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母親らしく、なんて周りが言うだけ

娘を産んでから、私はなにか変わったのかな、と思う。


妊娠中、思ったよりなかなか大きくならない自分のお腹を見ながら(臨月近くになっても、妊婦だと気づかれなかった)「ここに赤ちゃんがいるんだ」とじんわり優しい気持ちになったのは確かだ。


母になったからといって、人格者になれるわけではない。



ただ、高校時代の友人とカフェでランチした時、彼女に「やっぱり、年取ってから産むと寛容やなぁ」とは言われた。


娘がグラスの水をこぼそうが椅子の上で立ち上がろうが、「ハイハイ」って感じで私がまったく気にしてない様子なのを見て、そう思ったらしい。(飲食店のマナーとしては、良くなかったのかもしれないが・・・)



先日も、電車で一駅隣の屋内型施設に行った時のこと。

駅から数分の距離をいつもは娘をベビーカーに乗せていくのだが、最近は彼女の「自分で歩きたい」気分にまかせて、ダラダラと行きつ戻りつしながら歩くことが増えている。


その日も、私は空っぽのベビーカーを押していた。
その横で娘はふわふわと歩く。


エレベーターに乗る手前。

ふと娘が、すぐそばの大きな窓ガラスに近寄った。



大型スーパーが見える。

道路を行き交う車。

娘は乗り物が好きなので、「ブーブねぇ(車、走ってるねぇ)」と言いながら外を見ている。



と、ちょうどそこに小学校低学年くらいの女の子とママさんがやってきた。


「先に行ってください」

と私は声をかけた。


娘は窓の外を向いたまま離れそうになく、女の子とママさんを待たせるのは申し訳ないと思ったから。

ママさんが会釈。(すみません、先に行きますね的な表情)


すると、娘が不意に振り返って、エレベーターにトコトコ乗り込んでいく。


慌てて追いかけ、私もエレベーターに乗り込み、「(お待たせして)すみません」とペコリ。

ずっと「開」ボタンを押してくれていた女の子に「ありがとうね」と言った。


ママさんは私に向かって、

「やさしいママですねぇ」



え。

私??

いま、私のこと「やさしいママ」って言いました??


思わず「え?」と声を出してしまった。


ママさんは、「私なら、『早くしなさい』って言ってしまいそう」と。


つまり、娘に合わせてエレベーターに乗るのを見合わせようとした私を「やさしい」と表現してくださったのだ。


子どもに寄り添う、「待つ」母親だと思ってくれたのだろうか。


いやいや。そんなことないですよ。
今日はたまたま急いでなかっただけだし、娘を無理やりエレベーターに乗せたって、嫌がってグズグズして、余計めんどくさいだけだし。


と頭の中をいろんな言葉が駆け巡り、結果、にっこり微笑んでしまった。
(やさしいママ、を受け入れてしまった)



優しいママ、なのかなぁ。

高齢出産のメリットの1つと言われる、年齢による余裕かもしれない。



たまに、「なんにも変わらないね」と言われることもある。

ポジティブなところで言うと、「出産しても、体型も変わらず雰囲気もずっと変わらないね」と言っていただけたり。(ポジティブな意味だと受け取った私)


一方で、LINEのやり取りで「明日、会社いくんでその時にでも」みたいな返しをしたら、「『いくんで』じゃなくて『いくので』でしょ」とご指摘を受けたことも。

しかも「もう一児の母なんだから」と。



あ、そんなふうに見られちゃうんだ。

そこで初めて「母=成熟した人、常識的な人」みたいな図式が、やはり一般的にはあるものなのだと、齢40歳にして学ぶという。



人間自体は、そうそう簡単には変わらないのだ。

ただ、周囲の期待、は確かにある。


「母親なんだから」「母親なのに」

期待というか、偏見や思い込みかもしれない。


件のLINEの相手に対しては、「私は確かに母になったけど、娘の母なのであって、あなたの母じゃないんだけど」と思ってしまった。言ってはない、思っただけ(器が小さいな、私)


私はどちらかと言うと、娘を産んでから、より自分らしさがクリアになったと思っている。


育休中、自分の本当に好きなことだけやろう!と決めて過ごしていたこともあり、復職してからも、自己肯定できているような気がする。


仕事自体は「好きなことだけする」なんて無理だけど、「自分を消耗するような働き方だけはしない」と復職時に決めていて、実際に今はそれを守って働けていると思う。

これは私の力だけじゃなくて、周囲の方の配慮が大きい。

環境に恵まれているということは感謝すべきで、それなしには当然働けない。夫の協力も然り。

ただ、ちょっと落ち込みそうなことがあっても、「それも私」と受け入れることで、自分の心の置き所をコントロールできている。



子どもを1人、出産したとて。

完璧な大人、成熟した人格者である母親にはなれない。

なれないけど、自分らしく生きようと努力することはできる。


そしてその方が、娘と一緒に生きていく上で、大切なことなんじゃないかと思っている。





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