余珀日記⑨
最近、お茶に手紙を書いている。このお茶を飲んでどんな気持ちになったか、味や香りとともに自分の感情を味わい、それを言葉にしている。
手紙を書くうちに思い出したことがある。子どもの頃からお茶はわりと身近にあった。父の実家までおよそ100km。母の運転でたどり着くと「よく来た」と出迎える祖父母。さっそく皆こたつに集まる。すると祖母が鉢にぎっしり白菜の漬物を盛ってくる。湯呑みにお茶が入り、漬物でまず一服。いつもこれが定番だった。ざっくばらんな何でもない日常の風景。実家の両親は今も毎食後お茶を飲んでいる。
大人になり茶道に目覚めてから、急須で淹れるお茶と出会い直した。玉露の味もその頃知った。今までの湯呑みのお茶のイメージが覆され、淹れ方で味も香りもまとう雰囲気も作れる世界もこんなに変わるのだと驚いた。そのうちお気に入りの急須や茶器を手に入れ、毎朝出勤前にお茶を淹れて飲むのが習慣になった。
お茶の好きなところは余韻だ。飲んだ後、口内に残った渋さは甘く変わる。歯磨きをしたかのような清涼感。深く呼吸をするとそのたびに甘やかな香りが口の中に蘇り、心がほどけていく。気持ちがととのう。会社員時代、クレーム対応でストレスを抱えた朝もお茶が何度も救ってくれた。
嬉しい時も悲しい時もイライラしている時もしゃきっとしたい時もお茶はいつでも優しく寄り添ってくれる。どんな感情も受け止めてくれる。ずいぶん懐の深い飲み物だと思う。そして飲んだ後は心がなんだかニュートラルになっている。お茶のそんなところが好きだ。
そんなお茶と出会ったから心に余白ができた。そんなお茶と出会ったから人生を見つめ始めた。人生が変わり始めた。そんなお茶と出会ったからこの余珀はできた。
余珀で毎日素晴らしいお客さまと出会えている。皆さま「ありがとう」とか「美味しかった」とか、メッセージや投稿でわざわざ言葉にして伝えてくださり、そのたびに感動する。本当にありがたい。
その瞬間に何をどんなふうに言うのが適切なのか分からず、黙り込む子どもだった。「気持ちは言葉にしないと伝わらない」、よくそう叱られた。たぶん、黙るから書くようになった。だから手紙なのだろう。気持ちを言葉で伝えてもらう嬉しさが今ならよく分かる。お茶にもお客さまにも伝えていきたい。心からの感謝を。
※お茶への手紙→ https://www.instagram.com/seven_chamurai/