「三国志」を読もう!
今、劇場では「新解釈 三國志」が上映されています。
私も観に行きたいのですが、コロナのこともあり躊躇しているところです。
主演の大泉洋さんが、「三国志ファンは見なくてもいい」みたいなことを言っていましたが、三国志を知っている人の方が楽しめるんじゃないかと思っています。変なこだわりがなければですが。
映画はまだ見ていない私ですが、三国志の小説は高校時代に読み漁りました。登場人物が2~300人出てくる膨大な小説(原作だと1000人以上)ですので、読破するのはハードルが高く、最初は短めの小説を読んでから長編小説に挑んだのを覚えています。そんなの読む時間があるなら勉強しろよと高校時代の自分に言いたいレベルです(笑)。他の小説とは異質の小説ですが、是非読んでもらいたい小説です。ハードルが高いと思うなら漫画の横山光輝作品がありますので、それを読んでみてはいかがでしょうか。それでも60巻ありますが(笑)。
ある日、高校時代の友人で、大人になって国土交通省のエリートになった友人から電話がかかって来ました。
「俺、三国志、全部読んだぞ!」
「高校時代にアシタカが面白いって言ってたのが、今、やっとわかった!」
その面白さに気づき感動した友人から連絡でした。
そうなんです。このは小説はすごいんです。
人生にも役立つかもしれない小説なんです。普通の小説とは全然違います。簡単に説明すると、人間観察ができる小説だと思っています。凡庸な人、聡明な人、武勇の人、人徳のある人、信用ならぬ人、様々な登場人物から多くのことを学べます。
下手なビジネス書を読むよりは仕事にも役立つと思います。政治家、経営者、多くの部下を率いる幹部、営業職などにも参考になる小説だと思います。もしかしたら青春真っ只中の若者、見せかけでない大器の男性を見つけたい恋人募集中の女性にも参考になるかもしれません(笑)。
三国志には様々なドラマやエピソードが登場します。諺にもなったエピソードもたくさん登場します。その中の一つを紹介します。
「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」
という三国志から生まれた諺があります。
蜀の武将の馬謖はとても聡明で優秀であったため、三国志上最も聡明で智略に長けたとされる諸葛孔明にその才能を認められ、寵愛を受けていた武将でした。しかし馬謖は自分の才能を過信し、指示に背き大敗を招きました。この話は諸葛孔明の主君である劉備が亡くなった後の話ですが、諸葛孔明は劉備に「馬謖を重く用いてはならない」という言葉を遺されていたにも拘らず、その言葉を守らなかった自分の不明を嘆き、馬謖の才能を惜しみ泣きながら馬謖を処刑したのでした。
この諺は、「どんなに優秀な者であっても、規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」という意味で使われます。
この話を知った時、私は思いました。
この話の中で、本当に聡明で優秀なのは誰?
馬謖は優秀であったが、自分の才能を過信して大失敗してしまいました。聡明な人が陥りやすい失敗です。
諸葛孔明もまた聡明で優秀であったのに自分の判断を過信したのか、劉備の言葉を守らず馬謖を重用しました。
劉備は三国志の中では人徳のある人物として有名ですが、その聡明さは諸葛孔明の陰に隠れて目立ちません。
しかし、それは、
「能ある鷹は爪を隠す」
ではなかったのか?
諸葛孔明が劉備の家臣になった当初、他の家臣たちは孔明の才能を疑っていました。だから諸葛孔明の才能を引き出し、周囲に認めさせるため、あえて自分の才を隠していたのかもしれません。
「天才は天才を知る」
と言います。諸葛孔明は劉備の聡明さに気づいていたのかもしれません。だからこそ三顧の礼に応えて劉備の家臣になったのかもしれません。そんなことも思ってしまったエピソードでした。
三国志は実話を基にした壮大な物語です。エピソードの宝庫です。どんな人が本当に優れているのか。どんな人を信用すればよいのか。自分がどの様な人物になりたいのか。色々と見えて来るかもしれません。
このコロナ禍の時代、この長編小説に挑んでみるのはいかがでしょうか。
小説を読破してから映画を観に行こうと思っている人。
上映終了までに、たぶん間に合いません(笑)