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「ママが良い」と言ってくれなくても

心待ちにしていたママママ期は、結局来ず。


1歳10か月のわが娘。
パパが大好き。

パパパパ期なんじゃないかと思う。


「パパ、カッコ良い!」と試しに教えてみたら、嬉しそうに「ぱぱ、かっこいーー!!」と声を張り上げる。


たぶん意味は分かってなさそう。

教えなくても「まま、かっこいーー!」と言うようにもなったけど。



子どもの反抗期は成長の証なので、反抗期があったほうが良い、とは聞く。

とはいえ、反抗期がなかったとしても、別にそのこと自体は否定されるようなこともないみたい。


ネットで検索してみる限り、反抗期があってもなくても、どちらもOKとされるような情報ばかり。



一方のママママ期。

「ママママ期 来ない」とか「ママママ期がない 子ども」とか検索してみたけど、ネットに答えはない。


というか、全然ヒットしない。


みんな、当然あるものなんだろうか。

むしろ「パパ、イヤ」をどう乗り越えるか、みたいな情報ならたくさん出てくる。

「パパ、イヤ」なんて、娘は全然言わない。(成長とともに、そのうち言うようになってしまうのかな・・)



ネット上に答えはない、ことはわかっている。

育児情報はいくらでもあふれていて、「これ良かったよ」みたいな子ども向け便利グッズも「我が家はねんトレ、こうやりました!」みたいなお役立ち情報もたくさんある。

そして、それはあくまでも一例である、ということもわかっている。



夫曰く。

「俺と2人だけの時は、『ママ、ママ』言うよ」と。

「2人そろっていないと、イヤなんじゃない?パパママ期だよ」

なんだそれ。




「パパの方が好き」とか、もちろん「ママの方が良い」とか相対評価じゃないこともわかっている。

娘に限らず、子どもがそんなふうに比較して、どちらか一方を選ぶという意識はないような気がする。

深く考える必要はないんだろう。

そんな気分、そんな時期なだけ。きっと。



「イヤイヤ期、とか一括りに言うのは好きじゃない」と私が言ったら(『イヤイヤ』という表現自体も否定的に聞こえて好きじゃないというのもある)、


「そういう風にでも言わないと、真正面からいちいち本気で向き合ってたら疲れるよ」と夫。


そうなのか。
夫は寛容で大らかで気長なんじゃなく、スルースキルの問題なのか。


スルーする、というのは「無視する」じゃなく、「かわしてる」んだ。

夫は、娘が「おいで、おいでぇぇぇ!!(娘は、抱っこしてほしいときは、私にも夫にもこう言う)」と泣き叫ぶときも、「どうしたの~」と言いながら抱き上げている。


私は、理由がつかめず、ただただ娘がギャン泣きのときは、そばでそっと見つめていたりする。

ギャンギャン泣き叫んでいるところに話しかけても絶対聞いてないし、こちらの体力と気力も削られるから。

夫は削られないんだ・・すごいな・・・と思っていた。


でも違ってた。
彼なりのやり方で、娘の意向を尊重しつつ、ちゃんと自分のことも守ってるんだ。


そういえば。

「抱き癖(いまどきの子育て情報ではあまり聞かないけど)」なんて言うのはフル無視して、娘が泣いたり希望するなら、いくらでも抱っこしよう!というのが私たち夫婦のモットーだった。

むしろ、抱き癖つけてやろう、みたいな。
私がそう言ったら、夫は素直に賛同してくれた。



抱っこして抱きしめて、子どもが「自分には安心できる居場所がある」と感じるから、子どもは自立できるのだ、と。

どこかで見つけたその言葉をそのまま私は信じている。


いや。

娘を抱っこして、安心するのは私のほうなのだ。

自分には居場所があるという安心感。

その温かさと柔らかさと、まるでこちらが包み込まれているような気持ちになる。なんとも不思議。


守ってもらっているのは、私のほうかもしれない。

この小さな生き物に、励まされて前を向く気持ちにさせられて、生かされているのはきっと私なのだ。


娘が「ママが良い」と言わなくても、私が言いたいのだ。

「私は、娘のママが良い」のだ、と。

娘のおかげで、私は、自分の存在が社会にあると認識できている。

私って、この世の中でちゃんと生きてるんだな、と実感している。



娘が「ママが良い」と言ってくれなくても。

それは私を必要としていない、ということじゃない。
パパだけいれば良い、ということでもない。

こちらの望む表現や一般的な言語で表されていないだけで、その言葉の背景にある娘の気持ちを大事にしたい。


娘が表現する言葉や態度がどんなものであっても、そこに対して私は娘に向き合いたい、と思っていることに変わりはない。




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