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余珀日記20

夫が旅立って3週間が経った。長かったのか短かったのかもうよく分からない。眠れているのか眠れていないのかもよく分からない。

毎晩、夢を見る。これならば間に合うのではないか、と必死に夫を救う方法を探している。目覚めるともう探さなくて良いことが分かる。毎日その繰り返し。

「仲が良すぎるのも考えものだ。死ぬ時は一人なのだから」。数年前に、母にそう言われた。母の言うことはいつも正しい。

付き合って21年。結婚して13年半。7年前に会社を辞めてからはほぼ毎日24時間一緒にいた。離れたのは入院した12日間だけ。その間も毎日面会はできた。付き添いで病院に泊まることを許されて久しぶりに一晩一緒に過ごした翌朝、夫は天へ還った。

その夜二人でいろんな話をした。ほとんど私が一方的に話をしたが、夫はずっと聞いていてくれた。たくさんの方が夫にくださったメッセージを二人で読み、動画のメッセージを見て、作ってくださった音楽を聴いた。これだけの方が待っていてくださることに二人で感謝し、二人で泣いた。二人で茶道の教授者を目指して真剣にお稽古すること、余珀で茶道を教えていくこと、金継ぎや和菓子や日本の文化にまつわる教室をやっていくこと、余珀を文化サロンのように運営していくこと、もう一度ニューヨークやセドナ、コペンハーゲンに行くこと、サンディエゴにも行くこと、やりたいことだけやっていくこと。二人で描いてきた夢を一つひとつ全部話し続けた。翌朝、きれいな朝焼けを見た。朝日が昇るのを二人で見た。部屋に光が差した。最後に一緒に聴いた音楽も全部覚えている。

結婚する前年の2008年、夫が初めてこの病をいただいた時から我々は命と向き合って生きてきた。「もしもこれが人生で最後だったら」という判断基準ですべてを選択し、やりたいことからやってきた。夫と出会ってから今まで、幸せなことしか思い出せない。美しい人生だった。最後のその瞬間まで一緒にいられたこと、胸に光と希望を持ち続けられたことに感謝しかない。

どんなに体に気をつけて食べものに気をつけても、病気になることもある。ならないこともある。心を変えて人生を見直し生活を変えて、体が治ることもある。治らないこともある。どんなに抗ってもどうにもならないこともある。皆やりたいことをやったらいいし、食べたいものを食べたらいいと思う。すべてのことに良い悪いはない。

桜が散る。残る桜も遅かれ早かれみんな散る。一番失いたくないものを失った今、私はもう何も怖くないし、誰も怖くない。

風吹かば吹け。雨降らば降れ。今すぐ散ってもかまわない。最後まで生き切った夫に相応しい人間になれるよう、生きられるだけ今を生き切るだけだ。

我々がカフェを開くことを予言した三軒茶屋の美容師さんは言っていた。「ご主人は次はお坊さんになるんじゃないか」と。

5月2日は八十八夜。この日が夫の四十九日だ。四十九日を過ぎれば夫は仏さまになる。お坊さんを通り越して仏さまなのだからもう誰も敵わない。私も仏の妻になるのだから、さらなる修行を積まねばなるまい。

二人の夢を叶えるために私が余珀を続けていく。みえてもみえなくても、克也さんを感じながら一緒に生きていく。来世で克也さんに胸を張って会えるよう、散るまで咲いて咲いて咲いてやる。

世界で一番大好きな克也さん、
たくさんの愛と光と幸せをありがとう。
克也さんと出会ってくださったすべての皆さまに心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。

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正垣文
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