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寡婦日記③
「結婚指輪をしないのか」と友人に聞かれた。「きっと守ってくれるからつけたら良いのではないか」と。言われてみると葬儀につけて以来、指輪をすることはなかった。
思いつかなかったという方が正確かもしれない。いろいろな手続きで「世帯主」に丸をつけ「配偶者なし」に丸をつけ「同居する家族なし」の欄に丸をつけてきた。寡婦年金の受給資格もある。夫はいなくて自分は一人だと何度も思い知らされてきた。
そもそも我々は結婚指輪を常日頃つけていなかった。会社員時代は毎日していたけれど、仕事が飲食に変わってからはしなくなった。休みの日もお茶のお稽古ではつけられないし、どこか出かける日もギャラリーやお店で器を見たり触る可能性があればしなかった。秋冬になると手荒れのせいで私の指は腫れて太くなり指輪は入らなくなった。
季節や外出の目的など諸条件をクリアして指輪をつけられる日は夫がつけてくれた。「文さん、結婚してください」と夫が私の左手をとる。「はい、よろしくお願いします」と答えると薬指にはめてくれる。その後、私が夫に同じことをして「はい、結婚した」と二人で言ってくすくす笑い合う。指輪をする日のお決まりの遊び。思い出した。自分で指輪をつけるという習慣自体が私にはなかった。
ずいぶんたくさんの幸せをもらってきたものだ。感謝も愛情も深く大きく惜しみなく与える人だった。一緒に過ごした時間が、受け取ったたくさんの幸せが、たしかな手応えとして胸の中に残っている。何だかもらってばかりだったようにも思う。
夫を亡くしてからもそうだ。訃報を知った方々から数えきれないメッセージをいただいた。葬儀でもたくさんの方から直接声をかけていただいた。「何かあったら頼ってほしい」。「落ち着いたらゆっくり話そう」。「応援してる」。7〜8年前に一度お会いしただけにもかかわらず、私を気にかけお茶をしようと外に連れ出してくださった方もいた。
誰かに大変なことが起きた時、かける言葉が見つからないのなら何も言わない方がましだと思っていた。今はそう思わない。どんな言葉であっても想いは伝わる。想いは届く。受け取った当人はその時はうまく返せなくとも胸にずっと温かな気持ちが残る。もしも今、誰かが悲しく苦しい状況にあるのなら躊躇なく声をかけられる人間でありたい。夫のように、私の周りの方々のように、愛情や温かな気持ちを惜しみなく差し出し、与えられる人間でありたい。
夫と出会えたこと、たくさんの優しい方々に出会えたことに感謝しかない。私はずいぶん幸せな人間だ。今までも。これからも。
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![正垣文](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/16257231/profile_e6f626f44284073e79d94176b0559087.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)