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母が、私の母だったから

妊娠がわかったとき、「たぶん、男の子だ」と思った。



夫に似て、スッと整った鼻梁。

社会の常識にとらわれず、1人で生きていく知恵と生命力がありそうな。

ポジティブで強そうなのに、どこか脆いというかズレてるところもある。

そしてきっと、母親を大事にしてくれる。

そういう男の子かな、と。

ずいぶん、勝手な想像だけど。



30代後半になって、夫と「子どものいる人生」を考え始めたとき。


もしも奇跡が起きて妊娠したとしても、私に女の子は生まれないような気がしていた。

「男の子がほしい」というより、「女の子だったら、どうしよう」という思いが先にあった。


「どうしよう」というのは、もしも女の子だったら、自分に似てしまったらどうしようという不安。



私に似た子。


早く大人になりたいけどなれない、理想の自分にまだ全然近づけていない。

その手段さえもなく、小さな一歩も踏み出せずにイライラと焦燥感が入り混じったような。

そんな日々を悶々と過ごしている。


「自分のせいである」ことがわかっているからこそ、一番近い味方である、母親に八つ当たりしてしまう。


15歳くらいの私は、そんな感じだった。


今思えば、「もしも、娘が私に似た子だったらどうしよう」の正体は、私自身の過去への後悔だったんじゃないかと思う。


それは、私自身の不甲斐なさが故。

やり場のない失望を自分自身で対処できないことへの恥ずかしさ。

たかが反抗期。


とはいえ、暴言や暴力は振るわなかったにしても、きっと母親を心配させたり悲しい思いもさせたと思う。


反抗期は、私自身が乗り越えなければいけない課題だからこそ、親にしてみたら、それに介入できない辛さがある。


私も母に、自分のイライラの正体をうまく話すことができなかったし、母もまた、どうにも手助けしようがなくて不安だったりしたのかもしれない。


母と娘は一心同体のように、しょっちゅう電話したり、LINEしたりするらしい(そうじゃない家庭もたくさんあるだろうに)。


そういう話を聞くたびに、胸がチクリとした。

私は母にドライすぎる。



母のようには、生きたくない。
私の未熟さから、そんなふうにも思っていた(最低)。


社会人になって実家を出ることになったとき、心底ホッとした。
ずっと大空に憧れていた世間知らずの鳥が、思いがけず偶然が重なり、かごの中から飛び出したような気持ちだった。


そんな私が、母と、まるで親友のように毎日連絡を取り合うようになったのは、娘が生まれてからだ。


「いまから保育園いくよー」とか「ベビースイミングに通い始めたよー」とか、娘のアレコレをLINEでしょっちゅう報告するし。

家で娘に夕ごはんを食べさせている間、TV電話をしたりして、遠隔で一緒にごはんを食べている。

最近では、娘も保育園から帰ってくると、「おばーちゃん、(電話)かける」と言う。



きっと、私の親バカぶりも娘のイヤイヤに途方にくれる姿も。

そういう「できれば、他人には知られたくない(知ったら相手が反応に困る)」ところを見せられるのは、母しかいないのだ。


私の情けない姿をさらせるのは、母しかいない。
そんな当たり前のことに今更気づくとは。

母が、私の母であることを今になってようやくありがたい、と思えるようになった。



女の子を産むと、母親は自分の人生を生き直しているような気持ちになる。

そう聞いたことがある。

叶えたかった夢を娘に託し、幼いころの自分がやりたかったことをやらせる人もいると思う。


私は娘を通して、自分の子ども時代を思い出し、ただただ母の強さ・寛容さに頭が下がる。

母のような母親になりたい、とは今でも特段思っていない。

だが、母と確執があるわけではない。

ただ、私と母は違う人間で、私は「私らしくありたい」と思っているだけなのだ。

それは、母が私の母だったから、今の私がそう思えている。


思春期に、自分のありのままを受け入れられなかった私を否定もせず見捨てもせず、大学を卒業してから実家を離れるときには止めもしなかった母に、心から感謝している。


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