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余珀日記18

昨日行われた社中の初釜で、2022年の抱負を先生に聞かれメンバー全員がその場で発表した。私は「開花」と答えた。

2021年後半のテーマは「自愛」だった。発端は昨年秋のお稽古でのこと。私の練った濃茶を飲んだ先生が「酸っぱい」とおっしゃった。濃茶が酸っぱいとはどういうことか。うまく練れたつもりだっただけに心外だった。

先生曰く、お茶にはその人の全てが出ると。思い返すとその日の私はかなり不機嫌な気持ちで稽古に参加していた。どんなにきれいなお点前でどんなにきれいに練られていたとしても、がらんどうな人間が練ったお茶はがらんどうな味しかしない。禍々しい気が入れば酸っぱくもなる。どんなにタキシードが似合っても、中身のない人間はジェームズ・ボンドにはなれないのだ。お茶のみならず、日々余珀で作っている料理も然り。この出来事にショックを受け、しばらく引きずり、猛省した。

その頃、とある合気道の動画を見た。達人と思われる人物に弟子のような人物が何度も飛びかかっていく。達人はすっとした姿勢をまったく崩すことなく、自らのエネルギーを使うこともなく、相手を受け流していく。相手は自分の出した力がそのまま自分にはね返り、崩れる。達人は言った。「相手を『こうしてやろう』というのではない」「自分が正しくあろうとすれば相手もそうなる」。心に強く響いた。

自らをただ高めること。ととのえること。自らが良くあろうとすれば、お茶も料理も相手もきっとそれに呼応する。自分の軸さえしっかりしていれば、どんなこともぶれずに受け流せる。たとえ稽古に遅刻しそうな出がけのタイミングで誰かが部屋中に掃除機をかけ始めても、腹を立てたりせず受け流せるはずなのだ。

そこから自らをととのえることに注力するようになった。筋トレ、ストレッチ、特に見えない部分のマッサージや保湿。お腹を温め、肌触りの良い靴下を履き、寝る前に塗香を付けて自分に感謝をしながら眠りに入る。これほど「自愛」を実践しているのは人生で初めてかもしれない。

「自愛」というテーマに体を通してアプローチしているのは、それが分かりやすいからだ。昨年夏に体調を崩した後、軽い筋トレを習慣にし始めてからすぐに変化を実感できた。体は素直である。手をかければかけるほどその成果が目で分かる。体感で分かる。「自分を大切にしよう」と頭で考えて思考の習慣を変えようとするよりも、体に働きかけた方が分かりやすいし早い。何より健やかだ。

そんな2021年を経て迎えた2022年。自分を大切にしていった結果、それが自然と外ににじみ出てくると良いと願う。隠れず、縮こまらず、花が開くように。自らが開くような、そんな年にしたい。

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正垣文
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