モクセイの香りのする星
10月3日 (Monday)
新刊書店とBOOK・OFFに行く。うちには積読用の本棚があるのだけど、そこに隙間ができると不安な気持ちになるので定期的に埋める本を探しに行く。
・祝祭と予感/恩田陸
・虫眼とアニ眼/宮崎駿、養老孟司
・〆切本/左右社
・星三百六十五夜 春夏/野尻抱影
・少女七竈と七人の可愛そうな大人/桜庭一樹
・こちら文学少女になります/小嶋陽太郎
・気障でけっこうです/小嶋陽太郎
・赤朽葉家の伝説/桜庭一樹
・小さなトロールと大きな洪水/トーベ・ヤンソン
10月4日 (Tuesday)
職場で個人面談があった。仕事環境について何か不満はあるかと上司に聞かれ「何もないです!働きやすいです!」って元気に答えてしまい、なんか凄い能天気なやつみたいになった気がする。
10月5日 (Wednesday)
今読んでいるのは野尻抱影『星三百六十五夜 春夏』。冥王星の命名者である野尻抱影の星日誌。夜に読書灯だけをつけて窓辺で読むことを気に入っている。
空を見たところで何がどの星かなんて分からないのだけど、星空を見ることが昔から好きだ。生まれ育った故郷は星のよく見える場所だった。街灯すらない畑道を星影だけを頼りに散歩をすることが出来た記憶は、今となってはなんて贅沢なものだったんだと思う。
地元を出て、今暮らす町はあまり星が見えない。時折、今日は流星群かとアパートの外に出てみるけど、一等明るい星がちらほら見えるかなくらいで寂しい夜空に悲しくなる。
だけど、満天の星を知っているという記憶は、こうした星にまつわる本を読むことで私の中で呼び覚まされ再現される。窓際で、星も見えない空を眺めながら、おそらくは実在しない私だけの星夜を満喫する。
10月6日 (Thursday)
母が遊びに来た。久しぶりにカラオケに行く。
10月7日 (Friday)
朝、洗濯を終えてご機嫌に廊下を歩いていたら服の袖がドアノブに引っかかって右腕を強打した。痛いし、腫れてきたし動かせばやっぱり痛いしで悲しくなる。湿布を貼って部屋に引こもる。
梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』を読み終わる。『家守綺譚』を読み終わってからあまり間を空けていないからか、その対比に胸を打たれた。
『家守綺譚』は停滞する物語で、『村田エフェンディ滞土録』は流動の物語な気がする。確かに村田の言うように、綿貫と村田には近しい部分があるのだろう。それは目の前に起きた不可思議を分からないなりに受け容れ共存していけることで、だから異なる文化も神も想いも彼らのまわりでは馴染んでいくのだろう。
だけど、村田がいる場所は紛れもない現実で、綿貫は限りなくあちら側に近い場所にいるような気がする。ゆえに、綿貫はいつまでもあの家に留まり続け、村田は変わってゆかねばならない。私の大好きなあの雪の日の記憶は過去になり、革命の気配が漂い、友と過ごした下宿を別れ──村田が宿命と言いながら、後々には綿貫の家を出ていくことこそ、いつまでもひとところには留まれない村田の宿命のような気がする──そして革命も戦争も起こり、再会も果たせぬまま友との永遠の別れとなる。
It’s enough! 愚かな人間同士の争いを目にし、死んだ友の肩で叫んだ鸚鵡は何を感じただろう。村田はそうして辿り着いた鸚鵡と友から受け継がれた思いを忘れずに現実を生きていくのだろう。
──ディスケ・ガウデーレ
──友よ。
10月8日(Saturday)
今読んでいる本が善し悪しではなく、今の私には合わなかったなと感じた。恋愛を前にした女のエゴやリアル。そうしたものを確かにわかるけど、物語の中で私はやっぱり夢を見たがっているのだろうな。うっとりと蕩ける甘美な毒のような夢がみたい。それは決して現実から逃避するための手段ではなくて、現実を生き抜くための標として。
野尻抱影が「星に花の香を持たせたらと空想して」と様々な星に花の香りをつけていた。とても好きだ。私の好きな星はシリウスとそして何よりフォーマルハウト。シリウスは沈丁花でフォーマルハウトはモクセイだった。
フォーマルハウトを私が初めて知ったのは図書館で借りた星の本で、秋空でたったひとつの一等星ということにひどく惹かれた。孤独でありながら光輝かねばならないこと。そのもの寂しさ。
秋。フォーマルハウトの季節が来る。今年はきっとかの星を眺めながらモクセイの香りを空想する。
10月9日 (Sunday)
昨日の夜に見た映画『ぼくを探しに』がとてもよかった。
葡萄と林檎を取りに来るように言われていたので昼前にミスドを買って彼の実家に行く。さつまいもドとハロウィンのを数個ずつ。
帰ってからしまう時に面倒くさくなってしなかったコタツ類の洗濯をする。乾燥のためにコインランドリーに行くと雨が降り出していた。ここのコインランドリーを使う時はいつも雨。
本を読みながらまったりと待つ。