チクタクチクタクたゆまなく
単二電池を買いました
恩師のお家から時計をいただいた。
彼の手を介すとすべてが愛おしいに変わる『愛着』という魔法によって、「文字盤も針も白いからよ。見えんわけさ」と持ち主にディスられた時計はめでたく我が家の家宝になった。年季物の、裏には『祝・新築』と金文字で書かれた時計。使用する電池が単二というのもなんとも味わい深い。
カチコチと、秒針に連動して絶え間なく揺れる飾り。カラクリ仕掛けというやつ…ゆらゆら揺れ続ける、遠くをゆく汽車の煙。手前にいる少年少女の振る虫捕り網と、トンボの群れ。
良いものなのだろうなと、思う。
そもそも先月先生の家に訪れた時、私は一度彼に訊かれたのだった。
「時計、もらうか?時間なんか、もう誰も見んのに。」
本のある小部屋から一番見えやすい壁にかかっている時計が、実に絶妙な時刻で止まっていて、私はそうと気づかずに随分長居してしまっていた。こんな時間になってたなんて…と夢見心地で呟いた私の感覚とは裏腹に、止まった時計に気づかなかったことを恥じいるように、先生はそう言った。
いいえ先生、時計くらいはウチにもあります。私はそう言って断った。ともすれば、このお家の価値あるものをなんでも持たせようとする彼に、少し遠慮して。
ところがその後、つい先週。10年近く静かに時を刻んでくれていた我が家唯一の壁時計が止まってしまった。新品の電池に入れ換えてなおピクリとも動かなくなった古い時計にありがとうとさよならをして、さて、とポッカリ空いた壁の空白を見上げる。
先生の時計、もらっておいたらよかったかな。でもあのお家に他に時計があったろうか。いくら先生がもう万年日曜日な生活をしていたって、ヘルパーさんやご家族が壁時計すらないことに気づいたら多かれ少なかれ文句を言うだろう、『いくらなんでも』って。少なくとも私なら言う、言っちゃう。
というわけで、そのうちホームセンターにでも立ち寄ってちゃんとしたのを買いましょう、と呟いて、再び訪れた恩師のお家。
止まった時計はそのまま壁にかかっていた。
そうして、丁度それと向き合うように、もうひとつ壁時計。なんのことはない、彼はちゃんと、より見やすい位置に、より正確な時計をちゃんと持っていたにすぎなかった。ちゃんとあるじゃん。時間、見てるんじゃん。
だから私は安心して、おねだりしたのだ。「先月、お断りしたんですけれど。もらっていっても良いですか?」って。おう、持ってけ。先生はそんなふうに、カルく笑う。
そこからがちょっと面白かった。
脚立を出して、先生に見守られつつ壁から外した水色のその時計は、新しい電池に替えても…動き出さなかった。
あらま。と二人で一瞬沈黙して、私はもうなんだかおかしくってケタケタ笑った。ちょっと待てよ、と先生は迷いなく奥の部屋へ行って何かしら探している。目当てのものはすぐ見つかって、つまりそれが我が家へお迎えした件の時計だった。
本当に使われていないんだね?ということがわかるホコリの被り方。単二電池のストックなんてあるんですか、と訝しむ私をよそに、先生は迷いもせずに新品の単二電池をどこかしらから出してくる。新品で、でも古びた電池。こんなにいろいろ古いままで、なのに何もかもの居場所をきちんと把握している、この人の生真面目な性格とその生活が本当に眩しい。
動力を得た時計は、細かく飾りを揺らしながら秒針を進め始める。止まってしまった水色の時計を奥の部屋に持っていきかけた先生は、「ゴミはもう、すぐ出さんとだな。」って呟いて台所へ持ってゆく。その戻りに、時計を納めるための紙袋を持ってきてくださるから、私は笑って受けとった。
「文字盤も針も白いからよ、見えんくてさ。」正確には針は金色だった。けれどこの人の、一番の衰えが目から来ていると私は本人から聴いている、白も金も似たようなもんだよねと同意する。私は何せまだ老眼も始まっていない、何ひとつ問題はない。
「ありがとうございます。めっちゃステキなのもらっていっちゃう」とホクホクした。先生は、笑わない。笑いはしないけど、笑っている感じはする。笑わないことにも目が合わないことにも不安を感じない、この感じが一番安心する。こうして、新築祝いの時計は我が家の家宝になった。
というわけで家に入ればもう、チクタクチクタクとその飾りの揺れる音が聴こえる。外側の雑音が閉ざされる室内の音、途切れない音。
「ただいま」と呟いて、心底ホッとするのを味わう。帰ってきた、自分の家へ。先生からいただくものが少しずつ増えてゆくこの家へ。
朝な夕なに見上げるこれが、先生の気配を持ってきてくたのがうれしい。
先生のお家、いつも私が招かれている本の小部屋は、ちゃんとした本棚は二つしかない。
コの字型のその部屋の、ちゃんとしてる方の本棚でできた壁の向こうは台所。本棚の向かい側の壁、そして小さな窓のついた行き止まりの壁には、ブロックと板でできた即席の本棚。
先生は、こちらの即席型の本棚の方を誇らしげに紹介する。お気に入りの作家の本も軒並みこちらに入っていたから、木の板とブロックの本棚のほうは段々とスカスカになってきた。いそいそと私が譲り受けているから。
我が家に運ばれた本たちは今まさに積読状態なのだけれど、正々堂々、自惚れて自分で言う、私ほどこれらの本を愛情かけて読む奴は他に居ない。だから待ってろよ、読んで出逢える世界たち。
本当はすべて読み通して先生とおしゃべりもしたい。けれどそんなことが易々とはできない量であることを先生も知っている。そもそも、たぶんそんな期待はされていない。だから却ってまっすぐに願っていることができる、読み通して、先生と喋りたい、ほんの一部でも。
先生は私には何も願わない。願わないまま、どんどん自由に選ばせ、望んだものは与えてくれる。
ニコリともせずに、そんなふうでいる。何を、どの本を選んでいくかもそんなに興味はなさそうだ。時々、「お。あれ、持っていったか。」と虫を見つけた子どもみたいにぽっかりと言う。
お邪魔する瞬間すら、そうだ。時々は寝ていたりする。ゆっくり本を読んでいる私に気がついて、顔をぬらりと撫でてそんな時は、しでかしたなぁという顔で笑う。起きていたって大抵、「ほーい。どーぞ」とのんびりとした声で答えてくれる、それだけ。そして後からなんかのついでのような顔をして、濃い、美味しいコーヒーを、持ってきてくれる。「コーヒーしかないよ」とかなんとか言って。
終始そんなふうだから、本の小部屋に放置されて私はじっくりとこの『居場所』の幸福を静かに抱きしめることができる。いや、抱きしめてもらっているのかもしれない。
特別なことは何もない。何もない。何かには代替えができない。この一瞬。
何にも役に立たない。何にも入ってこれないここには。上手いも下手も、綺麗も醜いも、立派も無様も、なんにも。こんな時間が肌の上を撫でてゆく幸福に、ただひとりきりで微笑む。
先生がいつもそんなふうだから。彼にディスられた時計さえ、私にとっては価値がある。
恩師のお家から時計をいただいた。長く動いてくれたらいいなぁと思っている。秒針の音が絶え間なくそこにいてくれる時計だ。このウチに、この優しい音が、大切に積もってゆくことを願っている。