言葉は、受け取る側の責任でもある
1歳7か月を過ぎて、娘の語彙が爆増している。
少し前から「カメ」「カバ」を言えるようになった。
亀は近所で飼っている人がいて、よく見せてもらっていたので覚えた様子。
カバは、貼ってはがせる動物シールがたくさん入ったシールブックの中の1匹で、他の動物にくらべて発音しやすいようで、言えるようになったみたい。
バナナは「ババ」、チーズは「チー」、アンパンマンは「あーぱん」など、もちろん明確に発音できないもののほうが多い。
「あか(赤)」「あお(青)」「きーろ(黄色)」も言えるようになったけど、それぞれの音が発せられるようになっただけで、意味はわかっていない様子。
そして、定番の「わんわん」に関してだが。
お散歩中に、わんこを見かけて「わんわん!」「かーいいねぇ(可愛いね)」と言ったりするが、我が家の飼い犬のことは名前で呼んでいて、「よそのわんこ」と「うちのわんこ」の区別はついているらしい。
でも、うちの飼い犬のことは「わんわん」の仲間であると認識はしている模様。
先日冷蔵庫をあけた時、ブルドックソースのロゴの犬を見て、飼い犬の名前を言っていたから。(ちなみに我が家のわんこはミニチュアダックスで、ブルドッグではないという)
「よそのわんこ」と「うちのわんこ」の区別がついている上に、ブルドッグとミニチュアダックスを「同じ」と見なしていることに驚愕だった。
物や動物の名前だけじゃなくて、行動と言葉が一致していることにも驚かされる。
私が「よしよしして~」と言うと、娘はちゃんと私の頭をなでてくれるのだ。
逆に、自分の言いたいことも、知ってる限りの言葉で伝えてくれようとする。
お絵描きをしたい時は、「あか!あか!」と一所懸命言う。
(クレヨンを使いながら、最初に「赤」を覚えたからかな?)
水を飲みたい時は、「あむ!(飲む)」とか「たーた(お茶)」と言ったりする。
(たぶん、私や夫が「お茶ちゃ飲む―?」と聞いたりしていたので、「お茶ちゃ」と言いたくて「たーた」になってるんだと思う)
大好きなマンゴーを食べていて、「おかわり」も言えるようになった。
(最初は自分のお皿を指さすだけだったのが、つい先日、言葉を発して驚いた。教えてないのに・・・)
言葉は本来、自分の気持ちや想いを伝えるためのものだが、それを受け取る側の姿勢も大切だ。
自分の持ってる知識をフル活用して、自分の欲求を私に伝えようとする娘を見るたびに、私はこれほど「自分の想いを相手に伝えよう」と必死になっているだろうかと思うし、「相手が何を言いたいのか」理解しようと努めているのか、とも思う。
大人の世界でよくあるのが、「言った・言わない」の話。
「この件は、〇〇さんに依頼している」と聞いたことを実際に〇〇さんに確認すると、「え???」と通じていなかったり。
「△△さんから、こう言われて反対されているので、できません」ということを△△さんに「そうなんですか?」と確かめたら、「そんなこと言ってないし、反対したつもりはない」みたいに返されたりもする。
えええ・・・!!
ニュアンス?
言葉足らず・・??
それとも、受け取り手の思い込み??
私は娘に対して、「この子はまだ、自分の言いたいことを正しく言葉で表現できない」と知っているので、「言いたいことは何だろう」と理解しようとする姿勢で娘の言葉を聞こうとする。
でも大人同士の会話だと、「話が通じるはず(もしくは、この人には通じなさそう)」というなんとなくの(勝手な)思い込みがあったりする。
その思い込みによって、相手の言葉をストレートに受け取れず、自分なりの解釈を入れてしまって、それをさも相手が実際に言ったかのように信じ込んでしまう。
相手も自分も同じ大人で、でもそれぞれに背景も価値観も違って、それぞれの事情もあって。
ある部分では「同じ」だけど、別の角度では「違う」のだ。
娘は自分の言ったことが私に伝わらないと、ひっくり返って泣いて「ちがう!そうじゃない!」と表現してくれるけど、大人はそうしてくれない。
すれ違ったら、すれ違ったまま。
誤解したら、誤解したまま。
わかってくれないなら別に良い、と切り捨てることも出来るかもしれないけど、それでは物事が前に進まない。
しんどくても面倒でも、「わかってくれないと悲しいよね。どうしたい?」と繰り返し確認しながら、相手の本音を引き出していかなければ。
子どもに対してそうするように、大人に対してもきっとそうなのだ。
相手がきちんと伝えるべきだ、ではなくて。
相手の言葉をきちんと受け取る努力もしなくてはいけない。