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不老不死は人類を幸福にするか?

 皆さんも薄々気づいていたことであろうと思われるが、私は前に絶望的な内容のnoteを書いた。

我々はフェミニズムの毒牙から逃れられない

 単にフェミニズムに勝つことができないというだけではない。このまま日本が、いや世界全体が滅びの道を進んでいくことを止められないということを意味する。この状況に際して、匿名用アカウント氏は次のように述べている。

フェミニズムが齎す社会の荒廃は、どのような手段によって予防、改善され得るだろうか?
 一つの案として、保守回帰がある。
 規範に従い、なんなら宗教を奉じて、個々人に社会的役割を引き受けさせることで逸脱を防ぐ。特に女性には母親のロールを与えて、出産を半ば義務化する。そういう対策だ。
 ただ、現代社会における少子化問題は、高齢化とセットで考えねばならない。だから出産を奨励する一方で、老人に早期退場を願う……
 いうなれば「姥捨て山」の復活を制度に組み込むべきという声もある。
 話だけ聞く分には収支も合っているし、まぁまぁの答えに思われなくもないのだが、私はそのような方策に大きな期待はできないと考えている。
 目指すべきは専ら技術的解決であろう。具体的には人工子宮やセクサロイド、フルダイブバーチャルリアリティー、そして不老不死の実現だ。

引用 : 完成という名の死を前にして
匿名用アカウント

 詳細はnoteで述べられているが、かなり絶望的な話である。フェミニズムの毒牙からは逃れられないし、少子化問題は技術的解決でしか解決し得ないのだという。

 だがこの技術的解決、どこまで有効なのだろうか。これは私の個人的な見解に過ぎないが、考察を述べていく。


不老不死の問題点

 こちらのサイトで紹介されているものをいくつか挙げる。

不老不死の問題点①:『人口増加』

ただ人間が死なないという事は、人間の数に関しては増加していくばかりになります。
そういう背景から、地球上において、食料問題、領土問題、環境問題というような深刻化が予想されるのではないでしょうか。

 仮に不老不死が実現すれば、少子化には有効であろう。誰も死なないし誰も老いない。こうなれば少子化など起こりようがない。ただこうなると資源の消費が増え続けるため、環境問題が深刻化することが予測される。
 「持続可能な社会」を目指す上で想定されるのは「次世代」の人々であるのだが、不老不死が実現すればその「次世代」の概念が変わる。つまり、「次世代」はそのまま今の世代を意味するようになるのだ。従って、環境問題により当事者意識を持って取り組む必要がある。

 また、このような環境問題の深刻化を防ぐには、子供を持たないことが最善となる。子供を持てずにそのまま死ぬであろう人は、自分が死んだら終わり」という意識をどこかで持っている。不老不死によって誰も死なない世界になれば、子供を持てなくても終わりではなく、そもそも子供を持たないことの方が望ましくなる。これによって、フェミニズムによって抑圧されたいわゆる恋愛弱者が救われることにもなるかもしれない。


不老不死の問題点②:『生命の進化についていけない。』

「不老不死」というのは、50年、100年寿命が延びる場合とは事情が異なっていて、1万年後、10万年後、加えて100万年後以上も生存し続けるという事をいうのです。そうすれば、新しく誕生する生命については、現在に至るまでの歴史と一緒で、なお一層、進化していくと思われます。

 不老不死が実現すれば子供を持たないことが最善になるので新しく誕生する生命は大きく減るだろう。それでも新しい生命は誕生する可能性がある。その場合、その新しい生命は進化していくだろう。その進化に果たしてついていけるのか……。

 逆説的だが、進化とは死によって行われる生きるのに不利な遺伝子が淘汰されるから結果的に生きるのに有利な遺伝子だけが残るのだ。これが進化である。不老不死とはすなわち死なないということなので当然進化もしない。つまり新たな環境に適応できなくなることもあり得るだろう。


不老不死の問題点③:『時間が過ぎるスピードが驚異的な早さになる。』

恐らくは、正気を保つことが出来ない程のテンポで時間が過ぎていくだろうと思います。

 歳を取る程時間が経つのは早く感じる。つまり不老不死が実現すればますます早く時間が経つように感じるだろう。そのとんでもない早さの時間で暮らして我々が幸福になれるのかは疑問である。
 ↓関連


不老不死の問題点④:『現実のものとするまでの私たちの諸事情。』

実現するにあたって、ある程度の実験も求められ、最終的な実験台は言うまでもなく、私たち人間で行なわれることでしょう。そうすることで、また人権問題やいろいろな利権の問題が浮き彫りが生じる事は無いとは言えません。

 代理出産における格差に表れているように、新しい技術を承認するには多大な人権侵害を伴うことがある。そもそもこの代理出産を行ったスプツニ子! 氏は自らの利益だけのために弱者女性を「性的モノ化」している「人間のクズ」なのだが、そのような明確な悪意がなくてもこのような人権侵害は起こり得る人工子宮だってそうだ。人工子宮それ自体には人権侵害をする意図はなくとも、結果的に人権侵害になり得る。

 もちろん、医療を始め技術というものは少なからぬ人権侵害の上に成り立ってきたものであるし、私もその構造を否定はしないが、そもそも不老不死が不要なものであればそのために犠牲にされる人々も無駄死にということになる。だから不老不死に限らず技術による解決には、その必要性を慎重に吟味していかなければならないのだ。


匿名用アカウント氏の考察

 匿名用アカウント氏は、不老不死について次のように考察している。

 例えば、人々が不老不死になったとすれば、出生率は問題にならなくなる。むしろ産まない方が好ましい。人口が増えれば必要とされる資源も増えるのだから。
 〈略〉
 技術はそれ自体、使用者に動機を与えることにはならない。例えば人工子宮ができたとして、私達がそれで子供を持とうと思うだろうか? それまでの人生、どんな女性からも愛されなかった男が、なけなしの金をつぎ込んで自分のジュニアを作り出そうとするだろうか? でも、自分の人生がうまくいかなかったのに、自分のコピーが素晴らしい未来を掴めるなんて、どうして信じられるだろう?
 不老不死があれば、ゲームオーバーにはならない。だが、それだけだ。格差が縮まることはない。むしろ広がる一方ではないか。といって、貧困層だからと不死が与えられないとすれば、それはそれで究極の不公平に、彼らは憤激するだろう。
 いや、不死と同時に終わりのない快楽を与えればいい。人工知能とフルダイブバーチャルリアリティーの開発には、そのような意味がある。〈略〉一見すると、これで問題解決できそうな気はする。現実のステーキを食べるには、ウシという資源を浪費する食材を用意しなければならないが、仮想空間上であれば電気刺激だけで済む。
 だが、これだって恐ろしい副作用が考えられる。では、私達が夢の空間を揺蕩い、快楽に身を任せているうちに、誰かが生命維持装置の電源を落としたら? 無駄に電力を食らうだけの無能な貧民どもの命など、残しておく必要がない。

引用 : 完成という名の死を前にして
匿名用アカウント

 彼は、不老不死は格差がますます広がるだけであると指摘している。この問題と人口増加による環境問題を解決する案として人工知能とフルダイブバーチャルリアリティーを使って終わりのない快楽を与えることを提案した。それは極端だが、

こういうことである


ジェンダー論の行き着く先

 また、匿名用アカウント氏は、次のような動画を紹介している。

 ↓実験の概要記事

 この実験は「ユニバース25」と呼ばれている。
 実験の概要は次の通りだ。

ネズミを8匹(オス4匹、メス4匹)を準備する。
食糧や水は十分に与え、疫病も予防し天敵もいない「楽園」状態を人工的に作る。
「楽園」は3000匹以上のネズミが収容できる非常に大きなものとする。
ネズミ8匹を「楽園」に入れ、様子を観察する。

 このような「楽園」でネズミはどうなるか。興味深いことに、ネズミは「理想的な環境」にいるにも関わらず格差社会を作り、引きこもりで異性に興味のないオスを生み出し、やがて滅びた。彼らが絶滅した原因は食糧不足でも水不足でも疫病でも天敵でもない。自分たちが作り上げた社会によって緩やかに滅びていったのだ

 勘が鋭い方はもうお分かりだと思うが、この「ユニバース25」は人間社会のモデルと考えられる。現に人間社会は一部地域を除けば食糧にも医療にも困らない。先進国では「楽園」のいわゆる「停滞期」であり、途上国は「社会形成期」といえるだろう(途上国では食糧は飽和していないし疫病も流行っているので完全に一致しているわけではないが)。

 そしてこれは既に匿名用アカウント氏が述べたことを裏付けるものでもある。なぜ技術的解決以外に方法がないのか。その根拠もここにある。

「天国はどこにある?」
 ない。
 〈略〉
 いや、今回は失敗でもいいじゃないか。でも、世を継いでいけば、いつかどこかで誰かが壁を乗り越えてくれるんじゃないのか。
 私はそれも否定する。なぜなら、広大な社会を構築するのに、膨大な資源を浪費しているからだ。もし現代社会が破滅に至ったら、私達の遠い子孫はもう、高度な文明を築き得ない可能性が高い。なぜなら、利用しやすいところにある天然資源は、既に収奪されつくしているからだ。
 そうなった場合、未来の人々は、神の死骸と共に生きることになる。債権は支払われない。これ以上先にはいけない。現代より小さな社会がかろうじて生まれるものの、やがて環境に飽和して、過去に辿ったパターンをなぞって崩壊していく。
 人類が滅ぶ、その日まで。
 私達は、一発勝負で壁を越えなければならないのだ。
 それも今すぐに。
 だからこそ、ゲームのルールそのものを変更する必要がある。社会的解決の限界とは、そういうことだ。〈略〉人類がこの上なく大きな社会を構築し、一つの事業に、これまででは考えられなかったほどのリソースをつぎ込める今だからこそ、技術的解決の可能性が最大化され得る。

引用 : 完成という名の死を前にして
匿名用アカウント

 諸悪の根源はフェミニズムだなんだと言っている場合ではない。もうこの先の未来には「破滅」しかないのだ。


生きる「意味」とは

 いくら不老不死になったところで下の画像のように機械に生命や快楽を支配されるのでは敵わない。が、それ以外に有効な案がないこともまた事実だ。

 匿名用アカウント氏は次のように述べた。

生存と幸福と意味のトリレンマは満たせず、どれかを諦めねばなりません。意味を捨てて生存と幸福をとるのが私の立場ですが、多分、人類の大半は、生存と意味を選ぶ生き方をよしとしながら結局は幸福に屈して、生存を手放す。

 「幸福(技術的幸福)」にどれほどの価値があるのかは分からない。そもそも人間に限らず生物は幸福になるために生きているのではなく、(身も蓋もないが)子孫を残すために生きており、そしてたまたま生き残った結果生きている。「意味」に比べれば価値は劣るものかもしれない。それでもここから後戻りはできない。あとは、どうやって生きていけば良いか、それだけである。

 私達は、天国への扉を開くことができるだろうか。

引用 : 完成という名の死を前にして
匿名用アカウント

 我々は天国への扉を開くために生きていく。もしかしたら扉は開かないかもしれない。扉がないかもしれない。扉が開いてもその先が天国とは限らない。でも我々は進まなければならないのだ。たとえその先が地獄だとしても。


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