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もどってきたアミ〜小さな宇宙人〜 第3章 念願の再会

この本の紹介 

『アミ小さな宇宙人』から続く二作目『もどってきたアミ』。
一作目の『小さな宇宙人』は、主人公の少年ペドロがアミという小さな子供の姿をした宇宙人と出会い一緒に宇宙を旅する中で、「愛とは何か?」を知っていく物語です。

その二作目に当たる本作『もどってきたアミ」では、前作の旅の終わりに、「再会したければ今回の旅を一冊の本にすること」とアミが出した条件を果たしたペドロが、2年後にアミと再会し2度目の宇宙の旅に出るところから始まります。

ビンカという少女や、愛を手に入れる方法を知っているという老人クラトとの出会いを通して、より愛への探求を深めていく物語です。


この読書メモについて

このペドロとアミの物語を少しでも深く理解し、自分の中に留めておきたくて、
自分の体験や、今まで読んできた本、見てきた映画、聴いてきた音楽などから得たインスピレーション、解釈を交え「読書メモ+」を書き始めました。

残念な事にこの「アミ 小さな宇宙人」シリーズ3部作(日本語版)は現在絶版となっており、
この本に散りばめられたたくさんのとても大切な愛を知る為のメッセージを
少しでも沢山の人に届けることができたら、と言う思いもあります。

個人的な読書メモですが、どこかで誰かの「愛を知るため」の一粒の種となれればいいなと思っています。

目次

序章 アミの思い出

第一部
第1章 うたがいの気持ち
第2章 岩の上にある(?)ハートのマーク
第3章 念願の再会
第4章 宇宙のダンス
第5章 気づかない本質的な欠点
第6章 ぺドゥリートとビンカの使命
第7章 地球救済計画の司令官
第8章 地震から地球を守る仕事
第9章 いよいよキア星へ
第10章 太陽の師の存在

第二部

第11章 愛を知る老人クラト
第12章 キアまたいつの日か
第13章 カリブール星で双子の魂を知る
第14章 羊皮紙と二つの可能性
第15章 アミの惑星 銀河人形をゆく
第16章 アミの両親が教えてくれたこと
第17章 アミの真実の姿
第18章 またね….アミ

第3章「念願の再会」の要約・あらすじ

疑いを持ちながらも、念願のアミと再会を果たしたペドロ。

「人は何故疑ってしまうんだろう…」

人には異なったレベルがあって、
同じ人がある時にはとても乱暴で残酷でも、また別の時は温厚で優しい人にもなる。

その人が高いレベルにいれば、アミと出会えたり、大きな真実を理解できたり、自分の夢を実現させたり、と言った素晴らしい体験ができる。

アミの存在を疑ったペドロは、その時、低いレベルと接続してしまっていたという事。


かつて高いレベルを知っていた人でも、疑う気持ちを持つ事で高いレベルとはつながれなくなってしまう。


何故すぐに会いに来てくれなかったの?というペドロに、
「全てのことには時期というものがある。」とアミ。

疑いの気持ちはあみとのコンタクトの条件を満たしていないが、ペドロは例外。(本を書く為に選ばれているから)


またアミの円盤に帰って来れて感激で泣き出すペドロに、
「君が疑ったりしなければこんな事いつでも当たり前の事なんだよ」とアミはいう。

アミにビンカという地球とは別の星に住む無愛想なペドロと同じくらいの歳の少女を紹介される。
握手をすると暖かくて柔らかな感触が伝わって来た。翻訳機を渡され話すことが出来た。

さくらももこさんの挿絵のビンカ。

今回はこのビンカとアミと三人で宇宙の旅に出かけることになる。


ペドロが岩の上のハートのマークを見つけられなかったのは、アミが遠隔催眠をかけて見えないようにしていたんだ、とアミが言った。

遠隔催眠なんてものができたらどんなにいいだろう..とペドロは思い、浅ましい思いが自分でも気づかないくらいの速さで脳裏をかすめた。

「この力は悪用する人の手の届かないところにあって、宇宙の基本法がこの力を統制しているんだ」とアミ。


「宇宙の基本法がなんなのか知っている僕には、その力を持つ資格がある」とペドロは思った。

でも、宇宙の基本法、つまり愛、を知っているだけで実践しなければ不十分だとアミはいう。

その通りだ!だから僕はいつも愛を実践している!とペドロは心の底から思った。

するとアミに「自分の気まぐれを満足させる為におもちゃ屋さんを破産させる事が愛なの?
人の意思に反した事を強制したり、人を騙したりペテンにかける事が愛なの?」
先ほどの一瞬の浅ましい想像をテレパシーで見抜かれていた。

「自分は特別だ」と有頂天になっていたペドロに、アミの言葉が冷水のように頭から浴びせられた。

ビンカの前ではしたない想像を暴露され、ペドロはショックで立っていることもできないくらいだった。

ビンカは軽い催眠状態にあるから今のことは聞こえていない、というアミ。

前回の特別な旅を経て、自分は模範生のようなつもりでいたペドロ。
でもちょくちょくやましい企みを想像しているのをアミに指摘され、ショックを受けたのも束の間、今度はアミに対して「怒り」のような気持ちが湧いてきた。


人から欠点を指摘されるのはいい気持ちがしないし心が痛むもの。
でも誰かが指摘本人は決してそれに気づかないし、
ましてや克服することなどできやしない、とアミが言う。

ペドロの中にはどんどんアミを非難する気持ちが湧いて、今度は元気になって来た。

「エゴが元気づいてきた?」とアミがいつものように笑って言った。

ペドロはその笑顔が、残酷で冷ややかで、せせら笑っているように見えた。
これ以上こんなことに関わってるのはうんざりだ。
自分は正しいいい子だ、アミがこれと言った理由もなく僕を貶めているんだ、と。

アミを非難して罵り、もう帰る!というと、
その罵りを冷静に聞いていたアミは悲しげに言った。
「全て君のためを思っての事なんだよ、ごめんね」

帰ろうとするとビンカが目を覚まし、
帰ろうとするペドロを止めて言った。
「もっと話がしたかったのに…」

その言葉はペドロを驚かせ、ペドロの気持ちを鎮ませた。
初めてビンカを美しいと感じた。

前回の旅の最後に、ペドロは自分が何回も死んでは生まれ変わって…を繰り返した後出会う、「双子の魂」の存在に出会った。

ビンカにも「双子の魂」がいる。そのことにペドロは嫉妬のようなものを覚えた。

まだ出会ってもいない遠い遠い未来で出会うその「双子の魂」に対して誠実でいることは難しいとペドロは思った。

アミは「何も難しくない。テレパシーや思考とは別のもっと”感情に関係した感覚”で、そのパートナーの事を感じることができる。
人間として進歩するにはこのような高度な感覚を発達させる必要がある。
その感覚が発達すると、思考やその他の感覚を通さず精神的なものをキャッチする事が可能になる。
嘘か真実かを見分けたり、本当の愛や神の存在を感じ取ったりすることができる様になる。

その後の段階は、もう、信じる信じないの問題じゃなく、姿を見る必要などなく、神に愛を捧げることができるようになる。
この高度な感覚によって、目の前にいないとしても未来のパートナー、双子の魂を感じとることもできるようになる。

このような進歩が未発達の段階において必要なのが「信仰」。宗教などはこれにあたる。

「旅を続けよう、その前に、この円盤の中のけがれを取り除かなければならない」とアミが言い、微笑んで手を差し出して来た。
「まだ友達?」

ペドロは、ビンカの言葉や美しさに気を取られ、アミと喧嘩中だったことを忘れていた。

「うん、友達だ」といって握手をした。
「ブラボー!」とビンカが言った。
さあ、宇宙の銀河系のダンスを見に行こう!


自分なりの考察・解釈


何故自分を疑ってしまうのだろう?

いきなりの問いに私はドキッとしました。
何故なら今、私自身がそんな感じの中にいて、いつもの心地よいバイブレーションを感じられない場所に来てしまっていたから。

まだ起きてもいない不安によって頭を使いすぎたことで、
いつもとは別のレールに乗せられて知らない場所へ来ちゃった…みたいな感じ。  

人の脳はすごく揺らめきやすくて、
自分の脳にそのような傾向があると知っていれば、行き先から少しはずれた時にすぐ気付くことができるのかもしれません。

そして、起動を修正出来る為のリセットの方法をいくつか持っているのが良さそうです。

私は部屋の片付け、デスク周りの整理、お香を炊く、塩風呂に入る、ジブリかディズニーの映画を見る、とかかな…映画は良い気分転換になるけど、内容によって余計沈むので…日頃からオススメや好きな監督の作品などをピックアップしてます。


アミに話を戻すと、
アミは多分、「ペドロが疑うこと」は想定内で、学びの為にあえてハートのマークを見えない様に隠した、という気がします。

「自分を疑う事」は人間の性で、

自信のなさの蓄積、
権力による重圧(パワハラ)、
物質的な貧困、
この様な不安から一瞬でダークサイドに落ちます。

どうすればそうならずに済むのか?

「私は守られている存在だから大丈夫」

頭ではわかっています。
でも、深みにはまってしまうとなかなかそうは思えなくなってしまうんですね。

でも、それでも信じてみる。
なかなか難しいと思ったら、
思考をクリアにするために、一旦その場所を離れて見るとか、
もっと広い視野、俯瞰して自分を見て見る。
画面で見ているドラマの主人公として、自分を見て見る。

そうやって自分を取り巻いてる状況を客観的に見たり、
ふと肩の力を抜くと、今まで見えなかったもの別の角度から見えてくることがあります。

この一時に執着しすぎず、少しでも自分が納得できる方向を選択し、前に進むこと。
ここで我慢をしたり自分を押し殺した行動を取らないことです。

自分に正直でいること。
つまり、それが自分を信じる、と言うことなのです。

そんな風に過ごしていると、ある時モヤモヤを消すためのヒントを見せてもらえたりします。
それが、アミとのコンタクト。
そんな時、私は「守られている」と感じることができます。

君が疑ったりしなければ、こんな事いつでも当たり前の事なんだよ。
「もどってきたアミ〜小さな宇宙人〜」

アミは、それをペドロに教えようとしたのだと思います。


慢心が生み出す負のループ

そして、一難去ってまた一難、今度はペドロに
「慢心(エゴ)」が芽生えます。

自分が「神の存在とは何であるか知っている、自分は特別な選ばれた存在だ」
と思った途端、

女の子の前であさましさを暴露され大恥をかかされます。

そんな時、その非を自分の中に見出さず、誰かを悪者にすることで湧き上がってくる怒りをエネルギーに立ちあがろうとしてしまいます。
立ち上がるために、時としてそれも仕方ないのかもしれません。

でもずっとそのままでは何処へ行っても悪者に付きまとわれます。
自分が立ち続ける為に、悪者が周りにいてくれないと困るから、
自分で周りの人を悪者にでっちあげるのです。そうじゃないと立っていられないから..

アミに微笑みかけられても「嘲笑われている」と感じてしまったペドロは、まさにその状態です。

自ら敵を作り、自分を正当化することで、それを生きるエネルギーとしてしまう生き方。
これでは負のループです。

外に問題の原因を突き止めようとせず、
自分の問題として捉えて、自分の中の問題解決の糸口を探さないと、延々とこの負のループから抜け出せなくなってしまいます。

こう言う状況に陥っている人は結構多いのかな…と思います。
かつての私もそうでした。

無駄な経験ではなかったと思っていますが、とても苦しく、2度と戻りたくはないです。

そんな時目にした、谷川俊太郎さんの詩の一節です。

あいつのせいにしていると
私はあいつに閉じ込められる
『愛が消える』谷川俊太郎

これ以上自分を犠牲にしない為にも、限りある大切な自分の時間の方に目を向けて、軽やかに行きたいものです。

たった一言で心を溶かす言葉



そんな慢心、エゴに覆い尽くされダークサイドに落ちたペドロを引っ張り上げたのは、
「帰らないで、もっと話したかった」と言うビンカの言葉でした。


人は、誰かから必要とされたり、興味を抱かれた時、一瞬でもそこに自分の存在意義を見出す事が出来ます。
それは小さな「居場所」となり、いずれ一人で立ち上がる勇気になります。

誰かに必要とされ、自分には存在価値があると気づいた人の心には、明かりがポッと灯る様な感覚があります。

その明かりは愛の種で、いずれ自分も誰かに居場所を与えられる存在になってゆく…

そんな風に思います。

双子の魂の存在

ビンカとペドロにはそれぞれ、何度も死んで何度も生まれ変わった後に出会う「双子の魂」がいます。

その存在が今は目の前に居なくても、感情優位の「高度な感覚の発達」による進歩を辿る中で、その存在をキャッチできる様になる、といいます。

その高度な感覚とは、
直感を信じ、自ら行動に移す事で養われて行くと私は考えています。
その行動を促すために出来ること、それが鍛錬です。

具体的には、
行動しやすくする為に持ち物を減らす事。
執着を手放す事
小さな汚れ(穢れ、わだかまり)を一つ一つ心から払い、心を軽くしていく事

このような行いによって、感覚が高まってゆき(人間としての進歩)
その結果、嘘か真実かを見抜けるようになったり、本当の愛や神の存在を感じる事ができる様になって行くように思います。

そうなれるように、今の自分で出来ることをしていく、
それが、この章でのアミのメッセージだと思いました。


もどってきたアミ、第3章、いかがだったでしょうか?

この様に、アミ 小さな宇宙人シリーズの第二作目「もどってきたアミ」は、
内観の様なものがテーマになってゆきます。
ビンカの登場によって、他者との繋がりによる愛も語られていく事になります。

その時々、自分の身の回りに起こったエピソードや、思い出した過去の出来事などになぞらえてこの読書メモを書いています。
目を逸らしがちな感情にもスポットを当てつつ….読み終わる頃(今2周目です)には、だいぶ今とは違う価値観の自分がいるような気がします。

では次回、第4章は「宇宙のダンス」です。ご期待下さい!


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