族の形──そのすべてが多様化し、もはや「家」に縛られる時代ではないという人も多数いる。ジェンダーの話も「個人」時代の象徴の一つだろう。
◇社会を構成する単位
苗字をどうするか。これは単なる名前の問題ではなく、「家」を最小単位とするか、「個人」を最小単位とするか、という価値観の違いだ。そして今、その重心は確実に「個人」へと移っているように思える。
選択的夫婦別姓の議論は、まさにこの変化を現している。
姓を統一することに意味を見出す夫婦もいれば、別々の姓で生きることに自然さを感じる夫婦もいるだろう。どちらが正しい、間違っているという話ではない。選択肢があること自体が、社会の成熟を示している。家を中心とした戸籍制度の恩恵もあれば、不自由さを感じる人もいる、そういう話。
◇旧来の価値観が融解していく中で生まれるコト。
おそらくこれからは、「家系」の系譜をより関心を持つ人が増える一方で、与えられた記号の苗字ではなく、バンド名のような新たなファミリーネームを作る家族もでてくるかもしれない。揺らげば揺らぐ程に、過去や歴史を大切にしたい思いが溢れる。逆に新しい「社会記号」を生み出すのも未来の可能性だろう。
(僕の母方は「三浦姓」。三浦一族の探究にハマっているのもそのせだな)
苗字もまた、時代の「流れ」の中で生まれ、形を変えてきた。
「家」から「個人」へ──その流れは、これからも続いていく…
名前の向こう側にある、過去から未来への“流れ”に。
モノコトフロー研究所 浅沼正治
苗字アレコレ雑学
1. 日本の苗字の数
日本には約30万種類以上の苗字が存在するとされていますが、実際に使用されているのは約10万種類前後との研究結果がある。これは、同じ漢字でも読み方が異なる場合や、地域特有の苗字が多いことが要因と考えられる。
2. 最も古い苗字トップ10
日本で最も古いとされる苗字には以下
• 安倍(あべ)
• 中臣(なかとみ)
• 忌部(いんべ)
• 大伴(おおとも)
• 物部(もののべ)
• 蘇我(そが)
• 巨勢(こせ)
• 紀(き)
• 葛城(かつらぎ)
• 平群(へぐり)
これらの苗字は古代豪族の名前として歴史書に記載されており、日本の苗字の起源を探る上で重要な存在。
3. 海外における苗字と家族・個人の関係
海外では、家系図作成がホビーとして定着しており、特に米国、イスラエル、ドイツを中心に盛んです。米国の家系図検索サービス会社の調査によれば、米国人成人の65%が家系図に対して大きな関心を持ち、そのうち45%は何らかの方法で家系研究を行っている。また、欧米ではミドルネームとして母親の姓を用いることが一般的で、父系・母系の両方を重視する文化が根付いている。