母親になる、は逃げなのか。
私が「子どものいる人生」を選んだのは、仕事に閉塞感を感じて、この先どうして良いかわからず、「幸せに生きる選択肢」の1つだった。
世間一般では、遅い出産だったけど、自分自身としてはいろんな意味で適齢期だったと思う。
とはいえ、自分が39歳で子どもを産んだからといって、「子どもはぜったい産んだほうが良いよ!遅くても大丈夫!」とは言わないし、思っていない。
いろんな人生があって良い、というのが本音。
そして、「現実からの逃げ」のような「子どもをもつ」という選択肢でも、それはそれで良かったじゃん。と思っている。
私自身としては。
「子どものいる人生も良いかもな」と思って、夫とその方向で話をして(夫はかなり前からそう考えていた)、仕事にも支障が出る部分があるから、上司にも理解を得て。
そのステップを踏めたのが良かったのだと思う。
自分が子どもをもつ意味、に向き合えたから。
仕事以外の目標をもって、それにそったスケジュールで日々を過ごすことそのものが、新たに自分の未来をつくっていくようだった。
まだ何者でもない自分に、焦燥感しか感じていなかった頃。
20代で、若くて、ただただ「頑張りたい」しかなかった。
なにをしたい、さえも明確ではなく。
自分自身の存在意義をつかみたかった。
そんな私は、自分のことすらまともにできないのに、結婚するとか子どもをもつとか論外で。
20代で「結婚する」「子どもを産む」選択をした友人が、ただただ眩しく見えた。
うらやましい、という感情はなかった。
自分は仕事しかない、というほどの覚悟もなかった。
「まだ、私にはその決断はできない」
ただ、それだけ。
好きな人ができても、その先に「結婚」「出産」はあんまり思い描いていなかった。
だからといって、無責任ではなく、気持ちは真剣なつもり。
「まだ」そういう未来は描けない、というだけ。
30歳までに、35歳なんだから。
そういう年齢で区切って考えることもなく。
30代もそろそろ終わる・・という頃に、はじめて「子どものいる人生」を考えた。
夫の提案、ということもあるけど、自分の中でもそんなタイミングだったんだろう。
「ぜったいに、子どもを!」という強い決意ではなかったのに、なぜだかトントンとコトが進み、娘が私のお腹に来てくれた。
それが、39歳のこと。
出産予定日がわかった時。
それが私の誕生日に近くて、「予定が遅れたら、40歳になって生まれちゃうな―」とのん気に思った。
高齢出産。
しかも初産。
今から思えば、おかげさまでとしか言いようのないほど、マイナートラブルもなく無事に出産を迎えた。(ほぼ予定日通りに生まれたので、私はギリギリ30代での出産を終えました)
娘が生まれてくれたおかげで、何者でもなかった私は、「母親」になれた。
実を言うと、妊娠する前、「私は、この会社でこれ以上、出世(昇進)することはないだろうな」と思っていた。
それに気づいた時。
「私には、なにがあるんだろう」とふと考えた。
後世に残すほどの偉業を成し遂げたわけでもなく。
その可能性すらもない。
ただ、夫婦2人でのほほんと生きているだけ。
いままでの自分の人生(選択)に後悔などはない。
ないが、「いまのこのままでは、いずれ私は後悔することがあるかもしれない」という予感のようなものは感じた。
なんの区切りも変化もなく、ただ時間が過ぎるだけ。
それで良いのか。
そんな人生を望んでいたのか。
イヤな言い方かもしれないが、私は私のために「子どものいる人生」もアリなのかもしれない、と思った。
何かが変わるかもしれない。
子どもの成長で、自分のライフステージも、自分自身の価値観も変化していくのかもしれない。
そんな未来があるなら、それも見てみたい。
自分勝手かもしれないが、30代後半になって初めて、私は自分が幸せに生きていくために「子どもを産む」ことに未来を描いてしまった。
振り返ってみたら、当時の私の心境は「現実からの逃げ」だったのかもしれない。
自分の力でなんとかしなければ、何の変化も生じない「今」に、絶望しかけていたのかもしれない。
それを「子ども」で解決しようというのは、おこがましい。
そして年齢的にも、望んでもうまくいかないというのは、十分にあり得る。
それでも「やってみるだけ、やってみても良いじゃないか」と楽しんでみる気持ちだった。
1ミリだって、可能性があるなら、そっちに逃げたっていいじゃん。
今はそう思っている。
「子どものいる人生」を考え始めて、1年後、娘が誕生してくれた奇跡。
それが結果論だとしても、当時の私の選択への責任と幸せを強くしてくれている。
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